第97部分
アイシスの弁明を聞いたタチバナは、従者として主の意思を尊重する旨を伝える。その話を聴いた事で、アイシスは先程のタチバナの暴言の理由を理解する。成程、確かにタチバナとナイフの動きがどれ程速くとも、彼我の距離が離れ過ぎていては、敵の攻撃の方が先に当たってしまうという事か。つまり、タチバナは私が無茶な真似をした事自体に怒ったのではなく、自身が私を助けられない状況になった事を歯痒く思ってくれたのか。
無論、他者の心中を正確に知る事など出来ないが、そう思うとアイシスは胸の奥から嬉しさが湧いて来るのを感じた。だが、あくまでそれは自身の想像であり、ぬか喜びであったら恥ずかしい。そう思ったアイシスは、真顔を保つように努めながら口を開く。
「……分かったわ。まあ、そんな都合の良い状況はそうそう無いとは思うけれど。それじゃあ、続きをお願い」
だが、実際にはアイシスは顔のにやけを抑え切れておらず、何とも中途半端な表情を浮かべて話していたのだった。当然タチバナはそれを怪訝に思ったが、特にそれを指摘する事はせず、主の要望に応じる為にその口を開く。
「……かしこまりました。それでは、回避の訓練を実戦でする事自体には、問題は無かったとして話を進めて参ります。お嬢様は先程の戦いで、最後まで小鬼の攻撃を受ける事はございませんでした。更に、回避を重ねる毎に動きの無駄も減っており、それらの点に於いては見事な戦いであったと言えるでしょう。ですが、実戦を見据えての訓練であるならば、やはり回避の後に攻撃に繋げる意識は必要であったと思われます」
そうしてタチバナが次の問題点を指摘する頃には、アイシスも真剣さを取り戻していた。タチバナの言葉を食い入るように聴き、その真意をより深く把握する為に質問を試みる。
「えっ。でも、回避の訓練なのだから別に良いんじゃないかしら? 黒星が貴方の攻撃を躱し続けた時の様な場面を想定していたのだけど」
自分よりも遥か格上の戦いであったとはいえ、あの戦いを参考にしての試みを問題点として指摘された事は、アイシスにとって意外な事であった。だが、タチバナが指摘した時点で、アイシスにそれを疑うつもりは毛頭無い。あくまでその理由を問う為に、自らの行動の意図を説明する。
「成程、いきなりあのような真似をされたのはそういう訳でしたか。……そうですね、お嬢様の今の問いにお答えするならば、場合による……と言った所でしょうか。ですが、あの時の黒星殿を参考にするのであれば、先程の様な避け方では不十分であると言えます。何故なら、あの時の黒星殿は確かに回避をし続けていましたが、実際にはその都度私への攻撃の機会を窺っておりましたので」
そのアイシスの問いに、タチバナも真剣に答える。黒星側が回避に専念していた様に見えたあの戦いにも、水面下でそんな遣り取りがあったとは。アイシスは自身とタチバナや黒星の差を痛感しながらも、それを少しでも埋めようと黙してタチバナの言葉の続きを待つ。
「では、黒星殿が何故そうしていたか……つまり、何故回避の際に攻撃に繋げる意識を持つ必要があるのかを説明致しましょう。それは、攻撃をして相手を行動不能にしない限り、戦いに勝つ事は出来ないからです。此方が回避のみを続けるという事は、相手だけが攻撃を続けるという事。言い換えれば、相手だけに勝利をする機会があるという事です。実戦に於いてその様な状況は避けるべきである事は、改めて申し上げるまでも無いかと思われます」
タチバナの説明を、アイシスは何度も頷きながら聴いていた。旅に出た当初の様に理解に詰まる事も無く、それらを自分の知識に吸収していく様は、この短期間でのアイシスの成長の度合いを表していた。
「そして、相手の勝利とは自身の敗北を意味し、多くの場合にそれは死を意味するでしょう。ですので、戦闘に於いて攻撃が可能な時、より正確に言えば、攻撃をして十分なダメージを与える事が見込める時には、積極的に攻撃を仕掛けるべきなのです。故に実戦を見据えるならば、回避の後には攻撃を意識すべきだと申し上げたのです」
そこで、タチバナは一度口を閉じる。アイシスはこれまでの話を、大切な知識として必死でその頭に刻み込んでいたが、未だ説明が為されていない事がある事に気付いていた。
「……成程ね。大体は理解した……とは思うんだけど、さっき『場合による』みたいな事を言ってたわよね。それはどういう事なのかしら?」
アイシスがそう尋ねると、タチバナは感心したような表情を浮かべて口を開く。尤も、目の前のアイシスですらその変化には気付かなかったが。
「はい。先程の話にも、世の多くの物事がそうである様に例外がございます。一つは、それが一体一の戦いではなく、他者による援護が期待出来る場合です。先程の戦いで例えるならば、私が小鬼に攻撃を仕掛けるのを待つ場合ですね。そういう場合であれば、より確実に自身の安全を確保する為に、回避に専念をする事は悪い事ではございません。そしてもう一つは……お嬢様、お分かりになりますか?」
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