初めての宝物
ヴィルヘルムは将来を約束された若き獅子である。金糸のごとく光り輝く金の髪に青空の様な美しい瞳、そして美しき母譲りの整った容姿は男女問わず魅了してやまない。
そのような恵まれた容姿をしているにも関わらず浮いた話一つ出ない身持ちの固さと冷静沈着で堂々とした立ち振る舞いは「後継者」として十分すぎるものだった。
「そこに掛けてくれ」
ヴィルヘルムは自室へやってきたローニャにテラスへ来るよう声を掛けた。
「し、失礼致します……」
日差しの中でキラキラと光るヴィルヘルムを眩しそうな目で見ていたローニャは恐る恐るテラスに設けられたテーブルセットへ近づき、椅子に腰を掛ける。
(まさかこんなことになるなんて)
予想していなかった出来事にローニャは困惑していた。緊張した面持ちのローニャにヴィルヘルムは冷たい紅茶を勧める。細かい細工が施されたガラスのグラスに果実と氷と紅茶が入っていた。
「最近女性達の間で流行っているらしい。口に合えば良いのだが」
「なるほど……。美しい飲み物ですね」
グラスに施された切子細工から透けて見える色とりどりの果実が可愛らしい。上に添えられたミントも涼しげだ。随分と細かい細工だが、これも著名な職人の細工なのだろか。ついそんなことを考えてしまう。
「ローニャ?」
一向に飲み物に口を付けようとしないローニャにヴィルヘルムが声を掛ける。
「あっ! 申し訳ありません、あまりに美しいグラスだったのでつい見とれてしまいました」
「ああ。それはここから少し離れた場所にある町工場で作られたものだ」
「町工場……ですか?」
「祖母が見初めた腕利きの職人がいるのだ」
(てっきり廊下に飾られていたような人達が作った物だと思っていたけど……)
「意外か?」
「……はい。その、てっきり廊下に飾られていた絵画を描かれたような著名な方が作った作品かと」
「ふむ。まぁ、そう思われても仕方ないな。だが、彼らも元は売れない画家だったのだ」
「え?」
「祖母はそういう才能を見抜く目をお持ちだった。廊下の絵師たちも祖母が拾い上げた才の一つだ」
先代の王妃は芸術をこよなく愛する人だった。そして何より、埋もれた才能を見抜く目を持っていた。お忍びで町へ出かけては小さな市や工房を巡り、目に適った職人を拾い上げて育て上げる「芸術の母」だったのだ。
「私はそんな祖母が好きだった。だから祖母が亡くなった後も宝探しを続けようと思ったのだ」
ヴィルヘルムは部屋の中に飾られているローニャの作品に目をやる。
「そして初めて見つけた宝が君だ」
「私が宝……ですか?」
「そうだ。初めてあの絵を見た時、まるで雷にでも打たれたような気持ちになったよ。今までいくつも肖像画を描かせてきたが、それのどれにも勝る。自分の絵を見て感動したのは初めてだった。なんて美しい絵なのだと」
「恐れ多いお言葉です」
「君には人を描く才能がある」
まっすぐと目を見て断言するヴィルヘルムにローニャは何と返したら良いのか分からなかった。
(あの絵は確かに自分でも良く描けた絵だと思うわ。でもそれは天使様……ヴィルヘルム様の美しさに感銘を受けたからで、誰でもああいう風に描けるわけではない。あの時の『描かなければ』という衝動は特別な物だから)
……などと本人に言う訳には行かない。
「お褒め頂けて嬉しいのですが、あの絵はたまたま描けたものです」
「そうだろうか。君には人を見る目が備わっているように思えるが」
「私はただ、目に焼き付いた光景を描き止めたい一心で……」
そこまで言ってハッとする。
「目に焼き付いた光景?」
(わわわ、私は、なんということを!)
なんと弁明をしたら良いのか分からずに固まるローニャにヴィルヘルムはプッと吹き出した。
「慌てなくていい。じっくりと聞かせてくれ」
そう言われては最早言い訳も出来まい。ローニャは観念したような顔をすると失礼に当たらないよう言葉を慎重に選びながらその意味を語り始めた。
「収穫祭で殿下の顔を拝見した際、衝撃を受けました。この世にこんなにも美しい人間がいるなんて……と。今まで美術館や教会で見たどんな絵よりも、どんな彫刻よりも美しい。そう思ったのです。
そしてその瞬間、私は『描きたい』という衝動に突き動かされました。目に焼き付いて離れない殿下の顔を描き留めたい。忘れないうちに記録したいと、居ても立っても居られなくなり自宅へ駆け戻りました。
そうして衝動の成すがままに筆を走らせ、気がついた時にはベッドの上に寝かされていました」
「ん? 何故そこでベッドが出てくるんだ」
「描くのに夢中になり寝食を忘れてしまい、いつの間にか気を失っていたようで……。様子を見に来たパン屋の女将さんがベッドに寝かせてくれたそうです」
「……なるほど。そうして完成した絵があの肖像画だと」
「はい。正直、初めての感覚でした。殿下のお姿を描きたいという気持ちが溢れて来て……。そういう訳ですので、おそらく他の絵を描いてもあのようにはならないかと」
偶然の産物。その言葉がぴったりだとローニャは思った。ヴィルヘルムに出会った衝撃があったからこそ描けた一枚だった。それだけだ。
「……そうか」
(流石に引かれたわよね)
考える仕草をするヴィルヘルムを見て俯くローニャ。それはそうだ。もしも自分がそんな目で見られていたと分かれば誰だって「気持ち悪い」と思うに決まっている。王族に対してなんてことをしてしまったんだ。青ざめた顔をしているローニャにヴィルヘルムは言った。
「君は私を絵の題材……ただの物として見ていたんだな」
「申し訳ありません!」
ヴィルヘルムの言葉に冷や汗が出る。
「いや、面白い。この容姿のせいで色々な目を向けられてきたが、そういう気持ちを向けられるのは初めてだ」
まだ幼い頃からヴィルヘルムの周りには婚約者の座を狙って様々な令嬢が近寄って来た。皆口々に「ヴィル様は美しい」と褒めたたえ、うっとりとした目で見つめるのだ。ヴィルヘルムにとってその絡みつくような視線は鬱陶しい以外の何物でもなかった。
(何故このような容姿に生まれてしまったのか。一層の事傷でもつけてしまおうか)
何度そう思ったことか。
そんな時に出会ったのがローニャの絵画だ。大会の審査の日、大広間には大量の絵画が並べられた。その中には勿論ヴィルヘルムを題材とした絵も多くあったが、何故か一枚だけ酷く惹かれた絵があった。
小さな画用紙に水彩画で描かれたヴィルヘルムの肖像画だ。まっすぐ前を見据えたシンプルな構図だが、絵の中の自分と目が合った時に鳥肌が立った。他の絵とは違う。その時はそう感じた理由が良く分からなかったが、ローニャの話を聞いてようやく分かった。
(あの絵からは色恋を感じないのだ)
この絵の作者はヴィルヘルムに恋慕していない。だから余計な濁りが取り払われて澄んでいるのだ。まるでそこまで見えんばかりの透明な湖のように。
(しかし、透明すぎると生き物が住めないと聞く。あの絵にはそれに近いものを感じる)
信仰心と言っても良い。ローニャのヴィルヘルムに対する「目」はヴィルヘルムを物として見ている。
「君の言う『美しい』の意味は他人とは異なっているように思える。もっと見せてくれ。君の目を通して世界を見てみたい」
「殿下。それはどういう――」
「結婚しよう」
「……えっ?」
突然の告白にローニャは言葉を失う。それから一月後、「平民の女性がヴィルヘルム王子に嫁ぐことになった」という大事件が国中を揺るがすことになるのだった。
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