第46部分
「う……ううん」
小鳥の囀りとテントの生地を透過した日差しを受け、アイシスが目を覚ます。既に右手には何の感触も無く、寝ぼけた頭のまま目を開くとそこには薄暗い空間だけが広がっていた。一瞬だけ不安に駆られたアイシスだったが、良く見れば此処はテントの中である事が分かり、横たわる自身の傍には衣服とタチバナから貰ったリボンが置かれていた。
「良かった……」
それを見て昨夜の不安が杞憂だった事を察し、心の底から安堵したアイシスは思わずそう口に出す。そして徐々に冴えて来た頭は自分より後に寝た筈のタチバナが居ない事に気付き、自分が寝過ぎた可能性に思い当たる。取り敢えずは外に出よう、そう思って身体を起こすといとも容易く起き上がる事が出来た。痛みも無く、思い通りに動かす事が出来る身体。長年の夢が叶った事に改めて感動を覚えつつ、アイシスは服を着替え始める。
元の世界の衣服との様式の違いに少々手間取りはしたが、そう時間を掛ける事も無くアイシスは冒険の身支度を完了する。但しリボンだけは鏡の無いこの場所ではきれいに着用するのは難しく、また折角なのでタチバナに着けて貰いたいという思いから手に持ったままテントの入り口へ向かう。そこでアイシスが靴を外に出す為にテントの入り口を開くと、穏やかな陽光が内部まで差し込んだ。光源を直接見た訳ではなかったが、寝起きで未だ目が暗さに慣れていたアイシスは眩しさを強く感じて思わず両目を細める。だがこの体験さえも常にカーテンが掛かった病室で長年過ごした少女にとっては感動の対象なのであった。
「……これでこそ生きてるって事よね」
タチバナが傍に居ない事で独り言が増えている事には本人も気付いてはいたが、以前の自分とは違うはっきりとした声を気に入っているアイシスは、一人の時には寧ろ積極的に独り言を言いたいとさえ思っていた。そんなアイシスは目を瞑ったまま手探りで靴を掴むとそれをテントの外に置き、恐る恐る目をゆっくりと開く。今置いた冒険用にしては可愛らしい靴、それが置かれている土の色、差し込む日の光の明るさ。今度はそれらをはっきりと捉える事が出来た。リボンを持つ手を入れ替えながら靴を履き、テントの入り口をくぐる。
「おはようございます、お嬢様」
その瞬間、テント前の石に腰掛けたタチバナがアイシスに声を掛ける。
「おはよう、タチバナ。良い朝ね」
突然の挨拶に少々驚くと共に独り言を聞かれていないだろうかという不安も覚えたアイシスだったが、それらを表に出さぬ様に努めて挨拶を返す。青い空、白い雲、小鳥の囀りに緑の草木。まさに夢に描いていた様な良い朝だとアイシスは感動していたが、ふと右手に持ったリボンの事を思い出す。
「そうだ、タチバナ。これをお願い」
そう言って右手のリボンを見せながらアイシスがタチバナの方へと歩み寄る。
「かしこまりました。それでは此方にお座り下さい」
アイシスの依頼をタチバナが快諾し、立ち上がって自身が腰掛けていた石を指し示す。アイシスがそこに座るとリボンを受け取り、アイシスの頭部へと手を伸ばす。前回に引き続き何となくアイシスが目を瞑ると、タチバナは手際良くリボンを巻き付けた。
「済みました、お嬢様」
「ありがとう」
タチバナのその言葉にアイシスは目を開き、礼を言う。自分の頭に何かが触れている感覚には未だ慣れていなかったが、それでも着用している方がしっくり来る。アイシスがそういう不思議な感覚を覚えていると、タチバナが口を開いた。
「お嬢様、宜しければ此方を朝食としてお召し上がりになりませんか」
そう言いながらタチバナがアイシスに見せたのは、昨夜にタチバナ自身が食していた果実だった。わざわざタチバナがこの様な言い方をしたのには当然理由がある。アイシスは元々、というよりもこの辺りでは一日に二食しか食べないのが主流なのである。しかし冒険に出るのであれば食べられる時に食べて置いた方が良いとタチバナは考えている為、この様な言い方をしたのだった。
「良いわね。丁度少しお腹が減っていたし、喉も渇いてたし……って貴方は食べないの?」
渡りに船な提案だと思い即座に快諾したアイシスだったが、タチバナが見せた果実が一つのみであり、付近にもそれらしい物が見当たらなかった事でそう尋ねる。
「私は……先に頂いてしまいました。その、お嬢様が中々起きて来られなかったので」
するとタチバナが珍しく歯切れの悪い口調でそう答える。そういう事であれば何も問題は無いのだけれど、恐らく昨日の私の言葉を気にしているんだろう。そう思ったアイシスはタチバナがもう気にしない様にと考えて言葉を返す。
「そういう事だったのね。なら私が悪いんだから気にしないで良いのよ。それより悪いんだけど、皮を剥いてくれるかしら」
直接の謝罪は避けつつ、迅速な話題の転換。我ながら悪くない対応だとアイシスは思ったが、皮を剥く事をタチバナに頼んだのは自身が刃物の扱いに慣れていないという理由もあった。此処で手を怪我して冒険終了なんて事になったら笑えない。そう思うアイシスだったが、それを想像すると笑い話の様で自然と笑みが浮かんでくるのだった。
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