第43話

 映画館は思っていたよりも混んでいた。平日だからと油断していたが予想は甘かったようだ。


「席、けっこう埋まってましたね。人気作だったんですね。この映画」


 映画が終わり、シアターを出ながら冬葉は隣を歩く蓮華に視線を向けた。しかし彼女はぼんやりとした様子で何も答えてくれない。


「蓮華さん……?」


 名前を呼ぶと彼女はハゥとした様子で「あ、ごめん。何?」と笑みを浮かべた。


「どうかしました?」

「ううん。何も」

「でも――」

「なんでもないよ。映画は面白かったし」

「映画は……?」


 冬葉が首を傾げると彼女は視線を俯かせて「うん。映画は面白かったよ」と繰り返した。その横顔はどこか辛そうにも見える。

 どうしたのだろうか。映画が始まる前はあんなに楽しそうだったのに。体調が悪くなってしまったのだろうか。

 考えながら冬葉は視線を周囲に向ける。


「蓮華さん、あそこ入りましょうか」


 冬葉が指差したのはカフェだ。外から見える店内に客の姿はあまりない。


「わたし温かい物飲みたくなっちゃいました」


 冬葉が言うと蓮華は「そうだね。わたしも」と頷いた。

 店内に入ってテーブル席に着くと、とりあえずコーヒーを注文する。その間も蓮華はどこか元気がない様子で口数は少なかった。


「映画、あまり好きなジャンルじゃなかったですか?」


 冬葉が訊ねると蓮華は「ううん。そんなことないよ。それに冬葉さんと一緒だったからすごく楽しかった」と微笑む。しかしすぐに「でもね」と視線をテーブルに向けながら続けた。


「あのエンディングの曲がちょっと気になっちゃって」

「エンディングの曲……?」


 それは確かに冬葉も少し気になった曲だった。別に知っている歌手が歌っているわけでもない。知っている曲というわけでもない。それなのにどこか心に引っかかっている。聴いたことのない曲のはずなのに、どこか覚えがある。そんな気がしたのだ。

 蓮華はおもむろにスマホを開くと映画の公式ページを表示させる。そして何かを確認して「やっぱり……」と呟いた。


「蓮華さん……?」

「見て」


 蓮華は苦笑しながらスマホの画面を冬葉に見せる。そこには映画のエンディングテーマ曲が紹介されていた。それを見て冬葉は「え……」と声を漏らした。そこには作詞作曲、蒼井蓮華とあったのだ。


「あの曲、蓮華さんの? え、でも歌ってる人は」

「うん。最近デビューした売り出し中の子だね」


 蓮華は笑って「あの曲、次の新曲にって提出した曲なんだよね」とため息交じりに言った。


「世に出すこともないまま終わっちゃったけど、こうやって使われてるなんてびっくりしちゃった」

「……でも、曲の権利とかは」

「曲は事務所が買い取ってくれたから今はもうわたしに権利はないんだよね。それでもわたしの名前をちゃんと公表してくれてるあたり、あの事務所はちゃんとしてるんだろうね。アレンジでかなり変わってたけど」

「じゃあ、蓮華さんの今までの曲は」

「うん。もうわたしの曲じゃない。だから別にいいんだけど、いきなり聞いたから驚いちゃって。ごめんね。心配させたよね」


 蓮華は笑ったがすぐに深くため息を吐いた。そして悔しそうな表情で唇を噛みしめる。

 蓮華がどんな想いを込めてあの曲を作ったのか冬葉にはわからない。だけどきっと蓮華の人生の一部が込められている。それは間違いないはずだ。


「――わたしが歌ってあげたかったな。あの曲」


 ポツリと呟いた蓮華の言葉が心に刺さる。スマホを握る彼女の手が微かに震えていた。冬葉はそっとその手に自分の手を重ねた。


「わたしも聞きたいです。まだわたしが知らない蓮華さんの曲」

「……いいのかな。わたしが歌っても。権利もないのに」

「わたしの為だけに歌ってくれるのなら大丈夫ですよ」


 冬葉の言葉に蓮華は一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐ嬉しそうに笑った。


「冬葉さんがそんなこと言うなんて意外」

「そうですか? 言いますよ。わたしは蓮華さんの大ファンですから」

「へえ。そうなの?」

「そうですよ。前にも言いましたけど蓮華さんの歌、大好きです」

「そっか」


 蓮華はくすぐったそうな表情で頷くと少しの間、無言で冬葉を見つめた。


「蓮華さん?」


 冬葉が首を傾げると彼女は「――うん。決めた」と呟いた。


「え、なにを?」


 しかし蓮華はそれには答えず「いつかちゃんと歌ってあげるからね」と笑った。


「もうちょっとギターのリハビリしたら」

「リハビリ?」

「うん。ネットにアップしたあの曲を作るのに久しぶりに真面目に弾いたんだけど思うように弾けなくて……。今、全力で練習中です」


 そう言って蓮華は難しい表情でギターを弾く真似をする。


「指が動かないんだよね。でも、ちゃんと弾けるようになったらいっぱい歌うよ。冬葉さんのために。今までの曲も、これからの曲も」

「はい。楽しみにしてます」

「待っててね」


 蓮華は映画を見終わった直後とは違う、何かが吹っ切れたようなそんな明るい表情で笑う。そのときテーブルに置いていた冬葉のスマホの画面がパッと光った。


「あ、紗綾」

「紗綾ちゃん?」

「はい。明日の始発でこっちに来るって」

「え、始発って。ずいぶん早いね?」

「そうですね」


 頷いているうちに新しくメッセージが届く。


 ――明日、あの人と会える?


 冬葉は蓮華に視線を向けた。彼女は柔らかな表情で蓮華のことを見つめていた。


「紗綾ちゃん何だって?」

「明日、蓮華さんと会えないかって」

「いいよ。わたしは何時でも大丈夫。元々そのつもりだしね」

「ありがとうございます」

「なんで冬葉さんがお礼を言うの。お礼を言いたいのはこっちだよ」


 冬葉が首を傾げると彼女は「紗綾ちゃんと話す機会をくれたんだから」と続けた。


「紗綾ちゃんは昔のわたしを知ってる。昔のわたしを知ってる人とちゃんと向き合って話すの初めてだからさ」


 そう言った彼女の表情は緊張しているように見える。冬葉はそんな蓮華に笑みを向けた。


「大丈夫ですよ。蓮華さんは、大丈夫」

「……うん」


 蓮華は微笑むと「冬葉さんがそう言うなら、きっと大丈夫だね」と頷いた。そして二人で微笑み合うとのんびりコーヒーを飲む。


「このあとはどうしましょうか」

「うーん。もう閉店まであんまり時間ないよね」


 たしかテナントショップの閉店は二十二時だったはず。時間を確認すると今は二十一時を過ぎたところだ。


「冬葉さんは買いたいものとかある?」

「んー。特には……」

「そっか」


 蓮華は頷くと「じゃあ、ちょっとだけ寄ってもいいかな? 行きたいお店があって」と言った。


「もちろん。服とかですか?」

「ううん。ここの一階にね、楽器屋があって」

「もしかして新しいギターを?」


 聞いてみたが蓮華は「まさか」と笑った。


「欲しいけど今は楽器を買うお金もないんだよね」


 彼女は笑み浮かべながら「練習のために弦の予備買っとこうと思って」と続ける。


「早く上手になりたいからいっぱい弾かないと」

「わたしは今でもすごく上手だと思いますけど」


 しかし蓮華は笑って「全然だよ」と力なく首を横に振った。

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