第54部分

「それでは此方をお持ちください」


 戻って来たタチバナがそう言いながら左手に持った長い木の枝をアイシスに向けて差し出す。自身の右手にも同様の枝を持っており、それを使って説明をするのだという事はアイシスにも瞭然だった。アイシスがそれを受け取ると、タチバナが少し下がって彼我の距離を調整する。そして踏み込めば枝で攻撃が出来る程度の距離で立ち止まると枝を上段に構えて口を開く。


「お嬢様。私達が決闘をしていると仮定致しまして、私がこの構えから次に繰り出す攻撃はどのようなものだと思われますか?」


 この木の枝を剣と見立ててという話だろうと予想したアイシスがタチバナの問いについて考えるが、剣の扱いなど殆ど知らぬアイシスには最も単純な答えしか思い浮かばなかった。


「どのようなものって、そのまま真っ直ぐに振り下ろすんじゃないの?」


 それしか思い付かなかった答えをアイシスが口にするが、最短距離を走るその攻撃が最も効率が良いだろうとも思えた。


「その通りです。この構えからはこうして真っ直ぐ振り下ろすのが最も速く、そして威力が出る攻撃だと言えます」


 タチバナが実際に木の枝をゆっくりと振り下ろしながら説明する。それを聞きながらアイシスは自分の武器と構えで言えば真っ直ぐに突き出すのがそれに当たるのかな、と既に実戦に向けて考えていた。しかしそれが本題とどう関わるかは未だ分かってはいなかった。


「ではお嬢様、その攻撃を防ごうと思うならばどうお構えになれば宜しいと思われますか? 実戦であれば剣の振り下ろしを剣で受けるのはあまり推奨出来る行為ではありませんが、今回は説明の為にその枝で受けるつもりでお構えになってみて下さい」


 タチバナの言葉にアイシスが素直に従い、予測される剣筋に対して垂直に枝を構える。確かにこの状態で振り下ろされたら自分の剣で怪我をしてしまいそうだし、かといって左手で支えてもやっぱりそこを怪我してしまうだろう。初心者のアイシスでもそう思えたが、恐らく説明の単純化の為に必要なのだろうと納得して構え続ける。


「こう、かしらね」


「そうですね。そのように構えれば、このように振り下ろした剣を受け止める事が出来ます……実戦では推奨は致しかねますが。つまり何を申し上げたいのかと言えば、来る攻撃を予測する事が出来れば、たとえそれが最も速く鋭い攻撃であっても防ぐのは難しくないという事でございます」


 タチバナが実演を交えつつ噛み砕いた説明をした事で漸くアイシスもその意図を把握し、今後の解説の流れも予想する事が出来た。


「成程ね。つまりその予測を外すという事が、虚を衝くという事だと言いたいのね」


 アイシスがその考えを口にすると、タチバナが再び距離を調整して上段に構える。


「仰る通りでございます。例えばこう、斜めに振り下ろしてみたり。こう、剣を下げて横に薙いでみたり。或いはこう、敢えて一度引き、突いてみたり……」


 そうしてタチバナが実演しながら説明をしていく。それは先程の様なゆっくりとしたものではなく実戦さながらの速さでアイシスに当たる直前で止めるというものだった。アイシスは驚いて殆ど反応する事も出来なかったが、タチバナを信頼している為に恐怖を感じる事は無かった。


「この様にして如何に予測を外すか、或いは相手の実際の動きに対応するかを考え、相手に有効打を与える為に様々な試みをする。それが虚を衝くという事であり、それはこの様な剣術も、袖からナイフを取り出して投げる事も、何ら変わらぬものなのです。そうして虚を衝かれて痛撃を受けた後では、ずるいと言っても後の祭りという事でございますね。無論、人質を取る事や降伏を宣言した後の不意打ち等はそれとは一線を画す事でございますが。」


 そのタチバナの説明によりアイシスは此度のタチバナの教えの大半を理解する。仮にも主である自身の「ずるい」という発言に対して此処まで言うのは従者の発言としては頂けないのかもしれないが、それだけタチバナの真剣さを感じる事は出来た。それによりアイシスは自身の経験の足りなさと甘さを痛感したが、それはつまりタチバナはそういった経験を十分にしているという事でもあった。


 自身と然程歳も変わらぬ少女であるタチバナはどんな経験をしてきたのだろうか。それはアイシスにとって気にならないと言えば嘘になる事だったが、無理に明かすものではないと思えた。そこでアイシスはタチバナの言葉の中で気になった事を代わりに訊く事にする。


「成程ね。それで貴方は何か剣術とかは習っていたの?」


 その発言はタチバナにとっては意外だったのか、少々の間を置いてからタチバナが答える。


「……いえ。剣術等の流派とは技術を体系化したもの、つまり戦闘の中で発生する状況毎にいくつかの選択肢から行動を選択するというものでございますが、私は無限に発生しうる状況に於いての最善手がそれらの流派に含まれているとは思えませんので。無論、一つ一つの動作を身に付けておけば咄嗟の時にそれを繰り出し易い等の利点もございますが、それでしたら私は常に周囲を警戒する観察力や咄嗟の時に瞬時に判断して行動出来る思考力を鍛えた方が余程役立つかと存じます」


 世の中の剣士が全員卒倒しそうな事を言っているし、そもそもそんな事が出来るのは貴方くらいよ。タチバナの言葉を聞いてアイシスはそう思ったが、同時に非常に理に適った考え方だとも感じるのだった。

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