第9部分
タチバナの行動が余りにも意外だった為に暫く呆けていたアイシスが漸くその意図に気付いた時、タチバナが毒見を終えて一切れ減った鳥串を葉の皿に戻す。
「失礼致しました。どうぞお召し上がり下さい」
タチバナの行動が毒見である事には気付いたアイシスだったが、そう言って身を引いたタチバナの行動の意図も直ぐには理解する事は出来なかった。数秒の後に自身がこの二本の鳥串を食べると思われている事に気が付き苦笑しながら言葉を返す。
「片方は貴方の分よ、タチバナ」
そう言ったアイシスが減ってない方の鳥串を右手で摘み、葉の皿を左手に乗せてタチバナの方に差し出す。それを見たタチバナは無表情のまま瞬きを二度繰り返し、一呼吸してから言葉を返す。
「いえ、その様な恐れ多い事は……」
「良いから食べなさいな。そもそも貴方のお金じゃないの」
タチバナの反応を見る限り元のアイシスでは考えられない行動だったのかもしれないが、直近でパーティーの追放という事件があったのは幸いだ、それによる心境の変化だと思われるだろうから。と思いながら間髪入れずにアイシスが言い返す。
「これはハシュヴァルド家の財産の一部であり、お嬢様の為に使う様に持たされた物ですので」
尚も食い下がるタチバナに対しアイシスは段々とじれったくなって来る。何処の世界でも偉い人は使用人と一線を引いた付き合いをしたがる物なのだろうか。あくまで本等から得た知識ではあるがそんな事を思いながらアイシスは答える。
「それなら尚更ね。主が使用人の食費を払うのは当然の事だもの。それでも未だ何か理由を付けて断るつもりかしら? なら命令よ、食べなさい。あっ、もしかしてこういうのは好みじゃなかったかしら? それなら勝手をしてご――」
「いえ、そういう事でしたら頂きます。……面倒をお掛けして申し訳ございません」
どうしてもタチバナに食べて貰いたくなったアイシスは遂に命令という手段まで用いるが、その直後にそもそも食べたくないという可能性に気付き、少々素が出てしまう。その流れで謝ろうとした瞬間、それに割り込む様にしてタチバナが食べる事を了承し、皿から鳥串を手に取る。
「では温かいうちに食べてしまいましょ。……頂きます」
少女は亡くなる数年前からは殆ど他人との接触が無かった。それもありこの一連の流れによって精神的に少し疲労を覚えたアイシスは、その癒しを求める意味も込めて取り敢えずは鳥串を食べる事にする。アイシスらしさを損なうかもしれないという理由で黙って食べようとも思ったアイシスであったが、どうしても気が咎めてしまい小声で食前の挨拶をしてから右手の鳥串を口へと運ぶ。
「あ、おいひい」
それは現地で捕れた鳥の肉を焼いて塩で味付けをしただけというシンプルな料理であったが、此処数年は病院食ばかり食べていた上、直近では殆ど何も食べていなかった少女にとっては大変美味に感じられた。その感動は彼女に行儀が悪いかもしれないと思うよりも早く感嘆の声を出させたのだった。
この様に味が濃い物も、この様にまさに肉といった物も本当に久し振り。いけない、令嬢らしく振舞わなきゃ。そんな事を思いながら二切れ目を口にするアイシス。それを見たタチバナも此処で漸く鳥串を口の前まで運ぶ。
「頂きます」
アイシスのそれよりは大きな声で挨拶をしてそれを口に入れるタチバナであったが、先程の毒見の際の様な勢いは無かった。しかしそれは先程が主人を待たせずに毒見をする為に急いでいたという事であり、本来は急いで物を食べる人間ではないというだけの事であろう。アイシスの様子を見守り、アイシスが食べた数を上回らない様に調整しながら鳥串を食していく。当のアイシス本人はまったく気にしてはいなかったが、使用人らしい気遣いを見せるタチバナであった。
「ご馳走様でした! ……中々悪くなかったわ。これらは捨てて置いて頂戴」
その味への感動に浸ったままであった為に素で挨拶をしてしまったアイシスがそれを誤魔化す為にやや尊大な態度で葉の皿と串を店主へと差し出す。そこにタチバナがすっと近寄り、『ご馳走様でした』と呟きながら皿の上に自身が食した分の串を乗せた。
「あいよ! またのお越しを!」
威勢良く叫ぶ店主に見送られながら歩き出したアイシスにタチバナが駆け寄り、ポケットから白いハンカチを取り出してアイシスへと差し出す。
「お嬢様、お口を」
タチバナにそう言われたアイシスは顔を赤くしながらそれを受け取り、慌てて口を拭う。本人としては綺麗に食べたつもりだったのだが、口を大きく開かずに食べた為に唇に触れた肉の脂等が少し付いてしまっていたのだった。とはいえ普通ならば凝視でもしなければ気付かない程度であり、事実店主は特に気にもしていなかったのだが。
「ありがとう、タチバナ」
そう言いながらアイシスがタチバナにハンカチを返す。本人としては歳が上であろう相手に対する口調としては偉そうだけど立場上慣れなければ、と思いながらの発言だったのだが、受けるタチバナにとっては違っていた。主であるアイシスに感謝をされた事自体が数える程であったが、『ありがとう』と素直に言われた事など今までに一度も無かったのだ。
「……いえ。当然の事ですので」
相変わらず無表情で淡々と答えるタチバナだったが、その内心は以前とは少し変わっていた。しかしそんな事には無論気付いていないアイシスが再び歩き出した時だった。
「だ……か」
誰かが囁く声の様な音がアイシスの耳に届いた。はっきりとは聞き取れず、周囲も相変わらず喧噪に塗れているにもかかわらず、それは妙にアイシスの印象に残ったのだった。
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