第十一章

第42話

 店内は空いていてすぐに座ることができた。蓮華が言う通り時間帯が早いおかげだろう。


「空いてて良かったですね」

「ん、そうだね」


 そう答えた蓮華の反応は薄い。冬葉は首を傾げた。


「どうかしました? あ、まだ何か注文します?」


 冬葉はメニューのタブレットを蓮華に差し出そうとしたが彼女は「ううん。そうじゃなくて」と笑った。


「ただちょっと変な感じだなぁと思って」

「変?」

「こうして冬葉さんとファミレスで向かい合って座ってるの」

「そりゃ、初めてですし」


 しかし蓮華は「そうじゃなくてさ」と少し微笑む。


「いや、そうじゃないこともないんだけど」

「どっちですか」


 冬葉が笑うと彼女も笑いながら「わたしさ、思い返してみたんだけど」と続けた。


「こうして誰かとファミレスとか気軽な店でご飯食べるの、海音以外だと初めてかもって」

「え……」

「子供の頃は家族でどこかに行ったこともないし、デビューしてからは偉い人たちやスタッフさんたちとご飯に行ったことはあるけど堅苦しい場所が多かったし。ファミレスには一人で行ったりしたことはあるけど誰かと来たことはなかったんだよね」

「……じゃあ、わたしが最初の一人ですね」


 冬葉が言うと蓮華は嬉しそうに笑みを浮かべた。


「そうだね。初めて一緒に来れたのが冬葉さんで良かった。ファミレスってなんかさみしい思い出しかなかったからさ。全然曲ができなくて深夜のファミレスでオールしながら延々と詞を書いたりとか」

「今日は楽しいですか?」


 聞いてみると彼女は「とっても。人生で一番楽しいかも」と笑う。


「そんな大げさな。まだ来たばかりですよ。料理だってまだなのに」

「いいの! こうして冬葉さんと一緒にいられるのが楽しいんだから。あ、料理来たよ」


 運ばれてきた料理を食べ始めながら「それで、この後はどうしよっか」と蓮華が言った。


「冬葉さん、行きたいところある?」

「そうですね……」


 冬葉は食べる手を止めて考える。

 行きたいところがあるかと言われたらあるような気もするし、しかしないような気もする。具体的にどこかへ行きたいとは思わないのだ。ただこうして蓮華と一緒にいられるのであればいつもの公園でも構わない。しかしそれではこうして出掛けている意味はないだろう。


「――冬葉さんは映画とか観る人?」


 考えていると蓮華がスマホを見ながら口を開いた。


「映画ですか。あまり観に行くことはないですけど好きですよ」

「恋愛ものとか?」

「なんでも好きです」

「そっか。じゃ、行く? 電車で一つ隣の駅にあるモールの映画館なんだけど、ちょうど良い時間帯のがあるから」


 蓮華が見せてくれた画面には最近よくテレビで宣伝している映画のスケジュールが表示されていた。


「知ってる? この作品」

「はい。テレビでよく宣伝してますよね。たしか青春恋愛もの」

「へえ、そうなんだ」

「え、知ってたのでは?」


 しかし蓮華は笑って首を横に振った。


「テレビもあんまり見ないからさ。でも映画は久しぶりに観たいなって思ったから」

「わたしも久しぶりに映画観たいです」

「じゃ、決まりだね」


 蓮華は嬉しそうに言うと食事を再開した。


「……そういえば明日だっけ。沙綾ちゃん来るの」


 注文したメニューを食べ終え、コーヒーを飲みながら蓮華が思い出したように言った。冬葉は頷く。


「でもまだ何時に来るのか聞いてなくて。連絡はしてるんですけど返信が来なくて」

「来るかどうか迷ってるのかもね」


 確かにそうかもしれない。この一週間、沙綾からの連絡は一度もなかった。いつも日に一度は連絡を取り合っていたのに。


「わたしに会いたくないのかな、やっぱり。紗綾ちゃんにとって、きっとわたしは極悪人みたいなものだし」

「――そんなことないです。紗綾は来てくれますよ。あの子は物事をうやむやにするのが嫌いな子だから」


 迷っていても最後にはちゃんと答えを出すために動く。紗綾はそんな子なのだ。そんな紗綾に支えられて冬葉は今までなんとか生きてこられた。そう思う。


「お姉ちゃん想いの妹さんだもんね」


 蓮華の言葉に冬葉は首を傾げる。蓮華は笑って「お姉ちゃんが心配だから会いたくないわたしに会いに来るんでしょ?」と言った。


「そうですね。わたしが頼りないから――」

「それは違うよ、冬葉さん。お姉ちゃんのことが大好きだから、だよ」


 蓮華の声は優しい。


「きっと冬葉さんがものすごく誰よりも頼りになるお姉ちゃんだったとしても紗綾ちゃんのわたしに対する気持ちは変わらなかったと思うよ。だって大好きなお姉ちゃんを世間的に評判の悪い人に近づけたくないじゃん?」

「大好きな……」

「うん」

「蓮華さんもそうですか?」

「え、わたし?」


 冬葉は頷く。


「たとえば三朝さんが、その、世間的に評判の悪い人と仲良くなってたら」


 すると蓮華は「んー」と考え始めた。


「そうだね。嫌な気持ちにはなるかもしれない。だけどわたしにとって海音はなんていうか、そういう人じゃないから」

「そういう?」

「大好きなお姉ちゃんって感じじゃないっていうか」


 蓮華は難しい表情で考えている。

 やはり姉としてではなく恋愛として好きだったのだろうか。蓮華の過去を聞いていたとき、そう思ったのは間違いではなかったのかもしれない。

 なんとなくざわざわしてくる胸に冬葉はそっと手をやる。


「――じゃあ、蓮華さんにとって三朝さんはどういう人なんですか?」


 別に聞きたいわけじゃない。それでも口から勝手にそんな質問が流れ出ていた。蓮華はさらに難しい表情を浮かべる。


「んー、わたしにとっての海音……」

「好き、なんですよね?」


 蓮華は驚いたような表情を浮かべたがすぐに微笑んだ。


「うん。そうだね。好きだよ、海音のこと。小さい頃からずっと」


 そう答えた彼女の笑みはいつも冬葉に向けられる笑みとは違っているような気がする。何か特別な感情がそこにある。そう思ってしまうのはなぜだろう。冬葉は短く息を吐くと「それは、その――」と俯く。


「違うよ」


 まだ冬葉が言い終わらないうちに蓮華は言った。冬葉は思わず顔を上げる。


「わたしは海音のこと好きだよ。だけどそれは冬葉さんが思ってるような感情じゃない」

「え、わたしが思ってるって……」

「恋愛かどうかってこと心配したでしょ、冬葉さん。たしか前もそんな感じのこと言ってた」


 彼女は面白そうに笑うと「もう伝わってると思ってたんだけどなぁ」とぼやいた。


「え?」

「わたしの恋愛としての『好き』は冬葉さんへの気持ちしかないって。けっこうストレートに伝えたと思うよ? わたし」

「あ、えっと……。すみません」


 思わず俯きながら謝ると蓮華は「いいけど」と柔らかく微笑んだ。そして微笑んだまま、どこか遠くへ視線を向ける。


「わたしにとって海音はさ、そういう好きじゃないんだよ。だけどやっぱりすごく大事な人で好きな人。それは本当」


 冬葉は頷く。それは彼女の言葉から今までもずっと伝わってきたものだ。蓮華は「だけど」と僅かに眉を寄せた。


「この『好き』がどういう気持ちなのかっていうのはよくわからないんだよね」

「わからない、ですか」

「うん」


 蓮華は頷くと顔を上げる。


「『好き』ってさ、一言で言い表せるけどそれがどんな『好き』か、なんて人によって全部違うと思わない?」

「それは、たしかに」

「恋愛、友愛、親愛、それ以外の、言葉では表せない愛情の『好き』もたくさんあると思う。わたしの海音への気持ちはきっとその中のどれか。それもかなり変な感情だと思うよ」

「変?」

「だってさっき考えて思っちゃったんだもん。もし海音が世間的に評判の悪い人と仲良くしてたら、嫌な気持ちにはなるけど何もしないかなって」

「え、何もですか」

「うん。海音が選んだことならそれもいいかなって思っちゃった」

「それは……」

「ひどいよね」


 蓮華は笑う。そして「でも」と続けた。


「もしそれで海音が傷ついて落ち込んでどうしようもないことになったらさ、わたしはきっと全部を捨ててでも海音のこと助けようとするなって」


 ――全部を捨てて。


 考えてから冬葉は少し微笑む。


「それって――」

「うん。たぶん一緒なんだよ、きっと海音のわたしへの気持ちも同じようにすごくいびつな形をした『好き』なんだと思う。恋愛とはまったく別物の……。そのことに藍沢さんが気づいてくれたらいいんだけど」


 蓮華はそう言って視線を俯かせた。海音と藍沢の関係を蓮華がどこまで知っているのか冬葉にはわからない。もしかするとあの日、カフェでのことをすべて海音から聞いたのかもしれない。


「わたしと会うのはきっと嫌だろうしね、藍沢さんは。わたしもちょっと会いづらい……」


 蓮華は言いながらスマホを手にした。そして「あ!」と声を上げる。冬葉は驚いて思わずビクッと身体を震わせた。


「あ、ごめんね。でも時間がやばいよ、冬葉さん。映画に間に合わなくなっちゃう!」


 冬葉もスマホで時間を確認すると確かに今から移動するとギリギリになりそうだ。


「次の電車、五分後に来るみたいだよ」


 アプリで時刻表を確認しながら蓮華が言う。冬葉は慌ててバッグを手にすると「行きましょう!」と伝票を手にしてレジに向かった。その後ろで蓮華が楽しそうに笑っている。その笑顔を見るだけでさっきまでの胸のざわつきが一気に凪いでいったのがわかる。


 ――不思議な気持ち。


 冬葉はそっと胸に手をやりながら微笑むと「お会計、お願いします」と店員に伝票を手渡した。

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金曜が土曜に変わる頃、公園で…… 城門有美 @kido_arimi

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