第12話
電車に揺られて三駅分ほど。
結也達の降りた駅はこの辺りでは一番大きく、大概の商業施設やアミューズメント施設が固まっている場所で、学生達がちょっと贅沢して遊ぶ場所として重宝されているのだという。
実際その駅周辺の建物はどれも背が高く、都会的な雰囲気を感じる。結也の住む町も田舎という訳では無いはずだが、それでもちょっとしたお上りさん気分だ。
そんな中で明美が案内してきたのは、ゲームセンターやボウリング、ダーツやローラースケート等々、室内で様々なアクティビティが楽しめるのが売りの複合アミューズメント施設だった。
連れてこられたのはいいが、この手の施設について、話には聞いたことがある程度の知識しかない結也には勝手がまるで分からない。
結局は経験があるという明美や汐里に手続きやらなんやらは任せ、結也はその後ろを大人しく付いて回る形になる。
少し情け無い気もしたが、つまらない見栄を張っても仕方がない。
そうしてしばらくの間、三人で遊び回った後、レストスペースのベンチで休憩しようとなったとき不意に汐里が席を立った。
どこに行くのかと尋ねたら明美から、デリカシーを持てと叱られた。
「どうイズモン? 楽しんでる?」
汐里が席を外してすぐ明美がそう尋ねてきた。
「まぁ、思ったよりは」
入った直後こそ、こういった場所を自分が楽しめるのか漠然と不安に思っていたが、存外やってみると楽しいものだった。
ただ、慣れてないだけに色々と気疲れが多かったのもまた事実だが。
「本当に?」
「本当だよ。何でそこ疑うかね」
「だってイズモン、あんまりテンション上がってなさそうだからさ、楽しくないのかと思って」
「へぇ以外、そういうの気にしないタイプだと思ってた」
「ひっどーい。こう見えて色々気を遣ってるんだよわたし」
分かりやすくむくれる明美に適当に謝ると元々本気でもなかったのだろう、すぐに「許す!」と尊大なお許しが出た。
明美のあのアクティブなノリは鬱陶しく感じるし、そのテンションにに合わせることはきっと未来永劫出来ないと思う。
ただ彼女のいい意味で雑に扱えるというか、必要以上に気を遣わなくていいと思わせる雰囲気は、話していて正直楽かもしれないと思えた。
「ね、ところでさ。イズモンとしおりっちって、本当に付き合ってないの?」
「またその質問かよ。そんなんじゃ無いって。前も言っただろうが、何でそんなに俺と日野さんをくっつけようとする」
「えーだってさ、もったいないじゃん……ちゃんと手を伸ばせば届くかもしれないのに、それをしないなんて」
その時、不意に明美の雰囲気が僅かに変わったような気がした。
ベンチに座ったまま足を投げ出し、照明が少し明るすぎるくらいの天井を眩しそうに目を細めながら明美は見つめている。
その様子はまるで決して手の届かない何かを羨んでいるような。
そんな風に結也には見えた。
「……なぁ、三和さんにとって人を好きになるってどういうこと?」
その質問は自分でも不思議に思うほど自然と口から滑り出た。
「ん、なになに? 何かの心理テスト?」
「んや。ただここ最近何かとそういうことを考えることが増えてさ。なんとなく聞きたくなった」
「ふーん、イズモンって以外とロマンチスト?」
「さぁどうなんだろ。中学の時にポエムノートとか書いたりはしてなかったけど」
そんな軽口を叩いていると。あーでも、日野さんは書いてたりしてそうだな。なんて若干失礼な考えが頭を過ぎる。
「わたしも書いたことないなぁ。あっ、しおりっちはちょっと書いてそうかも」
結也の頭の中を読んでいるわけでないはずなのに、意見が一致してしまったことになんだか変な苦笑が漏れる。
そんなどうでもいい奇跡がありはしたが、明美は質問にすぐには答えなかった。
別に答えを期待している訳でもなかったので、結也の方からしつこく追求するつもりはなかったが。
「……そうだなぁー。私にとって人を好きになるって言うのは――」
明美はゆっくりと答えを口にした。
「――辛い、嘘をつくこと。かな」
何時もよりもトーンの低い、どこか寂しげに聞こえる声。しかしそんな物憂げな雰囲気も一瞬。
「なーんて、どうどう? 今のはちょっと大人っぽくなかった? カッコ良くない?」
次の瞬間にはパッといつもの明るく元気な明美ちゃんに戻っている。
「はい、次はイズモンの番。あなたにとって人を好きになるってどういうことですか?」
「はぁ、なんで俺が」
「人に聞いておいて自分だけ何も言わないなんて不公平じゃん、ホラホラ」
うざい詰め方に辟易とするが、言わないと一日中へばりついて聞いてきそうだ。そっちの方が面倒くさい。
「わかったよ。あーそうだなぁ」
なんと言うべきか少しだけ考えて。
「面倒ごと」
一言でばっさりと切って捨てた。
「うっわっ、冷めてるなぁ。イズモン根暗ってよく言われない?」
「なんとでも言え。普通の人間関係だって面倒臭いのにとてもじゃないけど恋愛なんてしてられないよ。それに無邪気に夢見ようにも色々見たくない物、見て来ちまったしな」
「見たくない物って?」
「それは……色々だよ」
明美はハッキリとした答えを言わない事にぶーぶーと文句を言うが、結也はそれを黙って聞き流した。
人の好意を赤い糸として見ることの出来るこの目は、今まで結也に色々な物を見せてきた。
好きでもないのに恋人を演じる人、惰性で恋人を続けてるカップル、酷いときは二人とも別の場所に好きな人が居る子連れの夫婦もいた。
お互いの事を想い合っている人が居るのは知っている。ただそんなものが絶対でも永遠でもないことを、結也はこの目に望まずとも数え切れないほどの数見せられてきた。
それに何より――
過去の面影が結也の頭に過ぎる。
薄暗い部屋で一人声を殺しながら泣く母。その左手から伸びる一本の赤い糸。
その光景はまるで昨日の事のように思い出せた。
もう十年近く昔の出来事の筈なのに。その光景は今も尚、結也の頭の中に居座り続けて、忘れたと思っていても時折こうして顔を出す。
深く刻まれた傷口の様に。痛みを伴いながら、いつまでもいつまでも残り続ける。
「どしたんイズモン?」
心配げな明美の声で、いつの間にか過去へ遡行していた意識が今に引き戻される。
「なんか、辛そうな顔してたよ」
言われて初めて、自分がそんな顔をしていたのを知った。
「何でもない。ちょっと嫌な事を思い出しただけ、気にしないで」
それから少し経った頃、汐里が帰ってきて休憩時間は終了となった。そこからまた一時間ほど遊んで回ったところで今日はもうお開きの時間となった。
三人が元いた駅に戻った頃には日が沈み、辺りは夕暮れ色に染まり始めている。
しばらくは三人一緒に歩いたが、明美とは途中で別れることになった。
「しおりっち、イズモン。また学校で!」
元気よく別れの言葉を口にして去って行く明美を見送って、残された結也と汐里の二人で改めて帰路を歩く。
「今日はありがとうございました。私の誘いを聞いて貰って」
「別に礼を言われるようなことはしてないよ。むしろこっちこそ、色々気を使ってもらって悪かったな」
「別に謝られるようなことはしていません……ところで」
横を歩く汐里が覗き込むように結也のことを見る。
「どうしてあの時、あんな酷いこと言ったんですか?」
あの時というのがいつのことなのか、そんなことは聞かなくても分かった。
結也が佐久間に明美を紹介することを断り、彼女のやろうとしていることを茶番だと断じたあの時のことだ。
「……なんで今更そんなことを?」
「だってらしくないですもん。私の知ってる出雲君は、意味もなくあんなこと言う人ではないですから」
当たり前のことのようにそんなことを言う汐里。
まったく自分のどこにそんなに信用を乗せるほどの棚があるというのか。結也は呆れにも近いような感情でそう思った。
「買いかぶりすぎ。単に虫の居所が悪かっただけよ」
「そうなんですか? じゃあ私、見る目がなかったですね」
「いや、そうあっさり言を翻されるのもこっちとしてはちょっと複雑なんだが」
結也が苦言を言うと汐里は「冗談です」と小さく舌を出してイタズラっぽく笑った。
「それで? 本当の所はどうなんですか」
改めてのその質問は、誤魔化されませんよ、と語外に言っているようだった
。
正直なところ理由はある。
しかし相手が汐里だとしても、そのことは正直に話すわけにはいかなかった。
「ないよ何も、悪いけどね」
「そうですか……分かりました、そういうことにしておきます」
明らかに納得はしていなさそうな様子ではあったが、汐里はとりあえずは追求の矛を収めてくれた。
「ありがとう、そういう事にしておいて。ああそうだ、こっちも一つ聞きたいんだけどさ」
「なんですか?」
結也のやや強引な話題転換を汐里は特に気にすることはせず聞く体制になってくれた。
「あのーほらなんだっけ? 野球部のなんとか君」
「佐久間君ですか」
「そうそれ! そいつと三和さんをくっつけようって話、まだ継続中?」
「そいつって出雲君、一応クラスメイトなのに、もう……当然、継続中です」
「日野さんも協力するの?」
「もちろんです。私に出来る事なんて殆どないかもしれないですけど。友達の恋は応援したいじゃないですか」
「……そうか、そうだよな」
話をしているうちに汐里とも道が分かれる頃合いになり、またねの挨拶をかわして彼女と別れる。
結也は一人になって自宅までの道を歩きながら考える。
正直なところ明美の恋が上手くいこうがいくまいが、結也としてはどちらでもかまいはしなかった。
でもそれはあくまで、明美自身が望んだものであるならばという話である。
「あーあ、どうしたもんかな」
夕暮れもそろそろ終わり、夜のとばりが降りつつある中。結也は一人、誰も居ない道の途中でそんなことを独りごちた。
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