第二章「秘境にて待つものは」

第1部分

 そして、当然ながらその風景は紛れも無く初めて目にするものではあるのだが、それがかつて、則ち少女が入院していた頃に憧れていた、その頃に身を置いていた国に於ける田舎の田園のそれに近い、或いはそれを想起させる様な風景であった事もあり、その様な意味でもアイシスはそこで足を止めずにはいられなかった。


 とはいえ、無論それはその風景への感動のみによる行動という訳ではなく、広大な森林を遂に抜けたという安心感や、それに伴う心身の疲労感等の様々な要素が絡み合った結果、アイシスに足を止めてその景色を眺めるという選択をさせたのだが、当然ながら実際にはその様な事を意識してそうした訳ではなく、本人としてはただ何となく足を止めてしまった……どころか、そうとすら考えていない無意識での行動だった。


「……お嬢様」


 という訳で、殆ど無意識のままそれらの感情や感覚に、とはいえ大部分はその風景への感動に浸っていた主に倣い、概ね同様に周囲の景色の観察をしていたタチバナであったが、やがてその時間が一定の長さに達すると、やや遠慮がちにアイシスにそう声を掛ける。


 尤も、景色を眺めるという行動こそ似通っていたものの、その内心にはアイシスが抱いている様な感動は殆ど無く、タチバナはあくまで周囲の状況をより正確に把握する事や、それにより一定の安全を確認した後は目に映る植物の種類の分析等に時間を割いていたのだが、決してそれらが早々に済んで退屈になったからと主に声を掛けた訳ではない。


 則ち、基本的には主の意思や行動を尊重する事を是とするタチバナではあるものの、その中にも優先順位というものは存在するというか、あくまでも目的を持って旅をしているという現状に於いては、あまり足を止めているのは主にとっても良い事ではない、という判断をしたという事もあるが、それを措いても伝えるべき事柄があると判断したのであった。


「うぇ? ああ、ごめんなさい、少しぼうっとしていたわ。それで、どうかしたかしら?」


 ともあれ、その感動に深く浸り過ぎた事により半ば呆けていたアイシスは、当人にとっては突然のものとなるそのタチバナの声に間の抜けた驚きの声で応じると、その呆け具合を素直に謝罪した上でタチバナにその行動の意図を尋ねる。


 そのやや間抜けな驚き様は兎も角、そこからの素早い立て直しには主の成長を感じられた……という事も兎も角、そのアイシスからの質問により、タチバナは件の「伝えるべき事柄」を伝える機会を公式に得る事が出来た訳だが、にもかかわらず、そして即応を是とする事が当人の信条であるにもかかわらず、その質問への回答が為されるまでには若干の時を要していた。


「……いえ、此方こそお嬢様の時間をお邪魔してしまい、申し訳ございません。ですが、お感じになりませんか?」


 則ち、その「伝えるべき事柄」というものは一つという訳ではなかった為、その中のどれを優先して伝えるべきか、という事や、それは主の時間を邪魔してまで伝えるのに相応しい情報であるか、という様な事を考慮した結果、こうしてそのアイシスの問い掛けから若干の間を空けてから、タチバナはその時間を邪魔した事への謝罪とそれへの回答を口にするのであった。


 尤も、その若干の間はアイシスが気にする程のものではなかった、という事は措いても、本来であればその様な思考を経たとしてもタチバナは即答が可能である、というよりも、本来であればそもそも最初に声を掛けた時点で本題である用件までを伝えていて然るべきなのだが、その思考の中に当人にとっては不慣れなものが含まれていた為に、結果としてこの様な状況になっているのであった。


 なお、こうして主の質問に対して質問で返す、というのは一見すると正しい問答には思えないかもしれないが、別にそれはその慣れない思考で混乱した為という訳ではなく、単にその答えを、此度の場合で言えば現在自身が感じている、より厳密には先程森林を抜けた際に感じた感覚を説明するよりも、アイシス本人にもそれを実感して貰うべきであるとの判断によるものである。


「え? ……ああ、確かにそうね。あの時森に足を踏み入れた時に感じた、というかそこからずっと感じていた違和感というか、あの不思議な感覚が無くなっている、という事よね? いえ、また別の感覚がすると言った方が正しいかしら。ああ、でも、これはその感覚が無くなったからそう感じるだけかもしれないけれど」


 その予想外の答えに、アイシスは一度はきょとんとしてそう訊き返すが、直ぐにその言葉に従って自身の様々な感覚を確かめ始めると、やがてその言葉が意図するであろうものに思い当たった様で、その詳細についてをやや取り留め無くではあるものの堂々と口にする。


 そのアイシスの発言の内容は概ね自身の期待通りではあったものの、その一部分についてはその限りではなかったが、その堂々とした語り振りから一先ずは自身の判断は正しかったのだと感じると、タチバナは人知れず息を深く吐き出すのであった。

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