第26部分

「お嬢様、そろそろ……」


 鏡の前で色々な動きやポーズを試していたアイシスを暫くの間見守っていたタチバナがアイシスに近付いて声を掛ける。それを聞いたアイシスは自身が恥ずかしい姿を晒していた事に気付いて頬を赤らめながらレイピアを鞘へと納める。


「そうね、此処でいつまでも時間を掛けている訳にはいかないものね。それじゃあノーラ、私達はそろそろ――」


「ああ、ちょっと待っておくれ」


 此処を去る事に名残惜しさを感じていたアイシスであったが、タチバナに促されて次の目的を果たしに行こうとノーラに別れの挨拶をしようとする。だがその最中にノーラが二人を引き止めた。


「……何かしら?」


 それが意外であった為に即答出来ず一呼吸を置いてからアイシスがその意図を尋ねる。


「ええと、盗み聞きをするつもりは無かったんだけどね。アイシス、アンタ魔法を覚えたいのかい?」


 そのノーラの問いを聞き、アイシスは熟考する。確かに武器を使って戦うのには未だ不安があるし、折角こうして異世界へとやって来たのだから魔法で戦うというのも悪くはない。しかし自分の目には完璧にさえ見えたタチバナですら不得手であると言い切った魔法を自身が使い熟す事が出来るのだろうか。


「まあ、使える物なら使いたいけれどね」


 その思考の結果、アイシスの口から出たのはやや歯切れの悪い答えであった。


「ははっ、確かに魔法を扱える奴は世界でも珍しくて、選ばれた者だけしか使えない物だなんて言われてるからね。アンタがはっきりと答えられないのも無理はないさ。でも魔法を使える者が少ないのは、その才に気付ける者が少ないからってのも理由なんだ……ってある人が昔言っていてね」


 そのノーラの言葉を聞きながら、アイシスが頭の中で考える。タチバナが魔法は不得手である理由、勇者ライトが戦力的にアイシスの方を追放しなければならないと言っていた理由。その双方がノーラの話によって明らかになったのだった。


「で、アタシの……まあ友達と言っても良いかな? その友達、まあ今言ったある人の事なんだけど、そのエルフのババ……お婆さんが凄い魔法使いでね。巷じゃ大賢者なんて呼ばれてるんだけど、多分その人ならアンタに魔法の才があればそれを見出してくれるし、それを鍛えてもくれると思うんだ。だから、もしアンタがその気なら紹介してあげるよ」


 明らかに商売の範疇を超えたノーラの親切な言葉に、アイシスは心からの感謝と少々の申し訳無さを感じる。だがそれは別としてアイシスは冷静に考えを纏め始める。現状では特に目的地は存在しないし、魔法が使える様になる可能性は出来るならば逃したくはない。となれば問題となり得る点は自明であった。


「是非お願いするわ、と言いたい所だけど。問題はその人の居場所ね。あんまり遠くだと初めての旅の目的地としてはちょっとね」


 既に年上の相手に敬語を使わずに話す事にも慣れ始めたアイシスがそう言う。その言葉の後半部分は事実でもあるがアイシスの内心でもあった。


「そりゃそうだね。まあ距離としてはそこまで遠くないんだけど、あのババ…お婆さん、結構辺鄙な所に住んでるからねえ。まあ良いや、地図あるかい? その人の居場所に印を付けて置いてあげるよ。ちょっと大変そうだなって思ったらまた後で行けばいいさ。まあ、タチバナが居れば大丈夫だとは思うけどね」


 ノーラの言葉を受けてタチバナが懐から羊皮紙の地図を取り出す。大陸の全てが収まっていない事から世界地図ではない様だ。そうアイシスが考えている内にノーラがカウンターから羽ペンとインクを取り出して地図の左側、アイシス達が現在居るであろう都市の西の森林地帯に丸印を付ける。


「個人の居場所にしては随分と広範囲じゃない?」


 アイシスが思った事をそのまま口にする。その姿は既に「アイシス」が板に付き始めていた。


「ああ、あのバ……お婆さんは結構変わってる人でね。その辺りには居る筈なんだけど結構うろうろしてるから細かい場所まではちょっと……でもまあ、行けば分かる筈さ」


 今日歩いた範囲だけを考えても地図上のこの街の範囲を考えると印はかなりの広範囲に渡っており、アイシスにはどうやってその中から個人を見付けるのかは分からなかった。しかしノーラがそう言うなら間違いはない、既にアイシスはノーラをその程度には信用していた。


「何から何まで本当にありがとう。でもどうしてこんなに良くしてくれるのかしら?」


 アイシスが印が付けられた地図を一瞥し、それをタチバナに渡しながら言う。タチバナが地図を懐に仕舞った後、ノーラが頭を掻きながら答える。


「かー、それを聞いちまうかね、この子は。……言っただろう? アンタ達を気に入ったってさ。アタシはもうアンタ達を友達だと思ってるよ。友達の為に出来る事をするのは当たり前の事だろう? 本当はアタシも付いて行ってやりたい位だけど、ちょっと仕事が残っていてね。ああ、別にアンタ達もアタシを友達だと思えっていう訳じゃ――」


「いえ、嬉しいわ! 是非お友達になりましょう! それと気にしないで。既に随分と良くして貰ったし、その気持ちだけで嬉しいわ」


 この世界に来た初日にして初めての、いや生涯でも初の、そして素晴らしい友達が出来た。その事に喜びが爆発したアイシスが妙にハイテンションでそう言いながらノーラへと右手を差し出す。


「ああ、改めてよろしくな、アイシス」


 ノーラがはにかみながらそう言ってアイシスに握手で応える。ノーラがそのままの流れでタチバナの方を見ると、タチバナは頭を下げて応える。先程握手をした時のタチバナの様子を覚えていたノーラは、今度はそれを求める事はしなかった。


「それじゃあ、名残惜しいけどそろそろお行き。未だやる事が残ってるんだろう?」


 今度はノーラが二人にそう促すと、その言葉にアイシスとタチバナが改めて荷物や装備を確認する。


「ええ、名残惜しいけれどそうするわ。それじゃあまたね、ノーラ。本当にどうもありがとう!」


 そう言って店を後にするアイシスをノーラが笑顔で手を振って見送る。


「ああ、またおいで」


 その言葉に見送られながらアイシスに続いて店を出る直前に、タチバナが立ち止まって振り返る。


「……ありがとうございました」


 それだけを言ったタチバナが主を追って店を出て行き、やがて二人が視界から消えるまでノーラは手を振り続けていた。


 そうして一人になったノーラがカウンター前の椅子に座り、帳簿を開く。そして今月分の収支を記載したページを開き、呟いた。


「……やっぱりアタシは商売が下手だねえ」

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