第85部分

「我を初めて目にした時から、其方は妙に落ち着いていたからな。それと其方から微かにだが感じる魔力を合わせて考えれば、我を退ける何かしらの手段を持っているであろう事は容易に想像する事が出来た。……実際にそれが可能かは措いておくがな」


 その黒星の言葉を聞き、アイシスは感心した様に頷く。他者との関わりそのものにさえ若干の恐怖心を抱いていた少女は何処に行ったのか、高い戦闘力を持つ魔族と話していてもその様子には怯えや遠慮は感じられなかった。この短期間に味わった数々の経験が、アイシスを精神的に成長させたのか。それは間違いないだろうが、より増大したのはタチバナへの信頼であった。タチバナが黒星を信用している。それだけの理由で、先程まで敵であった相手を全面的に信用出来る程に。


「成程ね。いきなり現れて『戦え』とか言う位だからさぞ脳筋なんだろうと思っていたけど、中々の洞察力と思考力を持っていたのね」


 アイシスそう言うと、黒星が少しだけ首を傾げながらも直ぐに言葉を返す。


「当然だ。戦いに於いてその二つの能力は魔力や身体能力と同等、いやそれ以上に大切なものであるからな。そしてその点に於いては、其方の従者は我をも凌いでいるだろう。その若さで大したものだ……異常と言っても良い程にな。一体どのような……いや、止めておこう。ところでだが、のうきん? とはどういう意味なのだ?」


 黒星が話すのを、アイシスはうんうんと頷きながら聞いていた。それは先程のものとは異なり、積極的な同意を表す様に少し大きな動作で行われていた。終わり際には少し首を傾げる部分もあったが、その後直ぐに黒星が疑問を呈した事で、アイシスの興味はそちらへと移っていた。


「ああ、脳まで筋肉で出来ている、の略よ。魔族の間では使わない言葉だったかしら?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべてアイシスが黒星の疑問に答える。だが、その言葉にはタチバナも聞き覚えは無かった。言われてみれば納得する言葉ではあるが、アイシスは何処で知ったのだろうか。主が偶に妙な事を知っている事をタチバナは少し不思議には思ってはいたが、それを詮索するつもりは無かった。ただ、主の博識さに感心するのみであった。


「初めて聞く言葉ではあるな……というよりそれは罵倒ではないのか? 其方は我に挑戦したいと言うのか?」


 黒星が少しだけ声の圧を上げて言うが、本気で言っている訳でない事はその場に居る全員が分かっていた。


「いえ、愛称とか冗談の類の言葉……の筈よ、多分」


 その言葉を言い出した当の本人も、かつてインターネット上で知った言葉を引用しただけに過ぎなかった。それ故にアイシスは、最後に確定した情報では無い事を示す言葉を付け足す。それを聞いた黒星は、呆れた様に両手を開いて広げる様な仕草を見せながら口を開く。


「……まあ良い、今日は十分に楽しませて貰った。故に、我はそろそろ去るとしよう。其方等の旅にも目的があるであろうに、邪魔をして悪かった。タチバナよ、其方とはまた戦いたいものだな。アイシスよ……タチバナに良くしてやってくれ」


 やや唐突に黒星が別れを切り出すと、アイシスは少し寂しい様な気持ちを感じる。ノーラの店を後にした時に感じたものと似た感情を抱えながら、アイシスは考えていた。自分達それぞれへの言葉を贈られたからにはそれぞれで返すべきだが、その内容も含めて自分には言いたい事がそれなりにある。であれば、先にタチバナが言うべきだろう。そう判断したアイシスがタチバナに目で合図をすると、タチバナはゆっくりと口を開く。


「……私はそれはご遠慮申し上げておきます……が、本日の経験は貴重なものではございました。……私からは以上です」


 タチバナが珍しく歯切れの悪い様子で言う。それを聞いていたアイシスには、言葉に詰まるというよりは、言おうとした事を吞み込んでいる様に感じられた。きっと黒星は、タチバナにとっても初めてのタイプの存在だから戸惑っているのだろう。そんな事を思いながら、アイシスは次に話す事を考えていた。


「貴方に言いたい事はいくつかあるけれど、先ずは一つ。タチバナに良くして貰ってるのは私の方よ。でも貴方に言われるまでもなく、タチバナの為に出来る事があるのなら、私は何だってするつもりよ」


 アイシスが勢い良く話し始めるが、そこまで言った所で自分が恥ずかしい事を言った事に気付き、顔を一気に真っ赤に染める。以前の少女であればそこで言葉を噤んでしまったかもしれないが、咳払いを一つ挟むとアイシスは言葉を続ける。


「それで次だけど。いきなり現れて戦えとか言い出したと思ったら、今度はいきなり帰るって、流石に勝手過ぎないかしら? よくそれで礼儀を知っているなんて言えたわね。まあ、それでも私は貴方が意外と嫌いじゃないけど」


 アイシスが今度は黒星への文句を続ける。とはいえ、根本的に種族が違うのだから文化が違っていてもおかしくはない。それ位はアイシスも承知しており、これらの文句も本気で嫌に思っている訳ではなく、次に話す事への繋ぎの様なものであった。

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