第420部分

「……そうですね。この森林の生態系……いえ、その様に呼んで良いものかは分かりませんが、この森林でこれまでに出会った生物の面々は、妖精であるフィー様を含め、正直に言えば私の想像を超えたものでした。とはいえ、無論だからと言ってその事が彼のお方の能力と直接関係がある訳ではありませんが、少なくとも先程の様な地這龍が棲息している場所の付近にお住いになっているという時点で、その能力への自信、或いは単に胆力が通常の人間とは異なっている事は間違いないかと思われます」


 そのアイシスの興奮気味な言葉から暫しの間を置き、タチバナがそれとは対照的な淡々とした口調でそれに答える。そして、それに伴ってその内容もまたアイシスのそれよりは随分と冷静なものではあったが、それらはあくまでもアイシスと比べればという話であり、その言葉の内容や口調は明らかに、普段のタチバナのそれよりは感情が込められたものとなっていた。


「……むう、相変わらず冷静な事だわねえ。まあ良いわ、実際に会ってみれば分かる話だものね。という訳で、万が一にもさっきの地這龍に目を付けられたら堪らないし、さっさと先に進みましょうか」


 そのタチバナの返答を聴いたアイシスはその頬を不満げに膨らませると、それを吐き出しながらそれへの感想を口にし、最後にはその胸中の期待を表す様に早期の出発をタチバナへと促す。それを耳にした、もとい目にしたタチバナは例によって笑いを堪えるのに必死であったが、少なくとも自身の精神状態が冷静であると判断されている事には、半ば無意識にであるが一定の安堵を覚えていた。


「かしこまりました。ですが、先程は結構な距離を走られたかと存じますが、疲労の方は問題はございませんか?」


 その必死の奮闘故に、未だその精神状態は万全とは言い難かったタチバナであったが、そのアイシスの話があまりに尤もな内容だった事で急速にその平静を取り戻すと、その提言に同意を示した上でその体調を気遣う言葉を主へと返す。既に先程からその様子はそれを感じさせないものとなってはいたが、先の全力疾走によるアイシスの疲労が回復するには、本来であれば未だ十分な時間が経過したとは言えない事は確かであった。


「え? ああ、そう言えばいつの間にかすっかり回復していたわね。まあ、足の方には未だちょっと残っている気もしないでもないけれど、歩く分には魔法の効果があるから大丈夫でしょう」


 だが、そのタチバナの気遣いにアイシスは虚を衝かれた様な声を出すと、漸くその存在を思い出したかの様に、その疲労に対する自身の見解を口にする。それがタチバナの予想をも上回る肉体の回復力によるものか、或いは強い喜びやそれに伴う急激なテンションの上昇といった精神的な作用によるものかは当人にも定かではなかったが、実際にアイシスが既に大した疲労を感じていない事は事実であった。


「……かしこまりました。それでは、直ぐに進行に戻ると致しましょう」


 無論、その事はタチバナにとっても定かではなかったが、理由はどうあれアイシスが自身の予想を上回る回復を見せた事は確かであり、またその返答の内容にもそれに値する点があった為に、それらに対する瞠目故の僅かな間を空けてタチバナが答える。それは既に自身が先日口にした事ではあったが、何気なく発したその言葉の内容を、先の騒動の後もアイシスが正しく記憶し、件の魔法の効果を誤解せずに活用しようという旨を述べた事もまた、タチバナにとっては主の成長を感じられる事なのであった。


 とはいえ、無論それはアイシスの頭脳を甘く見ているという訳ではなく、これまでの経験から、精神的な動揺があった際にはその働きが鈍る傾向があると思われていた為に、それをある程度克服したと思われるその変化に、タチバナは一定の感心を覚えたのであった。


「ええ。それじゃあ……よいしょっと、また目的地へ向けて出発! ってね」


 その裏側にその様な思考が含まれている事などは無論知る由も無かったが、確かにタチバナの同意を得たと判断したアイシスは、それに答えながら先程下ろした荷物を拾うと、真後ろへと向き直り改めて出発を宣言する。例によってその後には照れ隠しの様に言葉が付け足されてはいたが、最早それは癖の様なものであり、その時のアイシスはそのリーダーらしい言動にも全く羞恥を覚えてはいなかった。


「……あれ?」


 ともあれ、そうしてそのアイシスの号令に合わせて再び歩き出した一行であったが、程なくして眼前に見えて来た光景に、アイシスが思わずそう驚いた様な声を上げる。尤も、そこでアイシスがそれに気付いたという事は、無論タチバナはその遥か以前、則ち先程アイシスが休憩に入る前にはその光景に気付いてはいたのだが、と或る理由からそれを口には出さずにいたのであった。


「え、あれってもしかして……」


 とはいえ、冷静に考えればその事実はアイシスにとっても明白な事ではあったのだが、その光景を目にしたアイシスにはその冷静さはもう残っておらず、そう呟くとその足取りを更に……則ち魔法による補助を受けた速足よりも早め、遂には再び全力で駆け出してしまうのであった。

 

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