第38部分

「それでは、今度はお嬢様が此方を持ってお構えになってみて下さい」


 タチバナが右手のレイピアの刃を自身の方に向けてアイシスに差し出しながら言う。


「え、ええ。少し待って」


 未だに結論を言わずに次の実演に向かうタチバナに少々戸惑いながらも、アイシスはその言う通りにする為に右手のナイフを鞘に納めようとする。誤って自らを傷付けてしまわぬ様に注視しながら腰の鞘へ差し込み、向き直ってタチバナからレイピアを受け取る。するとタチバナがアイシスから少し離れ、アイシスは言われた通りにレイピアをタチバナに向けて構える。


 まさか突いて来いとか言わないわよね。タチバナが私の突きを避けられないとは思わないけれど、万が一があったらと思うと……。そんな事をアイシスが考えている間にいつの間にかノーラ作の短剣を構えていたタチバナが位置を微調整し、アイシスに声を掛ける。


「お嬢様、今の私達の距離が先程お嬢様と巨蜂が相対していた距離と概ね同程度と思われます。改めて私が敵であると仮定した時、この距離をどうお感じになりますか?」


 これまでの流れによってタチバナが言いたい事が距離についてである事は確信し、この次の流れも概ね予想が付いているアイシスだったが、やはり結論までは未だ不明のままであった。どちらにせよこれまでと同様に感じたままを答えれば良いだろうと素直に答える事にする。


「そうね、私にとって有利な距離に思えるわ。相手からしたら私の剣を避けてその短剣で攻撃するのは難しいんじゃないかしら……相手が貴方じゃなければの話だけれど」


 そんな事は考えたくもないし考える必要も無い。そう思うアイシスだったが、本人でなくとも仮に相手がタチバナと同程の強さを持っていたら……距離なんて関係無しに私はあっという間に殺されてしまう。その想像はアイシスの肝を冷やしたが、目の前のタチバナの存在によって直ぐに安心を得る。この人が傍に居てくれる限り、その様な場面は訪れないだろう、と。


 タチバナは例によってアイシスの答えに直ぐには応えず、また少し後退してからアイシスに再び問い掛ける。


「それでは、この距離では如何でしょうか」


 この問いにも素直に遠いと答えようとしたアイシスだったが、恐らくはタチバナが伝えたいであろう事にふと気付く。気付かぬ振りでタチバナに説明して貰おうかとも思ったアイシスだが、タチバナならば自身で答えに辿り着く方が喜ぶだろうと思い直す。


「遠くて此方も当たらない、と言いたい所だけれど。貴方が言いたい事が多分だけど分かったわ。踏み込んで突けば当たる、という事でしょう。つまりこの……ちょっと離れた距離の方が良かったって事よね」


 アイシスがそう答えると、少しだけ間を空けてからタチバナが口を開く。


「流石はお嬢様、ご明察でございます。概ね正解だと申し上げて良いでしょう。仰る通り、現在程の距離があっても踏み込んで突きを放てば当てる事……より正確に言えば十分なダメージを与える事が可能です。そして先程の戦いに於いてはこの間合いの方が良いというのも仰る通りなのですが、その理由はお分かりになりますか?」


 「概ね正解」や「先程の戦いに於いては」という表現が完全に正解だと思っていたアイシスには気になったが、急かさずともタチバナなら説明してくれるだろうと考えて先ずは質問に答える事にする。無論戦いの初心者であるアイシスは正解を知らないが、考えてみれば直ぐにそれらしい答えを思い付く事は出来た。


「まあ、距離があった方が相手の動きに対応し易いのは間違いないわよね。でもそれは相手にとっても同じじゃないかしら?」


 そのアイシスの回答にもやはり一呼吸を置いてからタチバナが答える。


「流石のご明察、そして鋭いご指摘でございます。順を追ってご説明致しましょう。先程の巨蜂との戦いの様に此方の方が攻撃の間合いが広い場合、相手が先に動いた場合には距離が長い分がそのまま此方の回避に使える時間となります。しかし此方が踏み込んだ場合には、相手が仮にその時点で反応して動いたとしても、此方はその時点での相手の位置に調整して突きを繰り出す事が出来ます。それを躱されたとしても残した後ろ足を軸として下がれば再び距離を取る事が出来ますし……お嬢様、此処まではご理解頂けましたか?」


 やはり対面での学習の経験が無いからか、或いは戦いに関する知識不足故か。アイシスがタチバナの説明を理解する事に四苦八苦している事をタチバナが感じ取り、一度間を空ける。


「ええ、何となくは……分かったわ?」


 その返答を聞いたタチバナはこれ以上一気に説明をする事は逆効果であると察し、一先ずは講義を切り上げる事にする。


「……かしこまりました。それでは本日はこの辺りにして、要点を簡潔にまとめさせて頂きます。踏み込んで突きを繰り出せば相手に十分なダメージを与える事が出来る距離。基本的にはその間合いで戦えば宜しいかと存じます。此処での十分なダメージとは、相手の次の行動、攻撃や回避等を阻害出来る程度の損傷を指します。先程は距離の問題ではありませんでしたが、此方が攻撃をしてかつ十分なダメージを与えられない場合はあの様に相手に攻撃の機会を与えてしまいますので。無論、回避された場合にも同様なのですが……」


 そこまで話した所でタチバナは口を閉じる。経験に乏しいアイシスにはタチバナの言っている事を十分に理解する事は出来なかったが、せめてその文言を覚えておこうと必死になって小声で唱えていた。その様子を見たタチバナは残りの説明は後回しにする事にしたのだった。

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