想いを言葉に

「勿論恋をして愛し合い夫婦になる者も多いだろうが、貴族にはそれがままならない者も沢山いるだろう。私と君もそうだったじゃないか」

「そう言えば……」

「私と妻は見合い……と言っては聞こえがいいが、政略結婚だったんだ」

「そうなのですか?」

「ああ。互いに15、16の、そう。君と同じ位の年頃だった」


 侯爵家の長子だったロバートは跡取りとして自由な婚姻は認められなかった。ルーニエもまた貴族の子女であり、後ろ盾が欲しい父親の命に従ってロバートへ嫁いできたのだった。


「ローニャさんには私達が不幸せに見えるかな?」

「……いえ。とても仲睦まじいご夫妻だなと」

「そう。私はとても幸せなんだ。気立てが良くて優しい妻に、領地を任せて良いと胸を張って言える息子や娘たち。始まりはどうであれ、妻と紡いできた人生に後悔はない」


 「つまりだ」とロバートは一呼吸置く。


「大事なのは出会いや始まりではなく、一緒になった後に相手とどう時間を紡いでいくかということなのではないかな」

「ヴィルヘルム様と……」

「ローニャさん、ちゃんとヴィルとお話しているの?」

「話ですか?」


 思い起こせば一日のうちに顔を合わせるのは食事か寝室のみだ。ローニャは大抵「秘密の庭」に籠っているし、ヴィルヘルムが多忙な時は丸一日顔を合わせない時もある。


「そういえば、あまりお話出来ていないような」


 一人暮らしが板についていたため「会話をしない」ことに違和感が無かった。むしろ自由があって良いとすら思っていたくらいだ。


(確かに、夫婦と言うにはあまりにも会話が無さ過ぎるわ)


「気持ちという物は言葉にしないと案外伝わらないものだよ」


 ロバートはにこりと笑うと鞄からある物を取り出した。


「これは?」

「便箋とインク壺だ。手土産に持ってきたんだ。これで手紙でも書いてみてはどうかな」


 上質な紙で作られたレターセットと一見真っ黒に見えるインク壺。ローニャはインク壺を興味ありげに手に取ると「あっ」と声をあげた。


「このインク、もしかして」

「良く気付いたね。君への手紙に使ったインクだよ。ヴィルヘルムから君が気に入っていると聞いてね」

「ヴィル様が?」

「手紙の内容よりもインクに興味があるようだと……。概ねその通りだったようだね」


 ローニャは恥ずかしそうに赤面すると青いリボンのかかったインク壺に視線を落とした。もしかして手紙に書かれた文字をうっとりと眺めていたのを見られていたのかもしれない。


「君が思っている以上に彼は君のことをよく見ているよ。それは本当にただ利があるだけなのかな」

「……分かりません。ただ、もしもヴィルヘルム様が私のことを想って下さっているなら、私はとても失礼なことをしているかもしれません」

「失礼?」

「私はヴィルヘルム様のことを絵の題材として見ているからです」


 思わぬ言葉に三人の間に沈黙が流れる。まさか一国の王子を「題材だ」と言い切る妻がいるとは公爵夫妻も思っていなかっただろう。


「それは……今もそう思っているのかい」

「今も?」

「確かに出会った頃はそうだったかもしれない。でも、今は?」


(今は……)


 ローニャの脳裏をヴィルヘルムと過ごした日々の思い出が駆け巡る。いや、思い出と言っても華々しいものでは無い。慌ただしくこなした結婚式、「秘密の庭」に菓子や画材の差し入れをしにやってきて茶菓子を囲みながら他愛のない話をしたある日の風景。

 忙しい合間を縫ってローニャの希望を汲むために絵のモデルになってくれたり、「秘密の庭」に籠り切りで社交的ではないローニャを温かく見守ってくれるヴィルヘルムの眼差し。

 「夜会へ出ろ」「もっと社交的になれ」などと一度も口にせず、常にローニャの思うようにさせてくれた。それは義姉のエリーゼや義父母も同じである。

 思い返せばその一つ一つに彼なりの気遣いや心配りがあるのだとローニャはその時ようやく気が付いた。


「違うようだね」

「……はい」


 夫妻のスケッチをしていたスケッチブックのページを捲るとヴィルヘルムの姿を描いたスケッチが何枚も出てくる。


(あ……)


 ページを捲って行くうちにローニャはあることに気づいた。


(ヴィル様の表情が違う)


 古いページ――まだローニャがヴィルヘルムと結婚する前のスケッチと結婚した直後のスケッチ、そして最近描いたスケッチを見比べると描き方が変わっているのだ。いや、描き方と言うよりはローニャの目線が変わっているというべきか。

 初めはそれこそ静物画と同じ、美しい風景や美しい彫像を描くような「天使の彫刻」や「宗教画」を彷彿とさせる絵ばかりだった。しかし時間を経るにつれてスケッチブックの中のヴィルヘルムは偶像から生身の人間へと変化しているのだ。

 それはどれも、他愛のない会話をしながら描き留めたヴィルヘルムの姿だった。差し入れの焼き菓子を食べながら、仕事の話や絵の話をしながら描いた何気ない日常の一コマ。


(私の中で、もうヴィル様は……)


 絵描きとして、それが喜ばしい変化なのかは分からない。しかしささやかながらも大きな変化が心の中に起き始めていた。


「手紙は良い。私と妻が最初にやり取りをしたのも手紙だったんだ」

「ふふ、顔も分からない相手と――それも、将来自分の夫となる人と手紙のやり取りをするのはなんだか不思議な感じだったけれど、今となっては素敵な思い出ね。今でもたまに読み返しているもの」

「そうなのか?」

「あら、ご存知無かった?」


 慌てるロバートにルーニエはクスリと笑う。


「手紙を読む時間も相手のことを想いながら返事を書くのもだんだん楽しみになってね。直接言葉にできないことも手紙なら素直に書ける気がして……」

「そうだな。ヴィルヘルムが多忙で会える時間が少ないならば一層のこと手紙を書いてみると良い。きっと喜ぶと思うがね」


 ロバートに促されて手に持った封筒をじっと見つめた。


「……書いてみます」


 顔を赤らめながら小さな声で発せられた返答に夫妻は顔を見合わせて嬉しそうに頷いた。

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