第3話
「あ、出雲君こんにちは」
次の日の昼休み。
もうかかわることないだろう思っていた女の子に名前を呼ばれて、結也は正直困惑していた。
いい加減補充されても良い頃だろうに、未だ売り切れの文字が燦然と輝いていた第一校舎の自動販売機を尻目に、結也が第二校舎へと向かう途中。
いつもの渡り廊下で、汐里はまた窓の外を眺めていた。
それだけならば別に驚くようなことは無いのだが、汐里は結也の存在に気づくなり親しげな微笑みを湛えながら手を振ってきたのである。
汐里はそのまま結也の元に駆け寄ってくると、見覚えのある黒い缶を差し出してきた。
「はい。これ、昨日のお返しです」
それは結也が普段から愛飲している、例の缶珈琲だった。
お返しというのはおそらく昨日、結也が渡したカフェオレのことなのだろうが。こっちとしてはお詫びのつもりで渡した物だったのに、お返しされてしまっては意味が無いんじゃないのか?
そんな疑問が浮かんだが、くれると言っている物を断るのも角が立つので大人しく貰っておく。
「ありがとう」
「いえいえ、そんなこと」
沈黙が二人の間に降りる。
お礼と言われ珈琲を貰ったのは良いが、さてこれからどうすればいいのだろう?
とりあえず、このままここに突っ立っていても仕方が無い。
「それじゃあ、俺はこれで」
そう言って結也がその場から立ち去ろうとすると、汐里が「あっ」と何か言いたげな声を上げた。
「どうかしたの?」
振り返って尋ねると、汐里は少し言いにくそうに。
「えっと、出雲君、何か用があったんじゃないの?」
「いや、珈琲買いに来ただけ。こっちの自販機だとこれ売り切れてたから」
「そう、なんだ」
また沈黙が降りる。
汐里の様子がまだ何か言いたげに見えるのは、ただ気のせいだろうか。
「あー、まだ何かあんの?」
探りもかねてそう尋ねてみると、汐里は何か言おうとして口を閉じ、少し間を置いてなにか意を決したような様子で、もう一度口を開く。
「えっとですね。これからも、出雲君とここでお話しできらなって思って」
「は?」
思わずそんな間の抜けた声が出た。
それは全く予想していなかった発言に対する、純粋な疑問から来た言葉だったが汐里の方は別の意味に聞こえたようで。
「ごめんなさい、やっぱり迷惑だった? そうだよねごめん、大体いきなりこんなこと言って私キモいよね、すみません」
よっぽど慌ててるのか、言葉の間に多種多様の謝罪の言葉を挟み込んでくる汐里に結也も慌てて「別に迷惑って訳じゃ無いけど」と弁明を入れ、その後に「だって」と言葉を続ける。
「君が俺と話をする、理由が無いだろう」
別にクラスが同じ訳でも無ければ、古くからの知り合いという訳でも無い、ここ最近で少しだけ会話をしただけの薄い関係。
一度くらいなら気まぐれでと言うこともあるだろうが汐里が結也ともう一度、話がしたいと思えるような、切っ掛けや理由になりそうなことなんてどう考えても無い。
そんな相手と話をして一体なにが楽しいと言うのか? 一体なんの得があるというのか? 一体彼女はなにを思って自分と話がしたいなんて言い出したのか?
結也には本気で解らなかった。
しかし汐里はむしろ、こっちの方が不思議だと言わんばかりのキョトンとした顔で。
「お話しするのに、理由が無いとだめなんですか?」
「いや、だめと言うことは――」
――無い……のか?
イマイチ納得出来ないでいると、汐里は腕を組んで「んーそうだなぁ」と考えるような、素振りをして。
「正直に言えば最初は怖かったですよ、出雲君のこと。突然あんなこと言われて」
それを聞いて結也の顔が思わず苦くなる。
あの日あの時、口走ってしまったことは結也にとって今もちょっとした負い目であり、そこを突かれると正直痛い。
「でも次の日、出雲君、謝りに来てくれたじゃないですか」
言いながら、汐里は思い出したかの用にクスクスと笑う。
「その時、あっこの人そんなに悪い人じゃ無いんだろうなぁって思って。そうしたら今度は急に親近感が湧いて来ちゃって。今まで私が先生を好きなこと、知ってる人なんていなかったから」
ああ、なるほどそういうことか。
そこまで話を聞いてようやく、結也の中で一つ合点がいった。
結也にはよく分からない感覚だが、女子は恋の話いわゆる恋バナをしたがる人は多い、もちろん例外はあるだろうが比率的には多いはずだ。
しかし想いを寄せる相手が学校の先生となると、仲の良い友達相手でもそのことを気軽に話したり、相談したりすることをためらってしまうというのはありえそうなことだ。
そんな折にその事を気にしなくても済む人物が現れれば、話をしたい、話を聞いて貰いたい、と思うことはさほど不思議なことでは無いのかもしれない。
「つまり、先生のことを気にせず相談や話が出来る相手が欲しいってこと?」
自分なりに理屈を組み立てて、それを汐里に話してみるが、その反応は結也の想像に反してビミョーであった。
「え? まぁ、そういうこと……なのかな?」
となんだか歯切れが悪い。
とは言え否定もしていない所を見るに、大きく外している訳でも無いだろう。
「そういうことなら、話し相手になるぐらい別に構わないけれど」
そう言うと汐里は「ほんと」と目を輝かせたが。
「ただ俺、話し相手としては上等じゃ無いと思うよ多分。つまらない奴だし」
つまらない奴。それは結也にとって自虐でも何でも無い、自己評価だった。
人と話していて緊張すると言うことは基本的には無い。
事務的な会話であれば初対面であろうが、異性であろうが、なんの躊躇も無く喋れる自信はある。
ただコレが日常会話となると途端にダメ。単純に離すことが思いつかない。
流行に頓着が無く、コレといった趣味も無い、加えて元々理由も用件も無く会話することに、価値を見いだせない質だ。
そんな自分と話をしたところで、彼女にとって有益な時間にはならないだろう。
そう思っての発言だったのだが。
「あんまり自分のことを悪く言うのは、よくないですよ」
それを聞いた彼女はムッとした顔で、なぜか結也のことを窘めた。
「よくないもなにも、事実だしなぁ」
「そうだとしても、そういうこと言う物じゃ無いと思います。それにその発言はあなたとお話したいと思ってる、私に対しても失礼です。あなとお話してつまらないかどうかは私が決めることであって、あなたが決めることではないはずです」
あなたは俺のお母さんですか? と言いたくなるような台詞だが、しかし彼女の言っていることは確かに通りではある気がした。
「それとも、やっぱりご迷惑でしたか?」
「あ、いや。そういうわけじゃないけど」
突然不安げな表情で尋ねられて、結也は慌ててそれを否定した。
正直、億劫だと思っていない訳じゃ無い。何度も言うように結也は口が上手い訳でもなければお喋りが好きな訳でもない。
しかし、だからといって迷惑だとまで思っているわけでもない。
それに謝ったとは言え、汐里に対して多少の負い目があるのは今も変わらない。
それに何より、頼みを断って今後も珈琲を買いにこの場所を通る度、気まずい気分になるのは結也としては座りが悪い。
第一校舎側の自販機が補充されれば、ここを通る必要もなくなる、それまでの間だけと思えば。
「……分かったいいよ」
そう言うと汐里はパッと表情を明るくした。
「本当ですか? 嘘ついてません?」
「付いてない。ただし、俺の気が向いたときだけって条件付きだけど」
「はい、それで構いません。それじゃあ」
そう言って汐里はにっこり笑いながら、手を差し出してきた。
しかし結也にはその意味がイマイチ分からず、ただぼんやりとその手を見つめる。
そうしていると、その手がほんのりと朱に染まっていく。
どうしたのかと視線を上げてみると、汐里の頬も同じ様に朱に染まっている。
「握手のつもり、だったんですけど……高校生にもなってこういうのは変ですよね」
「ははは」と、汐里が照れくさそうに笑う。
そうか握手か。
改めて差し出された汐里の手を見る。
恥ずかしいのかその手は朱に染まりながらも、引っ込めるべきか逡巡しているのかフワフワとその場で彷徨っている。
そんな様子がなんだかおかしくて、ちょっとだけイタズラ心が疼いた。
「すみません、やっぱり恥ずかしいよね」
そう言って引っ込みそうになった手を、捕まえる。
驚いたのか汐里の肩が僅かに跳ねるが気にせず、結也は少しだけ意地悪げに。
「まぁ、これからよろしく」
そう言うと汐里は照れくさそうに、それでいて嬉しそうな笑みを返した。
「はい、よろしくお願いします」
握り返された彼女の手は華奢で、冷え性な結也にはその温もりは熱いくらいだった。
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