第2部分

 いや、その自身とアイシスの認識のずれ……かどうかは現状では不明ではあるとはいえ、少なくとも自身ではその「別の感覚」とやらは、その言葉に改めて感覚を研ぎ澄ましても尚感じ取る事が出来なかったにもかかわらず、こうして一先ずの安堵を感じている場合か、とはタチバナ自身も思わないでもなかったが、その自らの一見従者として頼りない反応こそが、当人にとってはこの旅に於ける最大の収穫の一つだと言っても過言ではなかった。


 則ち、この様な事態に遭遇した時、以前のタチバナであればどうにかしてその「別の感覚」とやらの正体を探ろうとするか、或いはその正体不明な感覚をアイシスに感じさせている相手に対して常に警戒を、無論普段から敷いている周囲へのそれ以上のものをする事で、何れにせよ体力や精神力を徒に消耗していた所だろうが、今のタチバナはそれを無駄な行為だと開き直る事が出来る様になっていた。


 というのも、先日のフィーとの一件により自らの、自身でも客観的に見て人類の最高峰に位置すると思われる五感を用いても、その存在すら感じ取る事が出来ない相手がこの世には存在するという事を実感として理解した事で、その「別の感覚」とやらがアイシス本人の言う通りに気の所為であるならば無論それで良く、そうでない場合にはそれは魔法的な何かによるものである事になる為、それに対して自らが気を揉んでも仕方が無いと判断したのであった。


 とはいえ、無論それでタチバナが気を抜いて警戒を疎かにしたという訳ではなく、当人としては無論それが必要な行為だと判断してのものではあるのだが、そもそもがこの瞬間にも過剰な程に周囲への警戒を保っている為に、それ以上をする必要は無いと判断しただけである。


「今の短い質問からその様な完璧な回答をされるとは、流石ですね。尤も、その「別の感覚」とやらは私には感じる事が出来ておりませんが、例によって魔法的な何かである可能性もございますので、一応は警戒を……とまでは申しませんが気には留めて置いて頂き、もし異変を感じられた場合には再度ご一報をお願い致します」


 ともあれ、仮にも自らの質問に対して主に答えさせた以上はあまり待たせる訳にはいかないというか、それを察されない様に行ったとはいえ、そもそもこの様な安堵の息を吐いている場合ではないという事で、タチバナはその事への謝意も含めてそのアイシスの回答に称賛の言葉を返すと、件の「この旅に於ける最大の収穫の一つ」を存分に活かし、仮にも主であるアイシスに対しても、そう遠慮無くその状況への対応を依頼する。


 とはいえ、無論それはアイシスがその無礼とも取れない事もない言動を気にしない、どころか寧ろそれを喜んでもおかしくはないだろう、とこれまでのやり取りや言動から判断したが故の行動であり、もしそれが見当外れだった場合には全力で謝罪した上、既に自身でも無駄だと判断したその「別の感覚」への対応も自らで行うつもりではあるのだが、恐らくはそうなる事は無いと思える程度には、タチバナは主の事をある程度理解出来ているつもりだった。


 尤も、その性格的にも、無論そのままに「私は主の事を十分に理解している」などとは、タチバナは天地がひっくり返っても考えたりはしないのだが、無意識にはそれに近い認識を持っているという事は、そのタチバナ自身の言動が証明している様なものだった。


「いやいや、私も別にさっきの質問の意図が直ぐに汲めた訳じゃないしね。でも、この感覚が貴方には感じられない、というのは少し意外だったけど、その自分では感じられないものに対しても、直ぐにこうして対応を考える事が出来るなんて、タチバナこそ流石よね。まあ、さっきも言った通り、そもそもこの感覚はただの気の所為というか、さっきまであった感覚が無くなったからそう感じるだけのものかもしれないけど、言われた通りに気には留めて置く様にするわね」


 ともあれ、そのタチバナの称賛は無論心からのものではあるとはいえ、決して話の本題という訳ではなかったのだが、当人の感覚としては久し振りのそれが妙に気になった為か、アイシスはそれにやや過剰な反応を示しつつも、それに応えてタチバナにも心からの称賛の言葉を返すと、漸く本題であるその依頼に対しても承諾の意を示す。


 なお、当人としては「久し振りにタチバナに褒められた!」と内心大喜びではあるものの、実際には前回のそれから大した時間が経過したという訳ではないのだが、そこから地這龍(ワーム)の襲撃、もとい登場に、こうして長かった森林からの脱出という一大イベントが重なった結果、最早それ以前の出来事は遠い昔の事の様に感じられていた。


 そして、それはタチバナでさえも同様であり、いや、無論冷静沈着を地で行くタチバナは概ね正確な時間の経過を把握しているし、別にそのアイシスの返答を聞いて「久し振りにお嬢様に褒められた!」などとは思ってはいないのだが、それでもそれらの一大イベント、特に森林からの脱出の方は流石に一つの区切りとは感じられており、アイシス程にそうであるという訳ではないものの、それ以前の出来事は何処か遠いものの様には感じられているのであった。

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