第71部分

「アーティファクト?」


 タチバナの話を聞き終えたアイシスが間髪を入れずに聞き返す。その言葉には聞き覚え、いや見覚えがあったが、それが何を意味するかは直ぐには思い出せなかった。


「はい。以前読んだ書物によれば現在の技術では再現出来ない、強大な力を持つ魔道具や武器の事をそう呼ぶそうです。それは古代文明の遺産だとも異世界からの漂着物だとも言われていますが、実際の所は分かっておりません。正直に言ってしまうと私も風説や伝説の類だと思っていたのですが、昨日のあの力……時間を停止する等という現象を見てしまっては、そう一笑に付す事も出来ないでしょう」


 ああ、遺物(アーティファクト)か。タチバナの説明を聞いた事で、少女もいつか書物で読んだ知識を思い出す。実際にあの時計を見付けた時、骨董屋の店主やこれだけ博識なタチバナでさえそれを時計だと認識していなかった事を考えれば、タチバナの語った説のどちらかが真実である可能性は高いとアイシスには思えた。


「とはいえあの時計が実際に遺物であるかは未だ不明ですし、仮にそうであったとしてもそれが分かっただけでは特に意味はありません。ですが、もしあれが遺物であった場合、この世界には他にも遺物が存在するという事になるでしょう。それがどの程度の数なのかは分かりませんが、先達ての事を鑑みれば、それらの声を再びお嬢様がお聞きするという可能性は否めません」


 確かにその通りかもしれない。タチバナの話を聞いてそう思ったアイシスはタチバナの思慮深さに感服する。それを語るタチバナの表情は心なしか厳しく見えたが、アイシスには朗報にしか聞こえなかった。


「成程、確かにその通りかもしれないわね。という事は時間停止に匹敵する魔法を、他にも使えるようになるかもしれないという訳よね。まあ、あの時計の声が私にだけ聞こえたのも単なる偶然かもしれないけれど、少し期待しちゃうわね」


 アイシスがその言葉通りに期待に満ちた声でそう言うと、タチバナが溜め息を一つ吐く。今までも一呼吸置いてから話し始める事はあったが、明白に呆れているといった態度でのそれは初めてだった。自身の何に対してタチバナが呆れているかをアイシスには分からなかったが、その様子から彼我の距離が縮まっている気がして嬉しく思う。その反面、仮にも主である自身に対する態度としてはどうかとも思ったアイシスがもの言いたげな視線をタチバナへと送ると、息を深く吸ってからタチバナが口を開く。


「……お嬢様。確かに昨日はお嬢様の、そして恐らく遺物であろうあの時計の魔法により私達は事なきを得る事が出来ました。そして他の遺物を手に入れればそれと同等の魔法を使用出来るかもしれません。ですが、あの魔法を使用したお嬢様はその直後に倒れてしまいました。お嬢様は疲れただけだと仰っていましたが、それも確かではありません。仮にその通りだとしても、倒れてしまう程の疲労を一時で蓄積してしまう事はお嬢様の身体に強い負荷を掛けてしまいます。強大な力にはそれ相応の代価が掛かるという事でしょう。他の遺物から得られる魔法も同等の力があるとすれば、やはり同等の代価があると考えられます。であれば、仮に他の遺物を入手したとしても、それらがもたらす魔法をお嬢様にはくれぐれも軽々に使用しないで頂きたく存じます」


 その長い言葉をタチバナが一息で話し終えるまで、アイシスはその迫力に一言も挟む事が出来なかった。言っている内容は至極尤もなものであり、かつ主の身を案じている事が良く分かるものであった。アイシスは自分の軽口を心の中で反省すると、息継ぎをしたタチバナが続けて口を開く。


「……その度に倒れられたり半日以上も眠られていては堪りませんので」


 その取って付けた様な言葉を聞いたアイシスはにっこりと微笑む。その意図は正確には分からないが、それが空気が重くならないようする為の冗談であれ、先程あれだけの熱を持って主である自分の身を案じた事への照れ隠しであれ、それを口にしたタチバナを可愛く思った為である。そして同時に、薄々と感じていた事がアイシスの中で確信に至る。


 今朝目覚めてからのタチバナの様子は、やはり前日までと明らかに違っていると。先の雇用の話から考えても、自分が眠っている間に何か心境の変化があったのだろう。そうアイシスは思ったが、それを問い質す様な事をするつもりはなかった。今まで色々と誤魔化そうとはして来たが、どう考えても今の自分は以前のアイシスとは異なっているだろう。それについて何も問わずに今まで付いて来てくれている従者に対してそんな事は出来ないし、そもそもそれは自身にとっても悪い変化ではないのだからそんな事をする必要も無い。そんな事を考えながらアイシスが口を開く。


「分かったわ。もし遺物の声がまた聞こえたら探しには行くけど、わざわざそれを目的にする必要も無いでしょう……少なくとも今の所は。もし手に入れたとしても、昨日みたいな事にならない限りは使わないわ。貴方の言う通り、その度に倒れていたら大変だしね。まあそもそも、昨日もいよいよ不味いという時になるまで声が聞こえる事は無かったから、いつでも使えるのかどうかも分からないけれど」


 こうして色々な話をしている間、アイシスは兎に角楽しかった。その間にも様々な感情の変化を味わったが、それでもずっと楽しさは感じていた。長い年月を独りで過ごしていた少女にとって、誰かと話をして笑ったりする事自体が夢の様であったが、相手がタチバナである事がその一番の要因である事は本人も気付いていた。そしてこの時間が長く続く事を、胸の中で小さく願うのだった。

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