第67部分
「そこまで言うなら特別に私の従者として雇ってあげるわ。……改めてよろしくね、タチバナ」
タチバナの申し出があまりに嬉しかった事を隠そうと訳の分からないキャラ作りをしていたアイシスだったが、その申し出を承諾する旨を伝えた所で素に戻り、雇用関係を新たに結んだ事で改めて挨拶をする。
「はい。これからはお嬢様のみを主と仰ぎ、その助けとなるべく尽力させて頂きますのでよろしくお願いいたします。……お嬢様、如何なさいましたか?」
すると当然タチバナもそれを返すのだが、それを聞いていたアイシスは首を捻り、それを見たタチバナが主にその意図を尋ねるとアイシスは語り始める。
「いえ。良く考えたらハシュヴァルド家の従者を辞めたなら、別にわざわざ私の従者になる必要は無いわよねと思って。貴方の能力ならどんな仕事でも上手くやれるでしょうし、このまま私と共に行くとしても別に主従関係である必要は無いでしょう。何なら能力も年齢も上な貴方の方が立場が上な方が自然じゃないかしら? だって冒険者として生きていくならハシュヴァルド家の名前も殆ど意味は無いし、私個人に貴方が仕える程の――」
「お嬢様」
そのアイシスの言葉をタチバナは黙して聴いていたが、自身の言葉によって主がその表情を曇らせ始めた所でそれを遮る様に口を挟む。その意外な行動によってきょとんとした顔で自身を見つめるアイシスに向け、タチバナが再び口を開く。
「私はお嬢様の従者でありたいと思っております、それが理由では足りないでしょうか? そして私がそう思うのは、貴方がそれに足る素晴らしい方だからこそでございます。ですからどうか、いつもの様に自信をお持ちになって下さい」
そのタチバナの励ましを聴き、そこで初めてアイシスは自分が無駄に悲観的になっていた事に気付く。同時に自身の頬が紅潮している事にも気付いたアイシスは、此処は曖昧に笑って誤魔化す事にする。
「いえ、貴方がそれで良いなら――」
アイシスがそこまで口にした所で、その腹が派手な音を鳴らす。それによってアイシスの頬は更に紅潮し、その頭の中はそれを誤魔化す事と空腹感で塗り替えられる。
「……それではお嬢様、私は直ぐにお食事をご用意させて頂きますね」
主の空腹を察したタチバナがそう言うが、その時のタチバナの表情がアイシスには少し微笑んで見えた。その瞬間にアイシスの頭の中が今度は喜びで埋め尽くされるが、その後直ぐにタチバナはテントの外へと向かってしまう。あまりにも一瞬の出来事だった為にアイシスはそれが気のせいだった様にも思えてくるが、もし気のせいでないなら少々の恥をかいた甲斐はある。そうアイシスは思うのだった。
一人テント内に残された自身の腹が再び音を立て、アイシスは自分が暫くの間何も食べていない事を思い出す。テントの布越しに感じる日差しからは既に夜が明けている事が分かり、そこでアイシスは自分が随分と長く寝ていた事に気付く。状況を改めて整理しようとしたアイシスだったが、空腹に支配されつつある頭では物事を上手く考える事が出来ず、取り敢えずはテントから出る事にする。
そう決めたアイシスが入り口付近に置かれていた自身の靴を持ち、テントの入り口を開ける。すると日の光がそこから差し込み、本日もアイシスはその眩しさを体感する。暫くの間はそれを感じる事も無い生活をしていた少女にとっては、三日目でも十分に新鮮な体験のままだった。
アイシスが外に出ると、今朝も穏やかな陽気を感じる事が出来た。タイミング良く爽やかな風が吹き、目を閉じて全身でそれを感じる。ただでさえ長期の入院でそれを感じる機会が無かった上に、つい昨日には生命の危機にまで陥った事で、アイシスにはそういった何でもない事がより愛おしく感じられた。それはいつかまた当たり前のものになるのだろうが、今はそれを大切にしたい。アイシスはそう思った。
やがて風も止み、目を開いたアイシスはそこで漸くタチバナが近くに居ない事に気付く。ほんの一瞬だけ不安に駆られそうになったアイシスだったが、直ぐに果物でも探しに行っているのだろうと理解した時だった。
「お待たせ致しました」
そう言いながらタチバナがアイシスの目の前に現れる。その両手には数種類の果物が握られていたが、アイシスにはタチバナがどの方向から現れたのかも、どうやってその果物を落とさずにいるのかも分からなかった。
「お帰りなさい」
だがその類の事はもう気にしても仕方が無いと悟ったアイシスはそれらには言及せず、従者を適当に労う。そしてその果物を見ながら、もっとこう、お腹が膨れる物が食べたかったと思ったが、人に食事を用意して貰っておいてその内容に文句を言う様な神経をアイシスは持ち合わせていなかった。
「……お嬢様が空腹でおられる様でしたので少しでも早く召し上がって頂けるようにと果物をご用意致しましたが、お気に召されませんでしたか?」
しかしアイシスの配慮も空しく、タチバナがそれを見透かしたかの様に言う。
「いえ、そんな事は無いわ。寧ろそこまで配慮してくれてありがとう」
そんなに恨めしそうに見ていただろうかと思いながら、アイシスは慌ててそれを否定する。確かにパンを焼くなんて事をしていればそれなりの時間は掛かってしまうだろうが、今の空腹状態ではそれを待つ自信がアイシスには無かった。そしてそれに気付かなかった自身と比較してタチバナはやはり優秀だなあとしみじみ思うのだった。
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