第4話

 時間は昼休み、場所は三階渡り廊下。

 特に会う約束をしているわけではなかったが、自然と二人で会うのはそのタイミングになった。


 汐里が友達との付き合いで渡り廊下に来ない日もあり、言うほど頻繁に会っていた訳でも無かったが、鉢合わせたときは必ず二人で話をした。


 内容は他愛のないもので、宿題の話や友達との話、後は汐里の想い人である新條先生の話。


 基本的に話題を振るのはいつも汐里で、結也はそれに適当な相槌を打つだけ。

 結也とはしてはコレのなにが楽しいのだろうと思わないでも無かったが、汐里の方はいつも楽しそうにしている。


 案外、女の子というのは話を聞いてもらえるだけでも、それなりに楽しめる生き物なのかもしれない。


 そんな彼女との関係も、そろそろ一ヶ月になろうかと言う頃のこと。

 第一校舎にある自動販売機のボタンには、未だに売り切れの赤い文字が浮かんでいる。


 流石におかしくないかと、少し調べてみたがどうやら自動販売機は、定期的に業者が補充に来るタイプと、持ち主が依頼を出して補充して貰うタイプの二つがあるらしい。


 基本的には前者の方が多いそうなのだが、どうやらこの学校は後者のようだ。

 現在、第一校舎側の自販機で売り切れているのは結也が愛飲している例の珈琲のみで、どうやらそれだけのために業者に依頼を出すのを面倒臭がっているらしい。


 たかだか電話一本で済むようなことを面倒くさがるなよと思いはするが、それを職員室に直談判するほど行動力の無い結也は、大人しく第二校舎まで買いに行くしかない。


 そうしていつものように渡り廊下へと向かうと、今日は汐里の姿があった。 

 いつもそうしている様に、窓から想い人を見つめていたが、結也の姿を見つけると、軽く手を振ってきたので同じように手を振り返し彼女の元へ歩み寄ると、例の缶珈琲を差し出された。


「はい、どうぞ」

「いつも、どうも」


 受け取りながら、珈琲の代金を彼女へと手渡す。

 この場所で話をするときはこうして彼女が珈琲を買ってくるのが、なんとなくの通例になっている。


「今日は友達とは良いの?」

「大丈夫です、今日は他の人と食べるからって前から言っておいたので」

「ふーん、そっか」

「出雲君こそ、良いんですかお友達と一緒にいなくても」

「別に良いよ、仲のいい人なんていないし」


 缶のプルタブを開けながら、何気なく言ったその言葉に汐里が気まずそうな顔をする。どうも、いらない気を遣わせてしまったらしい。


「あー今のは別に愚痴とか皮肉じゃ無くて。俺ってクラスで悪気無く空気扱いされてるというかなんというか」


 素直な彼女は、その話にどうリアクションしたものか困ったらしく、結果なんだか妙に強ばった顔になっている。


 うーん、弱った。

 別に心配されるようなことは何一つ無いのだが、ここで気にしなくて良いよと言ってもムリをしているようで、余計空気が重くなる気がする。


 このままだとお互い疲れる。どうせ聞いているだけの結也はともかく、汐里にはどうせなら屈託なく話をさせてあげたい。

 それが話し相手として、最低限のつとめとしたものだろう。


 とすれば、今自分はどうするべきか。珈琲を一口すすりながら考えた。


「……人付き合いって言うのをさ、基本的に面倒くさいと思っちゃうんだよ、俺」


 スマートな案は何一つとして思いつかなかったので、もう一から十まで説明することにした。


「別に人が嫌いって訳じゃ無いけど、面倒くさい思いをしてまで人と関係を作りたいとも、維持したいとも思えなくって」


 変に重い口調にならないよう、意識しながら話をすすめる。


 結也は今まで、学校では空気のように扱われてきた。

 別に虐められているとかそんなことでは無く、単に結也の方がクラスメイトと積極的に関わろうとしていないからだ。


 その理由は、結也の持っているある特異な事情と何より当人の性分に起因する。

 人間関係を作りそれを円満に維持する。そういったことが、結也にとっては純粋に億劫なのだ。


 人との関わりを積極的に避けようとまでは思わないが、努力してまでそれを手に入れようとも思わない。


 そんな考えの基に行動した結果、今の様なポジションを獲得し、結也自身その事に満足もしていた。

 今の状態が性に合ってる、自分はそう言う人間なのだ。


「だから俺から誰かに、話しかけたり関係を持ったりすることはしないし、俺はそれでいいと思ってる。そっちの方が楽だから」


 そこでまた珈琲を一口すする。俺は一体なにをわざわざ説明してるんだろうな、と内心で苦笑する。


「まぁそう言うわけだから、日野さんが心配したり気にしたりする必要は一切ありません。以上」


 言いたいことを言い切って話を畳み、チラリと汐里を窺う。

 突然の自分語りに多少驚いている様子だったが、とりあえず伝えたいことは伝わったようでその表情に憂いの色は無い。

 その事にとりあえずは胸をなで下ろす。


「……あのさ」


 話の流れを変えるために、珍しく結也の方から話題を振ってみる。


「日野さんは、どうして新條先生のこと好きなの?」


 それは前々から聞いてみたいと思っていたことだったが、不意打ちだったのか汐里は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。


「ど、どうしてそんなことを?」

「純粋に興味。話しにくいならムリにとは言わないけど」

「ムリってことはない、です、けど……」


 恥ずかしそうにもじもじしながら、汐里はその視線を窓の向こうに見える新條先生へと向ける。


「明るくて優しい新條先生を見て、ああこの先生面白い人だなぁって、それが第一印象で。そう思ってる内に先生のことを、その……好きだなぁって思うようなって、それで――」

「え? それだけ」


 照れくさそうに、でも何処か愛おしそうにはにかみながら話す汐里だったが、結也の一言でその目が一気に三角になった。


「それだけって――それだけってなんですか! それだけって! せっかく人が恥ずかしいの我慢してまで話したのに」

「いやだって、学校の先生のことを好きなるなんて、よっぽど、何か劇的でドラマチックな出来事や切っ掛けがあるんだろうなーって思ってたから、つい」

「それにしたって、聞いといてそのリアクションはあんまりだと思います!」

「ごめんって。悪かったよ」


 結也が拝み倒すと汐里は「むぅ」とまだ不満げではあったが、とりあえずその矛を収めてくれた。


「でもまぁ、そっか。劇的なことが無くっても人のことを好きになることって、あるんだな」

「なに言ってるんですか、そんなの当たり前ですよドラマじゃあるまいし。理屈じゃ無いんです、人を好きになるって」


 よくそう言うこと、恥ずかしげも無く言えるなぁ。と驚き半分、感心半分に思う。

 ただ、それを口にすると照れ隠しにまたお叱りを受けることになりそうなので、ここは黙っておく。


 汐里は、拗ねたような表情で話を続けた。


「それともなんですか? 劇的なことも無く先生のこと好きだと思うのは、気の迷いだって言うんですか」

「まさか、んなわけないでしょ」


 答えてから、缶珈琲を一口すする。キリッとした香りと苦みが心地良い。ふうと一息ついてふと、あたりが静かなことに気が付く。


 どうしたのだろうと、汐里の方を窺ってみるとさっきまで威嚇する猫みたいな顔をしていたのに、今はそれとは打って変わって驚いた様な顔で結也のことを見つめている。


「? どうしたの」


 結也が尋ねると汐里は「いや、だって」と少し動揺した様子で。


「当たり前のことみたいに、あっさり答えるから」

「なにを?」

「だから、その、先生のことを好きなのが気の迷いなのかどうかって」


 汐里の回答に結也の疑問が益々深くなる。

 どうしてそんなところに引っかかるのか、結也にはよく分からない。


「そんなに驚くようなこと? 日野さんが新條先生のこと好きなことなんて見れば分かるよ、綺麗な色してるもん日野さんの糸」

「いと? いとってなんですか?」

「へ? ……あっ!」


 指摘をされて初めて、自分が余計なことを口走ったことに気が付く。


「いや、糸って言うのはホラ、言葉のあやというか言い間違いというか、特に意味は無いくだらない言葉というかえーとだからぁ――」


 なんて誤魔化したものかとテンパる頭で考えるが、処理能力が著しく低下した脳では答えが全然まとまらない。


 クソ、また俺はポロリと。


 大して物を考えずに発言した迂闊な自分を呪う。

 そんな困惑しまくる結也を見て、急に汐里が堪えきれなかったように笑いだした。


「……なにが可笑しい」

「だって出雲君、急にわたわたしだすんだもん。それがなんだか可笑しくって」

「笑うこたぁないでしょうが」


 と拗ねたように口にするが、内心ではホッとしている。

 今も彼女は可笑しそうに笑っており、さっきの失言はなんとなく、流れそうな気配だった。


「……でも、ありがとう。ちょっとだけ安心しちゃった」


 ん? っとまた結也が汐里の発言に首を捻る番が回ってきた。

 彼女を安心させるようなことを言った覚えなんて、結也には微塵も覚えが無い。

 そもそも途中まで自分がなにを言っていたのかすら覚えていない。


「本当に分からないんですか?」

「やー本当に分からない。そんなに大層なこと言ったかな? 俺」

「大層なことを言ってないから、嬉しかったんですよ」


 何やら意味深なその台詞に、結也の頭の中は益々混迷を極めたが、汐里はイタズラ気な笑みを浮かべるばかりで答え合わせをしてくれる気配はなく。

 結局その疑問の答えが分かったのは、それから数日経った後のことだった。

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