エピローグ

第60話

「冬葉、昨日はごめんね」


 翌日、もうすぐ定時を迎えようかという時間。今日はずっと外出だった藍沢が戻って来るなりそう言った。


「おかえりなさい。ナツミさん」


 答えた冬葉の顔を見て藍沢は少し首を傾げたが、すぐに微笑んだ。


「良かったね」

「……え?」

「顔に出てるぞー」


 言いながら藍沢は冬葉の頬を両手でペチンと軽く挟んだ。


「え、そうですか?」

「うん。すごく良い顔してる」

「そう、ですか」


 冬葉は自分の頬を撫でてから「ありがとうございました」と微笑んだ。


「え、なにが?」

「蓮華さんのこと」

「ああ。まあ、偶然駅で会ったからさ。わたしが行くよりもあの子が行った方が冬葉も嬉しいだろうなと思って」

「そんなことは――」

「あったでしょ?」


 ニヤリと笑った藍沢に冬葉は照れながら小さく頷いた。


「気持ち、伝えられたんだね」

「はい。でもちゃんとそうだとはまだわからないっていうことも」

「そっか。ちゃんと素直になれたじゃん」


 藍沢は笑うと「その様子だとあの子も逃げなかったみたいだし」と言いながらスマホを出して冬葉に見せた。それはSNSの投稿だ。


「まさかここまでやるとは思ってなかったけど」


 動画を見ながら藍沢は言う。冬葉は小さな画面の中で歌う蓮華の姿を見つめながら「藍沢さんのおかげだって言ってました」と微笑んだ。


「わたし?」

「蓮華さんに送ったメッセージ」

「ああ」


 藍沢は納得したように頷くと「わたしもそんなに良い人じゃないからさ、やっぱりあの子には優しくできなくて」と肩をすくめた。

 冬葉は微笑みながら「そういうことにしておきますね」と頷く。そんな冬葉を見て藍沢は少し不服そうに頬を膨らませたが「今度、ちゃんとご飯行こうね」と冬葉の肩をポンと叩いた。


「もちろんです。楽しみにしてますね」


 藍沢は笑みを浮かべて軽く手を振ると自席に戻っていった。





「そっか。藍沢さんそんなことを」


 夜の公園。いつものブランコ。いつものように並んで座ってお喋り。いつもと違うのはブランコに座りながら手を繋いでいること。


「やっぱり大人だね。藍沢さんは」

「はい。素敵な人です」

「うん……」


 蓮華は頷いて微笑んだ。


「実はね、わたし昨日帰ってから海音に話したんだよね。冬葉さんのこと」

「三朝さんに?」

「うん。そしたら海音、泣いちゃって――。もうわたしはいらないねって」


 軽くブランコを揺らしながら彼女は続ける。


「びっくりした。海音がそんなこと思ってるなんて」


 キィッとブランコが鳴った。冬葉も蓮華と同じリズムでブランコを軽く揺らしながら「ちゃんと話せました?」と聞く。すると彼女は少し驚いたような表情で冬葉に視線を向けた。


「もしかして知ってたの?」

「はい。ナツミさんから聞いて」

「……そっか」


 蓮華は小さく息を吐くと地面に視線を向けながらブランコを揺らす。


「考えてみればさ、一度も海音にはわたしの気持ちを伝えたことなかったんだ。海音は今のわたしにとってたった一人の大切な家族だって。ずっとそばにいてほしいって……。前のわたしはそんな図々しいこと言えるわけないって思ってた。でも、違ったんだね」


 蓮華は申し訳なさそうに微笑む。


「その気持ちを言葉でちゃんと伝えたらね、海音ってばもっと泣いちゃった」

「安心したんでしょうね、きっと」

「うん。泣きながら笑ってた。わたしにとって海音はすごく大切な家族だけど、海音にとってのわたしはそうじゃない。ただのお荷物だって、そう思ってたのに」

「……蓮華さんと三朝さんも両想いだったんですね」


 冬葉が呟くように言うと、蓮華のブランコがピタリと止まった。冬葉も足をついてブランコを止めると彼女へ視線を向ける。


「妬いた?」


 蓮華がニヤリと笑う。冬葉は微笑んで「妬いてますよ。二人の関係には、ずっと」と素直に言葉にした。

 蓮華と海音は誰が見ても特別な関係だ。そこに他人が入り込む余地なんてない。そう思えるほどに。

 予想外の答えだったのか、蓮華は「そうなんだ」と呟いた。


「……次の曲は海音のために書いてみようかな」

「きっとすごく喜んでくれますよ」

「そうかな」

「もちろんですよ。だって三朝さんは蓮華さんのファン第一号なんだから」

「そっか。そうだったね」


 蓮華は照れ臭そうに笑うと「そういえばさ」と思い出したようにスマホを取り出した。


「昨日の路上ライブの動画、あれから他にもいくつかアップされて予想外に拡散されててさ。その影響なのかわからないけど動画の再生数がかなり伸びたんだよね」

「そうなんですか?」

「うん。コメントもいきなり増えてて。中には昨日のわたしの言葉を好意的に受け取ってくれた人もいるみたい。紗綾ちゃんとか」


 蓮華が笑みを浮かべながらスマホの画面を冬葉に見せた。そこには紗綾という本名で長文のコメントが書かれている。


「そういえば今朝、紗綾から連絡がきました。路上ライブの動画を見たからって。そのとき蓮華さんとのこと話したんですけど」

「紗綾ちゃん、なんて?」

「よかったねって」

「それだけ?」

「はい。でも、気持ちはそこに書いてたみたいですね」


 冬葉は紗綾のコメントを見つめる。もはや内容が支離滅裂になっているような気がするが、とにかく嬉しいという気持ちはしっかりと伝わってくる。


「みたいだね。ほら、ここ見て。『姉共々、これからずっとよろしくお願いします』だってさ」

「これ他の人が読んだら何のことかわかりませんね」

「たしかに」


 蓮華は笑ったが「それから」と心配そうな表情を浮かべた。


「冬葉さんのことめっちゃ探してる人もいるみたいだから気をつけてね」

「別にいいですよ。知られても」

「ダメだよ。SNSは怖いんだから」

「でも、そのときは蓮華さんが守ってくれるんですよね?」


 冬葉が言うと蓮華はきょとんとした表情を浮かべたが、すぐに笑った。そして繋いでいた手を放すとブランコから飛び降りるようにして立ち上がり、冬葉の前に立つ。


「もちろんだよ、冬葉さん」


 微笑みながら蓮華は冬葉に手を伸ばす。冬葉はそんな彼女を見上げた。

 公園の街灯がまるでスポットライトのように彼女を照らす。湿り気を帯びた風が緩やかに吹いてその長い髪をサラサラと揺らしていく。光に照らされた柔らかな表情は真っ直ぐに冬葉へと向けられていた。

 美しい光景に誘われるように手を伸ばすと、彼女は優しくその手を取った。


「わたしはずっと冬葉さんの隣にいるよ。何があっても絶対に冬葉さんを守る」


 それを聞いて思わず冬葉は微笑んだ。どこまでが本気でどこまでが冗談なのかわからない。そう思っていた。しかし彼女の言葉はどれも本気だった。だからだろう。彼女の言葉にこんなにも安心してしまうのは。


「わたしもずっと蓮華さんの隣にいますよ。三朝さんみたいには守れないかもしれない。でも、できる限り全力で守りますから」

「うん。でも無理はしちゃダメだよ。冬葉さんにナイト役はあんまり似合わないし」


 蓮華は嬉しそうに笑いながら冬葉の手を引っ張った。彼女に引っ張られて立ち上がった冬葉は、そのまま彼女と額をくっつけるようにして向かい合う。


「あ、冬葉さんおでこ熱くない? 照れてる?」

「蓮華さんだって」

「そりゃ、嬉しいからね」


 そう言って彼女は本当に嬉しそうに笑みを浮かべる。彼女の笑みを見ると心が穏やかになる。彼女の存在は、まるで……。


 ――女神みたい。


「好きですよ。蓮華さん」


 思わず自然と口に出ていた。蓮華はくすぐったそうに微笑むと返事の代わりに軽くキスをした。


「ねえ、冬葉さん。一つ、お願いしてもいい?」


 おでこをくっつけたまま蓮華は言う。


「いいですよ」

「好きだよ、蓮華って言ってみて?」

「え?」

「一回だけ。ね?」


 冬葉はじっと蓮華を見つめると身体を離し、深呼吸をして彼女を抱きしめた。そして耳元で「す、好きだよ。蓮華」と囁く。

 一瞬、身体の動きを止めた蓮華だったが、すぐに強く冬葉を抱きしめ返しながら「わたしも好きだよ。冬葉」と囁き返した。

 頬が燃えるように熱い。いま顔を見られたらきっとあまりの赤面っぷりに笑われてしまう。そう思ったのだが、蓮華は冬葉に抱きしめられたまま動かなかった。


「えっと、蓮華さん?」

「――冬葉さん、やっぱりくだけた口調はぎこちないね」


 冬葉の肩に顔を押しつけたまま蓮華が言う。


「いきなりは恥ずかしいですよ」

「でも、敬語じゃない方が距離が近くなった気がして嬉しい。すごく、嬉しい……」


 噛みしめるように彼女は言った。首筋をかすめた吐息が熱い。


「……じゃあ、頑張る、ます」


 クスクスと蓮華が笑う。


「もっとぎこちなくなった。いいよ。しばらくは我慢する」

「すみません」


 冬葉も笑う。二人だけの静かな愛おしい時間が過ぎて行く。これからもこの大切な時間は続いていくはず。そう思っているのはきっと冬葉だけではない。


「いま何時だろ?」

「何時でしょうね」

「――もう少し、ここでお喋りしたいな」

「はい。わたしもです」


 金曜が土曜に変わる頃、その場所はキラキラと輝く特別な場所へと変わる。

 それはきっと、これからもずっと変わらない。


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金曜が土曜に変わる頃、公園で…… 城門有美 @kido_arimi

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