第12部分

 アイシスが懐中時計を首から下げて出入口の方へと歩き出し、三歩目で立ち止まる。


「お嬢様、どうかされましたか」


 それを見たタチバナがその身を案じて声を掛ける。タイミング的にそのアクセサリーに呪いの類が掛かっていた等の心配をするのは従者としては当然である。尤も当のアイシスの表情がそれ程厳しくはなかった為にタチバナも精々先程の鳥串が当たったのか位のつもりでの発言なのだが。


「いえ、これを首に掛けて歩くとその度に胸に当たって……。やはり身に着けるには向かないかしらね」


 そう言ってアイシスは懐中時計をいくつか身に着けている鞄類の一つに仕舞う。それを見て主人の無駄遣いに苦言を呈そうとするタチバナだったが、場を弁えて口を噤む。


「ではお婆さん、ごきげんよう」


 アイシスが店の出口でわざわざ振り返り、老婆へと挨拶をする。その様子をただまじまじと見ていたタチバナだったが、数瞬の遅れの後に主人に合わせて老婆へと頭を下げる。


「ありがとう。またおいでね」


 その老婆の挨拶を背中に受けながらアイシス達は引き戸を開け、骨董屋を後にした。後に店を出たタチバナが素早く戸を閉めた後にすっとアイシスの前に出る。


「お嬢様。お嬢様はこれからどうするおつもりですか」


 そのタチバナの突然の問い掛けにアイシスが少々たじろぐ。どうすると問われた所で例によって情報が足りな過ぎる為にアイシスには答え様が無かった。というより先程も同じ事を聞かれたっけ、と気付いたのと同時にアイシスはこれが先程とは違う意味での質問である事に気付く。しかしその意図を読める程には未だこの世界の事もタチバナの事も知らないアイシスは素直に訊き返す事にする。


「……どういう意味かしら」


「失礼を承知で申し上げます。お嬢様は勇者様のパーティーの財力を支える様にと旦那様から多額の金貨を持たされておいでではあります。しかし、失礼ながら先程の様な無駄な散財を繰り返しておられてはそれも直ぐに底を突いてしまいます。そうなれば私はお嬢様を安全の為にハシュヴァルド家のお屋敷までお連れしなければなりません。それはお嬢様の望む所では無いのではないでしょうか」


 タチバナの声は相変わらず抑揚に乏しいものであったが、アイシスにはその内容から十分にタチバナが自身を案じる思いを感じる事が出来た。そもそも主人をこの様に諫めるという事自体が使用人にとってはリスクの高い行動であり、それを犯してまで忠告してくれた事はアイシスがタチバナへの信頼を更に深めるのに十分な理由となった。本人は無駄な買い物だとは思っていなかったが、経緯を自身しか知らぬ上、早々に仕舞い込んでしまったので此処では甘んじて受け入れるしかなかった。しかも礼を言われて以降は未だ声が聞こえる事も無いので実際に無駄遣いかもしれないという思いも芽生え始めている。


「成程ね。なら貴方はどうすべきだと思うのかしら?」


 そう問い掛けるアイシスであったが、無駄遣いを控えて収入を得るべきだという話である事は無論分かっており、彼女が聞きたいのはその方法である。当然タチバナも主人を信用し、その前提で話を進める。


「……やはりお嬢様が以前仰っていた夢を叶えるのが宜しいかと。たとえ勇者様のパーティーを追放されたからと言って冒険者になる事を諦める必要は無いと存じます。無論私もご助力は惜しみませんので何でも仰って下さいませ」


 冒険者。その言葉を聞いてアイシスは自身の胸が躍るのを感じていた。折角の異世界転生、やはり現世では成し得ない事をしてこそでしょう。と、アイシスの心にあった未知への不安を期待が上回る。声なき声に導かれて宝を手に入れる、そんな不思議な事への期待は少女が病室に居た頃から持っていた物であった。それを改めて思い出させてくれた上、それをこれからも支えてくれるというタチバナに対してアイシスは心からの言葉を返す。


「ありがとう。貴方の様な優秀な使用人に仕えて貰える私は幸せ者ね」


 それはアイシスらしい言葉ではなかったかもしれないが、少女にとって最早そんな事は構わなかった。兎に角感謝を伝えたい、そう思ったのにはそれを出来ずにこの世を去った前世の経験が影響しているのかもしれない。しかし少なくともアイシスの意識にはそんな事は浮かんでは居なかった。


「……ありがとうございます。しかしお嬢様らしくないお言葉ですね、頭でも打たれたのでしょうか?」


 暫しの沈黙の後にタチバナがいつも通りに淡々と答える。一見すれば失礼極まりない発言だが、それを聞いたアイシスには寧ろ喜びの感情が浮かんでいた。


「……貴方こそらしくないわね、そんな不敬を言うなんて。首にでもされたいのかしら?」


 くすくすと笑いながらアイシスが言う。誰かと冗談を言って笑い合うのはいつ以来だろう。響く声は一人分、タチバナも相変わらず無表情のままであったがアイシスはそう思うのであった。

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