第99部分

 食事の準備をタチバナに任せ、アイシスは少し開けた場所に立って目を閉じる。そうして先程の戦いの記憶とタチバナの助言を思い浮かべると、アイシスは目を空けてレイピアの柄に手を掛ける。一つ深呼吸をしてからそれを引き抜き、目の前に先程の小鬼が居る事を想像して構える。


 その事について特殊な才能を持たないアイシスは、それが実在するかの様な想像が出来た訳ではない。それでも、アイシスは記憶を頼りに小鬼の動きを再現し、それが実際に迫っている体でそれを回避する様に動く事を繰り返す。無論、タチバナの助言通り、その度に構えを整えて攻撃をする事を意識しながらであった。


 だが、アイシスは実際に突き等の攻撃動作をする事は無かった。自分には、自身でも意外な程に戦闘に向いた才がある。これまでのいくつかの経験から、その事にはアイシス自身も気付いていた。だが、それでも自分は未だ駆け出しの冒険者である。アイシスはその様な考えから、あくまでも一段階ずつ自身を鍛えるべきだと、先ずはタチバナに指摘された部分を改善しようとしているのだった。


 その様子を、タチバナは夕食の準備をしながらも随時見守っていた。そのアイシスの動きから、タチバナはその思考をある程度は読み取る事が出来ていた。一つずつ課題を解決していく、という様な事を考えているのだろう。そう予測しながら、タチバナはそれを少しだけ可笑しく思っていた。実際には、既にいくつもの段階を飛ばして成長しているのに、と。


 そうしてアイシスが汗を流している間に、辺りはすっかり薄暗くなっていた。徐々に疲労感を覚えていたアイシスもそれに気付き、そろそろ休もうかと思っていた時だった。


「お嬢様。夕食のご用意が出来ました。適当な所でお切り上げになって下さい」


 タチバナの呼ぶ声が、アイシスの耳に届く。こうして食事の時を知らせる声が、アイシスにはとても嬉しく感じられた。それは単に空腹を満たせる事が嬉しいのかもしれないし、その美味を期待しての事かもしれない。或いは、晩年の少女は満足に食事も出来なかった為かもしれないし、それ以前から、少女にとっての食事とは、自分のベッドに運ばれて来るものだったからかもしれない。実際の所は本人にすら分かっていないが、アイシスはこの声がとても好きだった。


「分かったわ。直ぐに行くわね」


 そして、そう返事して食卓に向かえる事も、アイシスにはとても嬉しい事だった。その感情から自然にもたらされる笑顔を浮かべて、アイシスがタチバナの方へ歩いて行く。すると、竈の上に載せられた鍋から湯気が上がる光景がその目に入る。同時に食欲を刺激する匂いが鼻腔に届き、アイシスは自身の腹部が小さく鳴るのを感じた。


「それでは、盛り付けてしまいますね」


 アイシスが付近まで来た事を確認し、タチバナがそう言って鍋の中身を皿へと移す。気になったアイシスがそれを覗き込むと、そこには白い塊と干し肉、そして野草が煮汁と共に入っていた。すいとん……かしら。盛られた皿や汁の色、またその中身の具も少女が知るそれとは随分異なっていたが、その白い麦の粉の塊は少女にその名前を想起させた。


 そうしてトレーの上に二つ並べられた皿には、片方に倍近い量の中身が入っていた。自分達はそう変わらぬ体格であるのに、食事の量にこれだけの差がある。それがなんともシュールに感じられ、アイシスは思わず笑ってしまいそうになる。だが、それは自身の求めに応じて隠し事を明かしてくれたタチバナに対し、とても失礼な事だろう。そう思ったアイシスは、その笑いを自身の胸に仕舞い込むのだった。


「それじゃあ、頂きます」


「……頂きます」


 各自に箸と皿を持って席に着いた二人が、それぞれ食前の挨拶をする。手に持った新たなタチバナの料理に箸を付ける前に、アイシスはそれを見て若干の物思いに耽る。今までの言動から推察する限り、タチバナは必要な栄養を摂取する事を食事の最大の目的としており、その調理方法にはあまり拘る方ではないだろう。にもかかわらず、限られた材料でこうして新たな料理を用意したのは、恐らくは私の為である。


 その事への感謝を胸に浮かべながら、アイシスは箸で先ずはすいとんを掴む。そしてそれを口に入れようとした時にふと目に映ったタチバナは、既に完食をしている様だった。魔法を使えないなんて嘘でしょう。そんな事を思いながら、アイシスはそれを口にする。


「おいひい」


 それを口に含んだまま、アイシスは思わずそう呟く。干し肉が出汁の役割を果たした所為か、炭水化物の甘さや塩味だけでない旨味が口の中に広がっていた。そのもちもちとした独特な食感も、少女が目覚めてからは初めてのものであり、アイシスはそれらに感動を禁じ得なかった。


 その後もアイシスは各具材の味や食感を、それぞれ楽しみながら食事を進める。最早それが食事毎の恒例であるかの様に、タチバナはそれを何となく眺めていた。自身とは全く違う、アイシスの幸せそうな笑顔。それを見ていると、タチバナは胸の奥にまたも知らない感覚を覚える。だが、それが悪いものではない事は、もうタチバナにも十分に分かっていた。

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