第28部分

 店主の男が持つ鍋はやや小振りであり、一度に調理出来るのは一人前が限度の様だ。鍋に食材がくっついてしまわぬ様に男が動物の脂らしき物を鍋に投入する。その後は火の通りを考えて先ずは肉類から投入して過熱していく。左手で鍋を持ち、右手に長い箸を持って調理をしている姿から母を思い出しそうになったアイシスであったが、目の前の妙に屈強な男とのあまりのビジュアルの違いによりそれは叶わなかった。


 そう時間がかからぬうちに調理工程は麺を投入する段になる。麦の粉を練った物を細く切るとタチバナは言っていたが、少女が元居た世界の殆どの場合でそうであった様にこの屋台でも既に出来上がった麺を調理するという形を取っていた。その麺を勢い良く鍋に投入してそのまま具と共に焼いていく。仕上げに調味料らしき粉を目分量で振りかけて軽く混ぜながら少し焼くと男は鍋を火から離した。どうやら完成の様だとアイシスが思った瞬間、急に空腹感が増して来る。


「へいお待ち! 猪肉と野菜入り一丁! そっちのメイドさんはもうちょっと待ってくれな!」


 そう言いながら手早く盛り付けた焼き麺を男が箸と共にアイシスへと差し出す。肉の香ばしい匂いと何やら香辛料の香りが更にアイシスの食欲を刺激する。すぐにでも食べてしまいたい気持ちにもなるが、人としてタチバナの分が出るまでは待つべきだとアイシスは思っていた。それに立ったまま食べるのも行儀が悪い気がするし、とそのまま待つ事にする。


「お嬢さん、冷めないうちに食べちまってくんな!」


 しかし店主の親切な一言でその目論見は頓挫する。確かに、少女が昔食べた屋台の焼きそばの時とは違い蓋の類が存在しない為、このままでは冷めてしまうかもしれない。いや、でも……等と考えたアイシスがタチバナの方に目をやると、タチバナが首を縦に振った。観念したアイシスは少しの罪悪感を感じつつ箸を右手に持ち、麺を掴む。そう言えば、この世界では箸がスタンダードなのかしら。そんな事を考えながらアイシスは「頂きます」と呟いて一口目を口にした。


「おいひい」


 思わず口に物を含んだままそう声を出すアイシス。行儀が悪いと本人も思ったが、そもそも立ち食いという時点で自身の物差しで言えばあまり行儀が良い事ではないのだからいっそ気にしない事にする。焼き麺というものをアイシスは当然初めて食べたのだが、それは何処か懐かしい様な、それでいて新鮮な味わいだった。麺を茹でたり蒸したりする工程が無い為に食感は焼きそばとは違っており、味付けもまったく異なっていた。塩味が基本だが、それにいくつかの香辛料が加わってシンプルながら深い味わいを出している。等と評論家めいた事を考えてはみたアイシスだったが、そんな事はしない方が美味しく食べられるだろうという事は入院している頃から思っていた事だった。


 続いては具の肉と麺を共に口にする。猪肉の旨味が麺の味に加わる事で更に美味しく感じられたが、今度は余計な事は考えないように味わう。それは少女にとってこの世界で初めての本格的な食事であり、同時に元の世界から数えても数年振りのまともな食事である。余計な事を考えない様にはしたが、出来るだけゆっくりと味わう事にする。


「はいよ、鳥肉と野菜入りお待ち! 合わせて1000になりやす!」


 アイシスが食事に夢中になっている間にタチバナの分が出来上がり、それを受け取ると同時にタチバナが硬貨を1枚男に渡す。それを見たアイシスは、この世界には紙幣が無いのかもしれないと焼き麺を口に含みながら思った。


「へいまいど! ありあとやしたー」


 男の挨拶は最早気にも留めず、タチバナは結構な荷物を左腕に抱えていた筈なのにどうやって今の動作を行ったのだろうとも思ったアイシスだが、深くは気にしない事にする。


「……頂きます」


 そう言ってタチバナが食べ始めた頃、アイシスの皿の残りは僅かになっていた。それを見つめたアイシスはやや名残惜しさを感じつつも、残りを一気に箸で食べ進める。それを咀嚼しながらやや空腹感が残っている事を感じたアイシスだったが、これから冒険に出るのにお腹を壊したりしたら格好付かないだろうと腹八分目で済ませる事にする。身体は兎も角、少女の精神が普通に食事を取る事に未だ慣れていないという理由もあったが。やがてそれを咀嚼し終わり、箸を皿に載せて屋台の店主に返しながら挨拶をする。


「ごちそうさま、美味しかったわ」


「ご馳走様でした」


 アイシスがそうすると同時にタチバナも同じ事をする。あまりの出来事にアイシスの動きと思考が一瞬止まる。自身の皿の残りが少なくなった時点で食べ始めた筈のタチバナが、自分がその残りを一気に食べ進めている間、僅かに目を離した間に完食している。え、何これ、魔法? 不得手とか言っていなかった? そう混乱するアイシスが何とか声を絞り出す。


「……貴方、ちゃんと味わって食べたの?」


「はい。とても美味でございました」


 自身がその事について気にしている事がおかしいとアイシスに思わせる程に、タチバナがさも当然であるかの様に無表情で淡々と答える。その事で更に混乱したアイシスがその時に思ったのは、さっきも串で食べたのに具を鳥肉にしたという事はタチバナって鳥肉が好きなのかしら、という事だった。

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