第27部分

 二人が去った事で少し寂しくなった店内でノーラが羽ペンを手に取り、少し間を空けて何も書かずに帳簿を閉じる。そして羽ペンを手の上で二、三度回してから虚空に向けて呟く。


「……噂とは違って随分と良い娘だったねえ。どうしてあんな娘が我儘を理由にパーティーを追放なんてされる事になるんだか。まあ、そのお陰でアタシ達が友達になれたんだから深くは考えない様にしようかね」


 元々アタシは物事をあまり考える方じゃないんだ。という続きは頭の中だけで呟き、ノーラが炉の方へと向かう。気乗りのしない仕事であろうとやらねばならない時もある。そう自身に言い聞かせながら金槌と火箸を手に取り、炉に火を入れるのだった。


「良い人だったわね、ノーラ」


 鍛冶屋から少し離れた所でアイシスがタチバナにそう話し掛ける。漸く自身の初めての武器を身に着けている事による異世界に来た事への実感と、初めて出来た素晴らしい友人のお陰でアイシスのテンションはこの世界に来てから最も高いと言っても良かった。アイシスとは対照的に無表情のタチバナだったが、概ねアイシスと同様の理由によりその気分は悪くなかった。


「ええ。鍛冶技術のみならずその人格まで素晴らしい方でした」


 普段は人を褒めるという事を滅多にしないタチバナだったが、それは当人にとって褒めるに足る人物が滅多に居ないというだけであり、尊敬に値する相手に対しては称賛を惜しむ事は無い。とはいえその立場上、基本的には主のそれに追従する形でしか口には出さないが。


 その言葉を聞いたアイシスはタチバナと意見が合い、また分かり合えたと思った事で更なる喜びを噛み締める。そんなアイシスがちらちらとタチバナの右手を何度も見ている事にタチバナは気付いてはいたが、その事に触れる事は無かった。タチバナとも握手して友達になりたい、しかし両者の立場上それは難しいし、そもそも改めてそうする理由が無い。そんな事を考えながら歩いている間に、アイシス達はいつの間にか最初の市場がある大通りへと辿り着いていた。


「食べ物は此処で買うのかしら?」


 様々な場所を渡り歩く間に既に昼時を過ぎていた為か、大通りの人通りは当初よりは少なくなっていた。それでも未だ活気には溢れており、それに負けぬ様にやや大きめの声でアイシスがタチバナへと問う。或いはその声は自身の未練を払う為だったのかもしれない。


「はい。とは言っても冒険に持って行けるのは日持ちのする物だけですが。お嬢様が普段召し上がっている様な物は冒険に出てからは暫くの間は断って頂く事になりますので、宜しければ何処かで昼食をお取りになりますか?」


 冒険に出るという事は基本的に食事は自身らで用意しなければならない。そうなればあまり手間暇を掛ける様な物は食べる事は出来ないだろうからタチバナの提案は悪くはないだろう。そう考えたアイシスだったが、自身の手持ちは先程ノーラの店で使い切っている。タチバナに多少の持ち合わせはあるだろうが、ハシュヴァルド家の令嬢が本来口にする様な贅沢品に無駄に支出をしている場合ではないだろう。


「ええ。何か食べていく事には賛成よ。でも無駄に贅沢な物を食べるのは止めておきましょう。……何かこの街の名物みたいな物は無いのかしら?」


 自身がこの世界で初めて訪れた街。今から離れようとしているその街で、何か思い出になるような物を折角だから食べておきたい。アイシスがそんな事を考えながらタチバナへと問い掛ける。


「……それでしたら、焼き麺というものが名物だと耳にした事がございます。麦の粉を水で練った物を細く切って、好みの具と共に焼いて食すのだとか。確かこの市場にも何軒か屋台が出ておりましたが、如何なさいますか? 食事処でも提供されているとは存じますが……」


 タチバナの言葉を聞いたアイシスが暫し考える。焼き麺……概ね焼きそばと似たような物だろうか。但し元の世界と同じ様なソースが都合よくあるとは思えないから味付けは違うだろうが、焼きそばと言えばやはり屋台である。丁度良く此処は祭りの様に盛況でもある。


「いえ、屋台で買う事にしましょう。ええと……あったわ、あれね」


 都合良く近くにあった焼き麺の物らしき屋台へと近付いて行く。丁度前の客の分を焼いている所であったが、少女の元居た世界の様に鉄板を用いるのではなくフライパンに近い鍋で調理している様であった。


「へい鳥入りお待ち! ……はいよ、400丁度頂きます。ありあとやした!」


 アイシスもすっかり慣れてしまった威勢の良い店主の男が、木製らしき皿に焼き麺を盛って箸と共に客の男性に手渡す。それを見たアイシスは美味しそう、と思うと同時に木の皿をそんなに配って良いのかと謎の心配をする。まあ、一日に数百食を売ったとしても消費量は微々たる物かと納得したアイシスが興味を屋台へと移す。メニューらしき看板は絵で示されており、アイシスはそういえば何処の看板もそうだった事を思い出し、もしかしたらこの世界はあまり識字率が高くないのかもしれないと思った。それよりも何を食べようかと思ったアイシスがメニューを解読した結果、どうやら鳥の肉、何らかの獣の肉、魚、何らかの草らしき物を具として選べる様だった。


「……おじさん、こっちのお肉と、この野菜? を入れて一つお願い。タチバナは?」


 少々の思考の後にアイシスが店主の男へと注文し、タチバナの意思を確認する。その問いに答える代わりにタチバナは店主へと近付き、メニューを右手で指しながら自ら注文をする。主人に自らの分を注文させる事をタチバナの職業意識は許さなかった。


「具は鳥肉と……野菜で……一つお願いします」


「あいよ、猪肉と野菜一丁、鳥肉と野菜一丁! ちょっと待ってな!」


 連れであろう二人の双方が注文を済ませるのを待っていた店主が威勢良く答え、調理を開始する。アイシスはタチバナが注文の際に少々間を空けて話していた事が気にはなっていたが、やがてその興味は目の前で行われている調理風景へと移っていった。

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