第4部分

 その確かな足取りで扉へと向かう途中、再びノックの音が室内に響く。ベッドから扉まではやや距離が有り、来訪者はその到着までを待ち切れなかった様子だ。先ずは言葉で応えるべきだったかとアイシスが思った丁度その時、扉の向こうの来訪者から声が掛けられる。


「お嬢様、私です。タチバナです。お話がございますので開けて頂けますか」


 聞こえて来たのが若い女性の声であった事で安心したアイシスが扉を開けると、そこには使用人の服装をした若い女性が立っていた。身長はアイシスと同程度、紫がかった長い黒髪に整った顔立ちは多くの人が美人だと感じるものであった。その髪と所謂メイド服が何となくミスマッチだとアイシスは思ったが、直ぐにそんな事よりも考える事があると思い直す。情報を整理し、自身の取るべき態度を決めるべきであると。言葉の内容と服装からしてハシュヴァルド家に仕える使用人と見て間違いない。今までに入手した元のアイシスの性格の情報を加味してアイシスが最終的に言葉を紡ぐ。


「入りなさい」


「失礼致します」


 タチバナを迎え入れたアイシスが机の所まで歩き椅子に腰掛ける。タチバナも同様に机までは歩くが空いている椅子には座らなかった。主家の令嬢に遠慮しているのかもしれないが、相手だけを立たせておくというのはアイシスにとっては気分の良い事ではなかった。


「掛けなさいな」


 思わずそう声を掛けるがタチバナは即応せず、アイシスの顔を少し見つめた後もう一度『失礼致します』と言ってアイシスの向かいに着席した。その間のアイシスは内心で自身の対応は元のアイシスの行動として相応しくなかったかもしれないと焦っていたが、それでも自身に話があると言う来客を立たせたままにするよりは正しい行動に思えた。


「それで、話とは何かしら」


 必死でアイシスらしさを損なわぬにはどうすればと考えつつ、それを表に出さぬ様に努めて話すのは生前の殆どを病室で暮らして来た少女には辛い物であった。しかし幸いな事に少女にはその手の才能が備わっていた様で、先程のライト同様にこのタチバナというメイドも大きな違和感を覚えている様子はアイシスには見て取れなかった。


「はい。先程のライト殿との会話を拝聴させて頂いておりましたが、これにてお嬢様の勇者パーティーでの旅は終わってしまったという事になります。であればお嬢様がこれ以上危険な旅を続ける必要は無いと思われます。もし此度の様な事態になった場合、お嬢様を安全にお屋敷までお連れする様に旦那様から仰せつかっておりました。お嬢様のご準備が出来次第、直ぐにでも出発可能でございます」


 タチバナが目的とその経緯を淡々と説明するが、アイシスの感覚ではその前に引っ掛かる事があった。先ずはそれを尋ねなければ従う気にはならず、恐らく元のアイシスも似たような対応をするだろうと考えて言葉を返す。


「盗み聞きとは随分と良い趣味をお持ちなのね。あの場には私とライトさんしか居なかったと思っていたけれど」


 アイシスが精一杯の嫌味を込めてタチバナの行為を糾弾する。元々は善良で大人しかった少女としてはこれだけでもやや心が痛んだが、タチバナは顔色も表情も一切変える事は無かった。


「申し訳ございません。旦那様よりお嬢様を見守れと仰せつかっておりましたのでどうかご容赦を」


 またも淡々とした口調ではあったが取り敢えず謝罪はしたという事でアイシスも留飲を下げる事にする。そうなれば彼女が今すべきだと考えるのは情報の整理と方針の決定である。


「まあいいわ、少し考えさせて」


「承知致しました」


 考える時間を確保する為の言葉にもアイシスらしさを忘れない様に努力しつつ、頭の中で思考を紡いで行く。タチバナの言に従うのであればこの後はハシュヴァルド家に帰るという事になる。そうなれば安全で不自由なく暮らす事は出来るかもしれないが、それを家族という名の顔も知らぬ相手とする事になる。しかもタチバナの今までの言葉からだけでも当主は結構な堅物である事が予想される上、貴族かそれに類する者の令嬢ともなれば望まぬ相手との婚約等をさせられる事は容易に想像する事が出来た。そもそも元のアイシスが勇者と旅をしていたのもそういう理由があったのかもしれない。何よりも家族を相手に毎日顔を合わせて一切のボロを出さない自信はアイシスには無かった。


 そういう思考を経たアイシスには家には帰らないという結論以外を出す事は出来なかった。問題はこの職務に忠実である事が今までの様子だけでも十分に見て取れたメイドをどう納得させるかであるが、その方法を見出すだけの根拠をアイシスは持っていなかった。仕方が無い、自身の正直な気持ちを伝えるしかないと覚悟を決めて一つ息を深く吸い込み、わざわざ立ち上がってアイシスらしく言葉を紡ぐ。


「生憎だけど私は家には帰らないわ。折角手に入れたこの自由を放棄してまたあの退屈なお屋敷に戻るなんてまっぴらごめんよ。お父様にはそう伝えておきなさい」

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