第11部分

 アイシスがその淡い光を放つ物へと近付いてみると、それはネックレスの様な物であった。銀色のチェーンの輪に同じく銀色のやや厚みのある円形の何かが付いている。近付いても光は消えず、まるで手に取られるのを待っている様にアイシスには感じられた。思わずアイシスがそれを手に取ると光が消えたが、それは実際に光っていた訳ではなく何か神秘的な出来事であるとアイシスに知らせた。そこにアイシスに合わせて店内を巡回していた老婆が声を掛ける。


「お嬢さん、それが気に入ったのかい? 妙に飾りの部分が大きいし、お嬢さんにはちょっと似合わないと思うけどね」


 この老婆の発言は文字通りの老婆心からの忠告であり、決してこれが貴重な物だから渋っているという訳ではない。事実、アイシスもその様子を眺めているタチバナも同様の事は感じていた。だがそれは、これがアクセサリーであった場合の話であるとアイシスだけが思っていた。無言のままアイシスが飾りと思われている円形の部分の下端に親指で力を込めるとあっさりと蓋が開く。


「お嬢様」


 アイシスが商品を破壊してしまったと思ったタチバナが駆け寄るが、その商品を良く見た事で思い止まる。その直後、年齢により反応がやや遅れた老婆が感嘆の声を上げた。


「おやまあ、開いたのかい? 蓋みたいだとは思っていたんだがね、どんなに力を入れても、息子に頼んでも開かなかったからそういうデザインなだけの飾りだと思っていたんだよ。お嬢さんはそんなに力が強いのかね? どれ、内側はどんな風なんだい?」


 そう言って老婆が覗き込んだ蓋の内部を三者がそれぞれの立ち位置から見る。そこにはガラスの様に透明な蓋が更に付いており、その内部に三本の金属の針がそれぞれ違う形で付いていた。


「おやまあ変わった装飾だね? 何か意味が有るのかねえ」


 骨董屋の店主である老婆にも、博識でアイシスの疑問にも悉く答えを齎したタチバナにもその意味は理解出来なかったが、アイシスだけは直ぐに理解する事が出来た……というよりもそれが何を意味するかを既に知っていた。


「時計……」


 殆ど無意識にアイシスが呟く。その小さな声は既に耳が遠くなりつつある老婆には届かず、傍に居たタチバナのみに届いた。


「時計……ですか、それが? 日時計や砂時計の様な?」


 そのタチバナの言葉からアイシスはこの世界には、少なくともこの時代のこの周辺には時計の様な複雑で精密な機械が存在しない事を悟る。であればその説明はしない方がアイシスを演じる意味でも賢明であるし、そもそも自身もその機構を知る訳ではない。そう考えたアイシスはこの場は誤魔化す事にするが、余りにもはっきりと時計と口にしてしまった為にその方法を考えるのに難儀する。


「いえ、何でもないわ。お婆さん、此方はおいくらになるのかしら?」


 結局その方法を思い付かなかったアイシスは彼我の立場を利用して追及を避けるという方法を取る事にする。アイシスがその心を少々痛める事にはなったが、その狙い通りにタチバナはその好奇心を抑える事を選びそれ以上の追究はしなかった。


「そんな良く分からない物を買うのかい? 悪いけどいくらで仕入れたかを忘れてしまってねえ。思い出すから少し待ってておくれ」


 そう言った老婆が下を向き考え込んでしまう。先程の声の件からどんな値段であろうと買う気でいるアイシスにとってはその時間はやきもきとする物であった。腰に付けたポーチの様な物から金貨を一枚取り出すと老婆の方に向けながら声を掛ける。


「お婆さん、これで足りるかしら?」


「何だい、少し待ってておくれと……」


 そう言いながら老婆がアイシスの方に目を向ける。そしてアイシスが持つ金貨を目にした途端、老婆が驚愕しながら叫ぶ。


「金貨! そんな物を持ってるなんてあんた何者だい!? 勿論足りない訳は無いけど、そんな良く分からないアクセサリーに……あんた正気かい?」


 どうやらこの世界では金貨の価値がとんでもなく高い様だ。老婆の反応を見たアイシスはそう思った。先程タチバナが露店で自身を措いて支払いを済ませた事にも合点が行くと共に、ハシュヴァルド家は相当な資産家なのだろうという事も予想出来た。自身のポーチには未だ何枚もの金貨が無造作に入れられている。


「ええ、私はこれがとても気に入ったの。だからこの金貨は取っておいて構わないわ。ありがとう、お婆さん」


 そう言いながらアイシスが金貨を老婆の手に握らせる。一連の流れを見ていたタチバナは何故アイシスがあのアクセサリーを気に入ったのかは分からなかったが、主人の買い物に口を挟む事はしなかった。


「こちらこそありがとうねえ。いやあ、そんな変なアクセサリーがまさか金貨になるとはねえ」


 こうして売買契約が成立し、変なアクセサリーもとい銀の懐中時計が正式にアイシスの物になった時であった。


「私を見付けてくれてありがとう」


 アイシスの頭の中に再びあの声が響いた。やっぱりこの時計が声の主だったのね。そう思ったアイシスはその声に返事をして事情を聞こうとするが、周囲を見渡してやはりこの声が自身にしか聞こえていない事を確認して断念する。そして心の中で「どういたしまして」とだけ呟いてこの場を後にする事にした。

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