第77部分

 薪を集めたアイシスがテント前まで戻ると、そこには見覚えがある風景が広がっていた。先程まで居た場所なのだから当然ではあるのだが、石で組まれた簡易的な竈やそこに置かれたトレー、そしてその上の白い塊もつい一昨日に見た覚えがアイシスにはあった。それがこの世界、少なくともこの辺りでは標準的な食べ物なのだろう、ある民族が白いご飯を毎日食べるのと同様に。そう考えたアイシスだったが、異世界ならではの多様な食に多大な期待を寄せていた故のほんの少しの落胆は感じざるを得なかった。


「戻ったわ」


「お帰りなさいませ。それでは直ぐにご用意致しますので少々お待ち下さい」


 帰還の挨拶をしながら、アイシスが竈の前で待機していたタチバナに持ち帰った木の枝と枯れ草を渡す。同じく挨拶をしながらタチバナがそれを受け取り、火打石で手早く火を点ける。それは直ぐに燃え広がり、やがて料理をするのに十分な大きさになった。その頃、タチバナの声を聞いたアイシスは先程の自身の思考は食事を用意してくれる従者に対して失礼であったと心の中で反省していた。


 その後、アイシスが石に腰掛けてぼんやりと過ごしていると、やがてパンの焼ける香ばしい匂いがその鼻腔をくすぐる。それはアイシスの空腹を刺激し、その意識を現実に引き戻した。そろそろ焼ける頃かしらと竈の方を見ると、丁度タチバナがパンを火から離す所だった。それを見た事で頭の中に一昨日それを食べた時の味が甦り、いよいよ空腹を我慢する事が難しくなっていたアイシスだったが、別の事を考えるのに集中する事でそれを誤魔化す事を試みる。


 曲がりなりにも強力な魔法を習得……と言って良いかは分からないけど使えるようにはなった。でもタチバナも言っていた通り、使う度に倒れちゃってたら仕方ないし、そもそも効果を考えると魔物の殲滅くらいにしか使えず、汎用性は殆ど無い。だから当面の目標はやっぱりノーラに紹介して貰ったエルフのバ……お婆さんに魔法を教えて貰う事で良いわよね。そんな事をアイシスが考えていた時だった。


「お嬢様。干し肉も含めて焼き上がりましたので、冷めてしまう前に頂きましょう」


 目論見通り、考え事をしている間に昼食が用意出来た旨をタチバナが伝える。


「ええ、分かったわ」


 そう答えたアイシスが視線を下方に向けると、例によって金属のトレーの上にはパンと干し肉が刺さったナイフがそれぞれ二本ずつ置かれていた。待ってましたとばかりにアイシスがそれを一本ずつ手に取るが、まるで自分が食いしん坊になったみたいで思わず顔がにやけてしまう。


「頂きます」


 二人同時にそう言うと、アイシスは先ず右手のパンを口に運ぶ。敢えて以前よりも大きく噛り付くと、その味わいもまた違って感じられた。無論、実は製法が違っているとかそうでなくとも材料の分量や火加減が前回とは異なっている等の可能性もあったが、そんな事は最早どうでも良かった。空腹時に感じる糖質の甘味はやはり至福であり、それを支障無く食べられるという幸せをアイシスはパンと共に噛み締めていた。


 当然の様に既に食べ終えていたタチバナはその様子を何となく眺めていたが、アイシスの満面の笑みはその胸にまた正体不明の感情を湧かせていた。アイシスと旅に出るまでは知らなかったそれを、此処最近で既に複数回感じている。その正体が気にならない事はなかったが、タチバナはそれについて深く考える事はせず、自らが焼いたパンと干し肉を交互に頬張るアイシスをただ眺めていた。


「ご馳走様でした……ってどうしたの、タチバナ。私の顔に何か付いてる?」


 空腹と美味しさから一気に食べ終え食後の挨拶をしたアイシスが、その際にタチバナの視線に気付いて問い掛ける。珍しくぼうっとしていたタチバナは表情こそ変えていなかったが、実の所はこれまた珍しく答えに窮していた。まさか自分が声を掛けられるまで状況の変化に気付かないとは。そもそも特に理由も無く特定の人間を眺めていた事自体がおかしい。そんな事を思いながらタチバナがアイシスの問い掛けへの答えを急いで考える。


「……いえ、その……私が用意した昼食のお味は如何でしたか、と思いまして」


 本当は食物の味などにそこまで拘りは無い事を隠してタチバナが言う。自身は食事を必要な栄養を摂取する為のものとして割り切ってはいるが、不味いよりは美味い方が当然良いと思っているし、従者が主に出す食事の味を気にするのは当たり前の事でもある。よって主に偽りを述べた事にはならないだろう。そう考える事でタチバナは自分の職業意識を誤魔化す。


「ああ、そういう事? とって――まあ、美味しかったわよ。下手にソースとかで誤魔化すよりもこういう単純な味付けの方が好みかもしれないわね」


 そんなタチバナの考えなど知る由も無いアイシスが正直に答える。ずっと眺めていた表情から概ね予想出来ていた答えであったにもかかわらず、タチバナの胸にはまたあの感情が湧いていた。アイシスのお陰で迷いが消えて本来の自分を取り戻した筈だが、アイシスの所為で何だか調子が狂っている。そう考えるタチバナだったが、何故かそれが悪い事だとは思えないのであった。

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