第419部分

「……その様ですね」


 そのアイシスの予想、もとい期待通りにタチバナがその言葉に答えを返すが、それは同意を示すだけのごく短いものだった。それはタチバナ自身もあの様な巨大な生物は生まれて初めて目にした為、何を口にすべきかが良く分からないという事でもあったが、状況が落ち着いた事もあり、その少し前に先程の違和感の正体に気付いたタチバナが、その事への思考に強く意識を引かれている為でもあった。


 そして、タチバナが気付いたその違和感の正体とは、無論件の巨大生物の存在によるものだった。則ち、あの様な巨大な生物が一定の距離に存在していたのであれば、無論タチバナの五感がその存在を感知出来ない筈も無かったのだが、その様な巨大な生物が現実に存在するとは思ってもいなかった為に、無意識にそれを無視した結果がその違和感となっていたのであった。


 とはいえ、その様な勝手な思い込みによって、自身は兎も角主の身をを危険に晒したというのであれば、それはタチバナにとっては到底自身を許せる様な失態ではなく、それ故にタチバナの頭の中では未だにその事への思考が繰り返されているのであった。


 だが、仮に件の巨大生物の存在を認識していた場合に、自身が冷静な判断を下せていたかは未知数である上に、目の前に同じく常識からは明らかに外れている別の脅威が存在しており、それから逃れる為に取った手段が結果的には正しい判断であった為に、タチバナも本気で自身を責めようとまでは思ってはいなかった。


「……それにしても、何だったのかしら、あれ。さっきはあまりの驚きで良く分からなかったけど、あの顔と長い身体からして、凄く大きな蛇……だったのかしら?」


 その様なタチバナの内心での思考など無論露知らず、この休憩によってある程度呼吸が整って来たアイシスが、胸中に湧いた疑問を先程よりはしっかりとした口調で口にする。本来であれば、あの様なとても現実の存在とは思えない程の巨大生物を目にしたのであるから、アイシスとしてはもっと大袈裟な感動を表してもおかしくない場面ではあったのだが、既に先程の逃走の時点でそれを叫びとして思い切り表現していた為か、その精神は妙な程の冷静さを保っていた。


「……いえ。確かに、先程の巨大生物は爬虫類の様な外見上の特徴を持ってはいましたが、その巨大な口に並んでいた鋭い歯を代表とする様に、蛇とはまた異なった生物であったかと思われます。恐らくではありますが、地這龍(ワーム)と呼ばれる種族の一体なのでしょう」


 そのアイシスの発言から暫しの間を空け、その主の冷静さを目にした事で先の迷いを振り払ったタチバナが、同じく冷静な口調でその質問に答える。とはいえ、その頭の中が合理的な思考で占められているという事は無く、先程あれだけ取り乱していたアイシスが、思いの外しっかりとその時の光景を記憶していたという事に、タチバナは妙な程の感心を覚えていた。


「ワーム? ってあのにょろにょろした奴よね? 確かに細長かった……いや、全然細くはなかったけど――」


「いえ。その蠕虫(ワーム)ではなく、ワイアームとも呼ばれる、龍(ドラゴン)に近い伝説にも語られる生物の方です。尤も、私もこうして現実に目にするまでは、あの様な生物は空想上の存在であると考えていたのですが、先程目にした外見上の特徴から判断する限りは、恐らくは間違いないと言えるでしょう」


 そのタチバナの回答を聞くや否や、アイシスが新たに生じた疑問をそのまま言葉にするが、それを言い切る前にタチバナが更にそれへの答えを返す。主の言葉を途中で遮ったという点だけを見れば、それは従者としては無礼にも思える行動ではあったが、その疑問を速やかに解決するという方をタチバナは選んだだけであるという事は、その言葉の内容の方に夢中になっているアイシスも無意識にではあるが理解していた。


「龍(ドラゴン)!? 確かに、言われてみれば顔つきは蛇というよりもそっちに似ていた気もするわね。妖精に龍……いえ、地這龍だったかしら? まあ何でも良いのだけれど、そんなタチバナでも現実に居る事を知らなかった生き物がいくつも住んでいるなんて、兎に角凄いわねこの森は! その更に奥に住んでいるなんて、例のエルフのお婆さんはどれだけ凄い人なのかしらね!」


 龍。ファンタジーの代名詞とも言えるその名を耳にしたアイシスはそのテンションを一気に上昇させ、その夢中になっている度合いが一目で分かる程に目を輝かせながら、同じくそれが明白に表れた声でその感動を言葉にする。そして、それは最終的にこの旅の到達点への期待へと変化し、そのやる気はこの道中でも最高潮に達していた。


 だが、その感動は元を辿れば少女がかつて触れて来た幻想の物語に端を発するものである為、そのアイシスの様子を目にしたタチバナにとっては、それは流石に度が過ぎているというか、かつての主はそれ程に伝説の類に興味を持っていただろうかと、少々不思議にも思えるものであった。とはいえ、その様な疑問は現実に目の前で披露されている主の喜びとは比するべくもなく、タチバナもまたその気分が僅かに、だが確かに昂っている事を感じていた。

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