第84部分

「へぇ。勇者って言うからもっと凄い人なんだと思っていたけど。それにしても、やっぱりタチバナって凄く強かったのね。で、どうなのタチバナ? 実際の所は」


 緩んだ表情でアイシスが言う。自分にとって身近な人物が他の人より優れている。それを嬉しがったり誇りに思ったりするのは人にとって自然な感情であろう。些か物騒な部分に於いてではあったが、アイシスにとっての此度のタチバナも例外ではなかった。


「……瞬く間に、は流石に大げさかと。ですが、以前お見掛けした際の印象からの推測では、実際にそれに近い事は可能かと思われます。あくまでも此度の戦いの様に不意打ちから入った場合ですが。そうでない場合は、もう少し時間が掛かってしまうでしょう。……言うまでもないとは思いますが、実際にそうするつもりはありませんのでご安心を」


 以前受けた命令通り、少し軽めの敬語を用いてタチバナが答える。普段通りの淡々とした話し方ではあったが、その内心には多少の感情の動きがあった。現在のタチバナにとって、勇者とは敬愛する主を追放した者であり、その仲間の女性二人はその直接の要因である。当然ながらあまり良い思いは抱いておらず、それらを想像の上で血祭りに上げるのは悪くない気分ではあった。


「流石はタチバナね。でも、あの人達はそんな戦力で旅に出ていて大丈夫なのかしら。昨日の私達みたいに魔物に囲まれたりしたらやられちゃうんじゃないの?」


 アイシスが彼女から見れば当然の疑問を呈する。自分が足を引っ張っていたとはいえ、昨日の件ではタチバナですら苦戦したのだ。そのタチバナに瞬殺されるであろう者達が旅を続ける事は、アイシスには危険だと感じられた。その質問にタチバナが答えるより早く、黒星が口を開く。


「先の話は、あくまでも直接戦った場合の話だ。奴等は魔法の使い手であるからな。魔物の相手をする分には、余程強大な者でない限りは問題あるまい。それを予測して躱す事が出来る我や、遠距離から即死級の攻撃を繰り出すタチバナの様な者と出くわし、かつ戦う羽目になる事などそうは無いであろう。それよりも……」


 そこで黒星が一度言葉を区切る。常に堂々とした態度で話していた黒星にしては珍しい。聞き手の二人は同時にそう思ったが、どちらも黙して続きを待つ。


「昨日、魔物に囲まれたと言っていたな。周囲の魔物の気配を読む限り、其方等が苦戦する様な魔物が居るとは思えぬ。という事は、その魔物は我がこの地方に来た影響でお主等の前に現れたのであろう。その……悪かったな」


 黒星の口から出たのは、まさかの謝罪であった。予想外の言葉に二人して一瞬固まるが、その後各々のタイミングでそれについて考える。確かに下手をすれば命を落としかねない状況ではあった訳だが、それがあったからこそ手にしたものも多い。それは両者共に共通の見解であり、タチバナが立場上発言を遠慮した為にアイシスが口を開く。


「……良いのよ、気にしていないわ。さっきの戦いの事もね。まあ、タチバナが怪我でもしていたなら話は別だったけど、結果としては二人共無事だった訳だしね。それにしても意外だったわ、貴方がまさか謝るなんて。いきなり現れて『戦え』なんて言う位だから、もっと傍若無人なんだと思っていたわ」


 アイシスが黒星に向けて話す。やや嫌味も含む内容ではあったが、その口調はまるで友人に向けるかの様であった。それを聞いた黒星は、二度瞬きをしてから口を開く。


「……我は戦いにのみ愉悦を感じ、自身の強さのみを追求する。その為には先程の様に強引に戦いを挑む事もあるが、だからと言って礼儀を知らぬ訳ではない。だが、意外であったのは我も同じだ。そうも簡単に許されるとは思っていなかったからな」


 いや、出会った時は十分に無礼だったわよ。黒星の話を聞いたアイシスは真っ先にそう思ったが、それは呑み込んで口を開く。


「まあ、お陰で得る物もあったからね」


 アイシスが言葉を返す。会話をしている二人の距離は先程から自然と近付いており、もし黒星が急襲してきた場合にはアイシスを護るのは難しい。そうタチバナが判断する距離になっていたが、タチバナがそれについて警戒をする事は無かった。タチバナにそうさせたのはノーラに続いて二人目であったが、その判断の理由は本人にもはっきりとは分かっていなかった。


「……それは、其方が隠している力の事か?」


 黒星が言う。その内容にタチバナは一瞬だけ緊張感を高めるが、当のアイシスは何も気にする風ではなかった。


「あら、気付いていたのね。まあ、それもその一つではあるわ」


 アイシスが容易く言い放つ。最早アイシスからは黒星に対する警戒は一切感じられなかった。仮にも戦いを繰り広げた自身は兎も角、アイシスが何故黒星をそれ程に信用しているのかがタチバナには不思議だった。だが、考えてみれば戦っただけで信用している自分もおかしい。そう思ったタチバナは人知れず自身を鼻で笑うのだった。

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