第63部分

 アイシスが夢を見ている間、微動だにせず思考を重ねていたタチバナは既に溜まった考え事の処理を終えていた。一度は馬鹿なと切り捨てた事も含めて考え直した結果、先程の現象はやはりアイシスの魔法以外には考えられなかった。そしてそれが出来た理由についても、骨董屋で買ったあの首飾りが関係しているという結論を出していた。


 周囲の状況や自分達の持ち物等の全てを考慮しても、得体の知れないあの首飾り以外にそれをもたらす可能性がある物は存在しなかった。そして思い返せばそれを入手する前後のアイシスの様子がその性格の急変を差し引いてもおかしかった事を考えれば、それが主に影響を及ぼす何らかの力を持つ魔道具の類であると推察する事が出来た。


 とはいえあれだけの事を魔法の素人である筈のアイシスが引き起こせる様な道具が存在し得るのか。その答えとして思い当たるものをタチバナは知ってはいたが、それは噂程度のものであり実在はしないと考えていた。だがそれについての結論は現状では出し様が無い、として思考を打ち切ったのが未だ少女が夢を見ていた頃の話であった。


 そして現在、タチバナは未だその時の体勢のままでいた。そして周囲への警戒は解かぬまま、自分を責めていた。実を言えば考え事をしている間も断続的に自責の念が浮かんで来てはいたが、その時には別の事を考える方に集中すれば良かった。しかし既に考えるべき事を考え終えてしまった今となっては、その気持ちを誤魔化す事は難しかった。無論、主が言った「自分を責めないで」という言葉をタチバナは記憶しており、それに従おうとはしている。それでもふとした時に自責の念が浮かぶ事を止める事は出来なかった。 


 先のアイシスの言葉通りに狼擬きは本来この辺りに居る筈の無い魔物であり、この道を選んだのもアイシスである。そしてタチバナの五感がどれだけ鋭敏であろうとも息と身を潜めた野生の獣を遠距離から感知するのは難しく、どれだけ腕が立とうとも周囲を取り囲む程の多勢から主を護る事も同様に困難である。少なくともアイシスはこの件を不可抗力だと考えているし、そう思わない人間は世界全土でも些少だろう。


 にもかかわらずタチバナがこれ程までに自身を責めるのには理由があった。タチバナはこの件を不可抗力だと考えておらず、本来であれば防げた筈だと思っているのである。それは事前にアイシスを止めていれば良かった等という事ではなく、自身が本来の力を発揮出来ていればという考えであった。本来であれば狼擬きの待ち伏せをもっと早く看破出来ていた筈であり、そしてあの状況に陥ったとしても本来の……かつての自身であれば主共々無傷で切り抜けられた筈である。そうタチバナは考えていた。


 その考えが事実であるかは最早確かめようは無いが、その考えによってタチバナは自責の念を抱き続けていた。そしてその思いによってタチバナは食事はおろか水分を補給する気にすらならず、ただ同じ姿勢で目を瞑っていた。そうしている間に夜もすっかり更けた頃だった。


「……消えなさい。私は今機嫌が悪いのよ」


 夕方から同じ姿勢で目を瞑っていたタチバナがその姿勢のまま、突如虚空に向けて声を発する。それはアイシスと共に居る時とは全く違った口調であり、その語気も苛立ちを一切隠さないものであった。タチバナが言葉を発してから少しの間は何も起こらなかったが、タチバナが目を開けて遠くにある木の方へ視線を向けると、観念した様にその陰から人影が姿を見せる。


「……恐れ入ったぜ。視覚を使わずにこの距離に居る俺を感知するとはな。こっちは気配を消していたつもりなんだが、流石は組織の最高傑作と呼ばれただけの事はあるなあ、19号さんよ。おっと失敬、今はタチバナとか名乗っているんだったけな」


 人影の正体は身なりの良い、全身黒一色の格好をした若い男だった。男が身振りを交えながら軽い口調で話す。その内容から二人は既知の関係である事が分かる。


「……3号。こんな処に何の用事かしら? ……旧交を温めに来たという訳ではないでしょう」


 タチバナが男の会話に応じ、相手の目的を探る。彼我の距離はかなり離れている上に星明り位しか光源が無い為に薄暗かったが、互いに相手の顔は認識出来ている様だった。そして虫の声や木々の葉擦れといった環境音が響く中であるにもかかわらず、特に大声を出すでもなく互いの声も聞き取れていた。


「そんな昔の呼び名で呼ぶんじゃねえ。今の俺はミスター・サード、手前が組織の爺共を殺して消えてくれたお陰で今や組織の幹部って訳よ。……で、目的だっけか? 南の都市で随分な金持ちの嬢ちゃんが旅に出たって聞いてな、ちょっくら一稼ぎに来たって訳だ。腕が立つメイドが一緒とは聞いていたがな、まさか組織の最高傑作と呼ばれた手前が子守をしているとは。こいつぁ傑作だ」


 男の相変わらず軽い口調の話を聞いたタチバナはゆっくりと立ち上がると、少しずつ前に出ながら口を開く。


「……呆れた。まだあんな下らない事を続けていたの? 折角私が貴方の言う爺共を殺して組織を潰してあげたのに。……まあ良いわ、もう一度だけ言ってあげる。消えなさい。そして二度と私達に近付かないで」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る