第6部分

「それで、これからお嬢様はどうされるおつもりですか」


 タチバナがアイシスへと尋ねる。アイシス自身もそれについて考えようとしていた所だったが相手から話しかけられるとは思っていなかった為不意を突かれた格好になる。そもそもアイシスにとっては現状でも情報が不足し過ぎている為、そう問われた所で答えを出せる訳が無い。しかし今のアイシスには他の方法もあるのだった。


「どうしようかしらね……。貴方はどうすれば良いと思う?」


 先程までは全ての答えを一人で出す必要が有ったアイシスだが、今はこうして頼る事が許される仲間が居る。本人にとってもこんなに早く出来るとは思っていなかった望外の仲間だが、その立場上通常の仲間よりは信用を置く事が出来た。アイシスにとって主従の様な関係は望む所ではないが、自身がこの世界に来る前から決まっていたのだから仕方が無いと思う事にする。これから個人同士で信頼関係を結んで行けば良い、という所で思考を止めて置けば良かったのだが、ゆくゆくは友人……いえ親友同士になってしまったり、等と考えているアイシスは自身の表情がまたも緩んでいる事に気付いていなかった。


「……お嬢様のなさりたい様にすれば良いかと。私はそれを傍で支えさせて頂きます」


 アイシスの表情の変化をやや訝しげに見ていたタチバナが答える。使用人の立場としては当然と言っていい回答だったが、アイシスにとっては困った反応であった。そもそもタチバナが賛成したのだからこれから二人で生活していく事が可能なのはアイシスにも分かるが、この世界の食料事情や経済、職業や環境等、兎にも角にも情報が足りていない。一応は頭を捻って考えてはみるものの現状では答えを出す事は当然ながら出来なかった。


「……此処で考えていても仕方が無いでしょう。先ずは表に出ませんか、今日は良い天気ですよ」


 明らかに困っている様子のアイシスに対してタチバナが提案する。情報収集の面でも気分を転換するという意味でもアイシスにとってはとても助かる提案であり、これだけでも仲間のありがたさを存分に感じる事出来た。そして生前はその生涯の殆どを一人でベッドの上で過ごしていた少女にとってはただこれだけの事でも感動に値する事でもあった。


「良い考えね、褒めてあげるわ」


 それ故に素直に称賛の言葉を口にしたアイシスだったが、それを聞いたタチバナの反応は無かった。アイシスらしさの演出の為に上から目線にし過ぎたかと不安が過った時、タチバナが言葉を返す。


「……勿体ないお言葉、ありがとうございます」


 その妙な間から、元のアイシスはあまり人を褒めたりしなかったのかもしれないとアイシスは思った。とはいえ丁度パーティーから追放されるという大事件があったのだから何か心境の変化があったと思われるだけだろう、とも。


「それでは出るとしましょうか。準備をするから少し待っていて」


 目覚めた直後から色々とあった所為で碌に身支度も出来ていなかったアイシスがそう言って席を立とうとするが、それを制しながらタチバナが席を立つ。


「いえ、お嬢様の身支度は私の役目。どうかそのままでお待ち下さいませ」


 折角自由に動く身体を手に入れたのだから自分の事は自分でしたいという気持ちと、他人に自分の為に何かをさせるのは気が引けるという二つの理由によりアイシスはそれを止めようとするが、彼我の立場を考えれば寧ろその方が相手を困らせてしまうと思い直す。席に着いたままタチバナの動きを目で追っているとテキパキとあっという間に部屋中からアイシスの装備等を集めてアイシスの元へと持って来る。


 タチバナに促されるままに両手を上げたり一時的に立ち上がったりする内にアイシスの身支度は整った。その中には小型のナイフ等も含まれており、アイシスは自身が勇者パーティーに所属していた冒険者の類であるのだと実感する。


「お嬢様、こちらへ」


 いつの間にか鏡の前に椅子を持って移動していたタチバナがアイシスを呼ぶ。右手には櫛を持っており、それを見たアイシスはその意図を察し席を立ってタチバナの許へ歩き出す。アイシスが鏡の前の椅子に座るとタチバナがその髪を梳かし始めた。


 優しく髪を梳かされていると自然と目が閉じ、アイシスの胸中に生前の思い出が浮かんで来る。幼少時、少女が未だ入院する前の記憶。実家の鏡の前で母に今と同じ様に髪を梳かされている記憶。『綺麗な黒髪、きっと将来は何人もに告白されて困っちゃうんでしょうね、私の様に』そう言って笑っていた優しい母との記憶。


「お嬢様? どうかされましたか? 私に何か不手際が……」


 タチバナの言葉にアイシスは現実へと引き戻される。今まで淡々としか話していなかったタチバナの声から初めて僅かな動揺をアイシスは感じ、どうしたのかと思えば鏡の中の自身が涙を流していた。過去の思い出を想起した故の涙だが、タチバナにとっては晴天の霹靂以外の何物でも無い。


「いえ、何でもないわ、続けて頂戴。……驚かせて悪かったわね」


 自身にとって初めての仲間を安心させる為、アイシスはアイシスらしさを失わぬ範囲で可能な限り優しい言葉を紡ぐ。涙を流してしまった事は本人にとっても意外な事だったが、アイシスにとってそれは決して悪い涙では無く、寧ろ前世の最期の間際には忘れてしまっていた記憶を思い出させてくれたタチバナには感謝をしたい位であった。


「……いえ。それでは続けますね」


 またも少々の間を空けて答えたタチバナに再び髪を梳かされている間、アイシスはまた幸せな思い出に浸るのだった。但し今度は涙を流さぬ様に気を付けながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る