第48部分

 一部に切実な乙女の悩みを含むものの、兎にも角にも決意を新たにして歩き出したアイシスは快調に歩を進めていた。今一つ変化に乏しい平和な農村の景色も改めて見れば風情を感じる事が出来、かつ既知のものである為にいちいち目移りして歩を緩める事も無い。それ故にアイシスの冒険は今までで一番に順調と言って良く、それは当然従者として隣を歩くタチバナにとってもそうだった。


 しかし、そこに自由に歩ける事への感動があろうとも、それが憧れていた田舎の景色であろうとも、それが胸に大きな希望を抱いての冒険であろうとも。やはり似た様な景色を延々と見ながらただ歩いていては飽きは来るものである。朗らかな会話でもあれば別なのだろうが、寝たきりに近い生活をしてきて殆ど他人との関わりが無かった少女と、他人とのコミュニケーションが不得手だと自覚しているメイドの二人ではそれも中々に難しい事だった。


 無論アイシスはもっとタチバナと仲を深めたいとは思っていたが、何かの疑問点や必要事項が無い状態で話し掛けるというのは生涯で友人が一人も居なかった少女にはややハードルが高かった。アイシス自身はそこもタチバナの長所として捉えてはいるものの、タチバナがどちらかと言えばクールでやや話し掛け辛い雰囲気を持っているという事もそれに拍車を掛けていた。結果としてお互いが殆ど無言のまま歩き続けるという事になっていたが、それを気にしているのはアイシスだけであった。


 とはいえタチバナもアイシスに興味が無いという訳ではない。主と従者の関係ではあるが、歳も近い同性同士であり今は二人きりで寝食も共にする間柄でもある。そして心境の変化でもあったのか、最近では自身に対する態度も柔らかくなり自身を憎からず思っている様にも感じられる。だがそんなアイシスに対してどういう態度を取れば良いのかがタチバナには分からず、せめて従者として完璧であろうとしていた。そんなタチバナにとっては両者が無言のまま隣り合って歩いているという今の状況は寧ろ居心地が良い時間なのであった。


 アイシスにとってもこの時間が悪いものという訳ではなかったが、やはり年頃の少女として色々な話に花を咲かせたいという気持ちは否めなかった。そんな何とも形容し難い状態で歩き続けて来た二人だったが、日が高くなって来た頃に漸く景色に変化が訪れる。


「あ、タチバナ。あれって……」


 アイシスがそう言いながら右手で指差したのは道を挟んで左右に伸びる柵だった。木製で簡素な作りではあるが、二人の身長よりも高い柵が果てが分からぬ程に左右に伸びていた。だが道の上には何の障害も無く、誰でも簡単に素通りできてしまえる様に見えた。


「はい。あの柵を隔てて向こう側が人類の生活圏の外、所謂圏外となります」


 そのタチバナの答えはアイシスの予想通りのものだったが、そうなると当然の新たな疑問が浮かぶ。


「やっぱりそうよね。でも道の所は何も立ってないけど、そこから入られてしまうんじゃないの?」


 アイシスがその疑問を素直に口にする。こうして疑問点がある限りはタチバナと自然に話す事が出来る。そう思いながらの言葉は僅かに声が弾んでいた。


「ご存じでなければ当然そう思われるかと存じますが、実際にはそうでもございません。私達が現在歩いているこの道ですが、これは人類が幾度となく通った事で出来たものでございます。その為、人間の匂い、或いは気配が染み付いているので多くの魔物は近付きたがらないのです。そして私は門外漢ですので詳しくは存じ上げませんが、あの柵の間の部分には何らかの結界が貼られており更に魔物は近づき難いのだという話です。それでも確実に防げるという訳ではございませんが、そもそもこの様な柵など魔物がその気になれば簡単に突破されてしまうとは思われませんか?」


 答えるタチバナもその時だけは饒舌になっていた。無論説明すべき事の量が多いという事でもあるのだが、質問をされた時であれば対応に悩む必要など無い。それがタチバナにとっては有難い事だった。


「……確かにその通りね。昨日の巨蜂だってあれくらいの柵なら簡単に飛び越えられるでしょうし。でもそれならあの柵は何の為にあるのかしら?」


 またも当然の疑問をアイシスが返す。私が何かを質問して、それをタチバナが答えてくれる。今はそれで良いのかもしれない、だって私達は未だ出会って二日目なんだから。タチバナにとってはそうでもないという事は措いておくとして、という事は省いてそんな事を考えながらの言葉だったが、やはり声はいくらか弾んでいた。


「あちらの柵が立てられた目的ですが、やはり最も大きなものは境界をはっきりとさせるという事でしょう。元々魔物達が少ない領域を人類の生活圏とした訳ですが、先日の巨蜂の件の様にやはり互いに迷い込む事は避けられません。ですがこうして柵が立っていればお互いにわざわざ近付こうとは思わないでしょう。そもそも魔物と人間は互いを避ける性質なのですから……例外を除けば、でございますが。それでも巨蜂の様に迷い込む魔物はおりますが、少なくとも人類側では柵を越えて迷い込むという事は無いでしょう。つまりあの向こう側に行くのは冒険者であり、その結果は自己責任だという事を表すものでもあります」


 こうしてアイシスの疑問に答えるのはタチバナにとっても悪い感覚のする事ではなかった。その理由は本人にも未だ分からなかったが、それには大した興味も無かった。主に何か疑問点があればそれを答えるのは当然の事であり、それが自分にとっても悪い体験ではない。タチバナにとってはそれで十分なのであった。

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