第64部分

 タチバナがそう言い放つと、ミスター・サードと名乗った男は苛立ち紛れに舌打ちをする。


「手前だって散々その『下らない事』に加担して来ただろうがよ! それがどの面下げて子守なんかしてやがるんだ、ああ!? そんで組織を潰しただあ? 俺達を殺せずに逃げた癖に何を言ってやがる!」


 そして言葉を返すが、タチバナが移動した事で彼我の距離が多少縮んだにもかかわらずその声は先程よりも大きく、口調もやや荒くなっていた。


「……人は生まれる場所は選べない。だけど生き方を選ぶ事は出来る……それだけの事よ。貴方にもそうする機会はあった筈でしょう。殺せずに逃げた? 同じ境遇の誼で見逃してあげただけよ」


 タチバナも普段とは違い感情を隠さずに話していたが、飽くまでその口調は冷静なものだった。それが癇に障ったのか、男は足を揺らして苛立ちを隠す事が出来なくなっていた。


「相変わらず本当にむかつく奴だな手前はよぉ。いつもいつも上から目線で話しやがって。生き方を選ぶだあ? 餓鬼の頃から殺しの事しか教わってねえ俺達みてぇな奴にそんな上等な事が出来る訳がねえだろうが!」


 男が感情に任せて叫ぶと、それを聞いたタチバナは目を閉じて首を横に振る。それは視覚以外でも動きの感知が出来るとはいえ不用心過ぎる行動であり、当然タチバナもそれを自覚はしていた。にもかかわらず敢えてその行動をしたタチバナが目を開き、口を開く。


「……憐れね。折角の再会だけど、お話はこれで終わりよ。貴方がこれ以上騒いだらお嬢様の安眠の妨げになるわ。でも最後に、貴方が此処に来た目的を果たす為には私をどうにかする必要がある訳だけど、どうするつもりかしら?」


 タチバナが話し終えると、男は再び舌打ちをし、地面を蹴ってから口を開く。


「……こっちは幹部になったとはいえ未だ現役、対する手前は子守なんざをしていた癖に良くそこまで自信満々で居られるな。とはいえ仮にも組織の最高傑作と言われた手前とタイマン張る程俺も馬鹿じゃねえ。まあ他の獲物でも探すとするさ。じゃあな、精々夜道にゃ気を付けな」


 男がそう吐き捨て、背を向けて歩き出した時だった。男が突如振り返り、それと同時に左手でナイフをタチバナに向けて投げる。完全な不意打ちであったにもかかわらず、タチバナはそれがテントではなく自身に向けたものだと分かるとそれを最小限の動きで躱す。会話をしていた時からタチバナはこの様な事が起きる可能性を考慮してテントと男の間に自身が入らない様に位置を調整していたのだった。


 しかし男もそこまでは想定しており、投げたナイフの後を追う様に自らも右手でナイフを持ってタチバナに迫っていた。最小限の動きであったとはいえ最初のナイフを躱した事で僅かにバランスが崩れているタチバナの胴体の中心部を目掛けて男がナイフを突き出す。その軌道を予測したタチバナがそれをも最小限の動きで躱し始めた時だった。


「死ね!」


 男がそう叫びながらナイフの柄に仕込まれたスイッチを操作すると、ナイフの刃先がバネの力で飛び出す。タチバナの動き出しを見ていた男はこの刃の急加速には対応出来ない筈だと勝利を確信する。だがタチバナはそこから更に加速をしてそれを躱し、勢い良く突進していた男はタチバナとすれ違う形になった後、バランスを崩して派手に転ぶ。必殺の筈の手段を躱された男が焦りながら態勢を立て直して振り返り、刃を失ったナイフを捨てて新しい武器を取り出そうとした時だった。


「う、腕が! 俺の腕がぁ!!」


 自らの手首から先が存在せず、その切り口から血が噴き出している事に気付いた男が左手でそれを押さえながら叫ぶ。タチバナが躱し様に腰からナイフを抜き、右手を斬り飛ばしていたのだった。急所を狙う事も不可能では無かったが、より確実に反撃を防ぐ為にタチバナは伸び切った腕を狙った。タチバナが自分を見下ろしながらゆっくりと近付いている事に気付くと、男はそれを見上げて必死で後退りしながら言葉を紡ぐ。


「ま、待ってくれ! この腕じゃもう戦えねえ! 手前たちを狙うのも止めるし、殺しも止める! だから――」


 男が必死で命乞いをするが、それを言い終える前にタチバナが無情にも男の喉を切り裂く。喉から血が噴き出し、失血で力を失った男がその場に倒れると、死にゆく男の僅かに残っている意識に向けてタチバナが口を開く。


「言ったでしょう、機嫌が悪いって」


 それが男が生涯最後に聞いた言葉となり、男の身体は活動を停止した。此処で見逃しても後に組織ごと自分達の敵となる可能性が高いという事。仮にそうならなくとも他者の命を奪う活動を続けるであろう事。そもそも先に此方を亡き者にしようとしたのは男の方であり正当防衛である事。そして何よりもあの出血ではどの道助からないであろう事。男に止めを刺す理由の説明はいくらでもする事が出来たが、タチバナは敢えてそれだけを口にした。


 たとえどのような理由であれ、殺す側は殺される側に恨まれるものである。それは相手が殺人鬼であろうが魔物であろうが変わらない。ならば死にゆく者にその正当性を伝える事にも意味は無い。それがタチバナの考えであった。


 ともあれこれにて襲撃者は排除した訳であり、従者として速やかにテントの近くに戻るべきである。それが分かっているにもかかわらず暫しの間男の死体をただ見下ろしていたタチバナだったが、やがて一言だけぽつりと呟くと、死体に背を向けてテントへと歩き出すのだった。


「……さようなら、3号」

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