シスター

 放課後。

 ボクはオサムくんと一緒に町中華のある場所へ向かっていた。

 駅の方角に向かい、途中で市民会館があるので、そこを右折。

 すると、路地の中に小ぢんまりとした店があるのだ。


「やだぁ。離して!」


 ボクとオサムくんは、路地の入口で固まっていた。

 もう少しで町中華の店があるのに、道の途中で幼女がおっさんに絡まれていたのだ。


 大人の女性が絡まれているより質が悪い。

 おっさんは、バーコードハゲのサラリーマンだった。

 夕飯を食べに来たのだろうか。

 額にはメンマがついていた。


「良い子だから。良い子だから、こっちにきなさい!」

「いやぁ!」


 ボクは隣のオサムくんを見た。

 助ける、とは口に出すのは簡単だが、実際にこんな場面に遭遇すれば、怖くて手足が震えてしまう。


 だけど、絶対に見捨てた方が後悔するに決まっていた。

 オサムくんは脂ぎった顔で振り向き、「作戦Aだ」とうなずく。


 ボクは頷いた。

 ちなみに、作戦Aが何を意味するのか、全く理解できていない。

 そんな取り決めしていないもの。


「う、うおおお! 幼女を離せええええっ!」


 オサムくんが女の子走りで突進する。

 頬肉や腹の肉がタプタプと真横に揺れ、制服のボタンがはじけ飛んだ。


 ボクも慌てて後を追いかける。

 その矢先だった。


 ベチィっ!


 肌を打つ音が路地にこだまする。


「ああんっ!」


 オサムくんが真横に吹っ飛び、塀に肩をぶつけてしまった。

 その光景を見たボクはショックで固まった。


「う、嘘だろ! こいつ、殴りやがった!」


 リアル暴力耐性のないボクらにとって、ビンタ一つは、一国を虐殺するのと同等の非情さがある。

 オサムくんはピンク色に染まった頬を押さえ、低い声で呻きだす。


「うぐ、ぐ、ふんぐ、……い、いでぇ! いでえええええっ!」

「お、落ち着くんだ!」

「駄目だ。折れてる! あ、ああ! 血が、血が出てる!」

「それは唾液だよ!」


 ショックが強すぎて、オサムくんは錯乱状態となった。


「ぎゃあ、ぎゃあ、うるせぇな! こっちは取り込み中なんだよ!」

「ま、待つんだ! 幼女を、……どうするつもりだ!」


 おっさんは「にちゃぁ」とした笑みを浮かべて言った。


「食うんだよ」

「それ、人として終わりだよ! カニバリズムは認めない!」


 オサムくんが震えながら、首を横に振った。


「ち、違う。そういう意味じゃない」

「ガタガタうるせぇな。お前もやっちまうぞ。年上を敬わないやつはなぁ。殺されたって文句言えねえんだよ!」

「暴論だよ!」


 ドスっ。


 叫んだ直後に、ボクの腹にはおっさんのパンチが命中した。

 幸いなことに、握った拳はベルトの部分に当たった。

 とはいえ、誰かに殴られる、なんて経験は学校の不良以外にはないため、ボクは恐怖で震えあがった。


「う、うわああああああ!」


 手を押さえるおっさんを前に、ボクはお腹を押さえてうずくまる。

 蚊に刺されたような小さな衝撃が、ボクの下腹部に伝わってきたのだ。

 ジッとしていると、なんかお腹が痛い気がするし、無理に動きたくはなかった。


 色々言いたいことはあるけど、一つ言えることがある。


 ――おっさんは――人間じゃない――。


 ボクは初めて人外に遭遇し、再び殴られることを恐れてオサムくんに近寄る。


「誰かぁ! 人殺しだぁ!」

「チッ。分からねえ奴だな。そんなに死にてえなら、お望み通り殺してやるよ!」


 おっさんが怒りの形相で、ボクに接近してくる。

 ボクは恐怖の余り、唯一の友達を盾にし、その場を凌ごうとした。


 オサムくんが殴られてる間に、どれだけの距離を走れる。

 その前に、幼女を連れて逃げないと。

 女の子にバッドエンドは許されない。

 そんな気持ちを胸に、ボクはオサムくんが殴られるのをジッと待った。


「あのぉ」


 柔らかい声がした。


「んあぁ?」


 不機嫌な顔で振り向くおっさん。

 すると、ちょうど首を曲げたあたりで、真横に頭が弾かれた。


 カクン、と体が傾いたおっさんは、地べたに倒れこむ。

 代わりに、後ろへ立っていた人の姿が見えた。


「暴力はやめませんか? 何も解決しないですよ」


 少しだけオレンジ色の入った白い太陽光を背に、おっさんを見下ろす謎の女性。目を凝らして見ると、どこかで見たことのある容姿だった。


 黒い修道服。

 柔らかい雰囲気をした、優しそうな顔立ちの女性。

 手には金づちを握りしめ、きょとんとした顔で前かがみになっている。


「……え」

「ふつくしい」


 オサムくんは、扇情的な肉体美のシスターを見て、恐怖が和らいでいた。ボクはそれどころではない。


 ――


「あら。そちらは、大丈夫ですか?」

「はいっ! おかげで助かりました!」

「あはっ。よかったぁ。……では、後始末しますね」


 そして、振り上げた金づちをもう一度おっさんの頭に目掛け、思いっきり振り下ろしたのだった。

 

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