第98部分

 そうして、やや唐突にタチバナがアイシスに問い掛ける。だが、タチバナが「一つは」という形で説明をした事で、アイシスは問われる前から次の答えを考え始めていた。それが功を奏し、アイシスは直ぐにその答えを思い付く。


「そうね……まあ、そんな状況にならない様にすべきだとは思うけど、要するに私が黒星と戦うみたいな時でしょう」


 そのアイシスの答えと、それを出すまでの早さにタチバナは大いに感心する。自身と同等……とは言わずとも、やはりアイシスは冒険者に必要な才を十分に備えている、と。


「流石はお嬢様。直ぐに正解に辿り着くのみならず、具体例やその正しい考察までを示されるとは。先程の戦いを見ましても、既に下手な冒険者より余程優秀な能力を持っていると言えるでしょう」

 そのタチバナの称賛に、アイシスは頬を赤く染める。仮にも主従という関係ではあるが、タチバナが主に対して世辞など言わぬ性格である事は、アイシスも既に承知していた。そしてそれを知れているという事も、アイシスの喜びの感情を増幅させる。


「それでも、未だ駆け出し冒険者も良い所でしょう。引き続き精進していくつもりだから、これからも色々な事を教えてね、タチバナ」


 その言葉は照れ隠しの為のものであったが、結果としては謙虚、かつ向上心が感じられるものとなり、それはタチバナを更に感心させた。


「……かしこまりました。それでは、日も暮れて来ておりますので、先程の戦いについてのお話は此処までと致しましょうか。何かご不明な点や、不十分だと思われる部分がありましたら、遠慮なく仰って下さい。また、もしご希望でしたら、先程の内容を改めて簡潔にご説明させて頂きますが」


 主の成長への素直な喜びを、未だそれとは認識せぬままに感じながら、タチバナが話を締める。それを聞いたアイシスは長く続いた緊張感から解放され、ほっと一つ息を吐いてから口を開く。


「いえ、大丈夫よ……多分。それじゃあ、次は夕食の準備かしら?」


 以前なら自身の理解に不安を感じ、改めての説明を求めていたかもしれない。それをしなかった自身に、アイシスは自らの内面の成長も感じていた。タチバナと助け合える関係を目指しているアイシスにとって、それはとても喜ばしい事だった。


「はい。それでは、私は今から夕食の準備を致しますので、お嬢様はご自由になさっていて下さい」

 そうしてタチバナが夕食の用意を宣言する事で、アイシスは長かった一日が漸く終わる事を実感する。その時、アイシスはふと、今がいつか言おうと思っていた事を言う機会だと感じた。


「ええ、分かったわ。……ところでタチバナ。その、別に私と貴方の食事の量を同じくらいにしなくても良いのよ? 私と貴方じゃ、使っているエネルギーが違うでしょう」


 もしかしたら、これはタチバナにとって指摘されたくない事かもしれない。その思いからやや躊躇いがちになりつつも、それはアイシスの純粋な親切心からの言葉だった。だがそれを言われたタチバナは、今までで最も長い間、その動きを止めて沈黙を保っていた。


 突然の事に驚愕しながらも、タチバナは高速で思考を展開していく。……何故、アイシスがそれを知っているのか。私はこれまで、アイシスの見ている場面で多くの食料を口にした事は無い筈。いや、理由は問題ではない。だが、その口振りからしてアイシスも確証を持っている訳ではないだろう。それ故に否定する事は容易いが、主の善意からの申し出に偽りを以て答えるのは、従者として良い態度だとは思えない。


 だが、主の好意をあっさりと受け入れ、主より多くの食料を当然の様に消費する事も、また従者として相応しいと言えるだろうか。その様な長い思考を経て、アイシスが自身の発言を軽く後悔しようとした時、タチバナが口を開く。


「……お気遣いありがとうございます。お嬢様が仰る通り、私の日常は一般的な人間よりも多量のエネルギーを必要としております。その為、お嬢様がそう仰るのであれば、私も次の食事からは必要な量を頂く事に致します。ですので、もしお嬢様も量に過不足等を感じましたら、どうか遠慮なく仰って下さい」


 様々な思考を経て、最終的にタチバナはその言葉に甘える事にする。優しさという、主の最も敬愛する部分からの言葉に対し、遠慮や偽りを以て答える事はタチバナには出来なかった。それを聞いてほっと胸を撫で下ろすアイシスの様子を見て、タチバナはそれが正解だったと感じた。


「ええ。私達にとって最も大切にすべきなのは、自分達の身体だからね。それじゃあ、私は向こうで先程の戦いのおさらいをしているから、準備が出来たら読んで頂戴」


 心からの安堵を感じながら、アイシスがそう言ってその場を離れる。あまりにも多くの出来事があった一日ではあったが、前日から長時間の睡眠を取ったお陰か、アイシスは未だ体力に多少の余裕を感じていた。


 そんなアイシスを見送ると、タチバナはその向上心に本日何度目かの感心をしながら夕食の準備に取り掛かる。今までよりも多量の麦の粉を鍋に入れながら、タチバナは少し心が軽くなった様に感じるのだった。

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