第29話

「以上、わたしの昔話でした。ね。嫌いになったでしょ?」


 冬葉は言葉を出すこともできず、ただゆっくりと首を横に振った。蓮華は「そんなはずないよ」と諦めたように笑う。


「みんなわたしのことなんて嫌いなんだよ。親も兄も海音も藍沢さんも、わたしのファンだって言ってた子たちも……」

「……海音さんも? 海音さんがそう言ったんですか?」


 つい強い口調で言ってしまった冬葉に蓮華は表情を変えることなく「言ってないよ」と答えた。


「海音は優しいからそんなこと言わない。でもわかるよ。わたしのせいで海音の幸せを壊したのは本当だし、それに海音からの当たりもけっこう強くなったしさ」


 そういえばスーパーで会ったときの海音は蓮華に冷たい言葉をかけていたような気もする。しかし、その言葉に悪意は感じられなかった。どちらかというと困った妹を持った姉のような、そんな雰囲気だったはずだ。


「冬葉さんも優しいから、嫌だと思ってもそれを口に出すことはできないだけだよね。大丈夫。わかってるから」


 考えていると蓮華が静かな口調でそう言った。冬葉はハッとして彼女へと視線を向ける。そしてその顔を見て目を見開いた。蓮華は穏やかに微笑んでいたのだ。まるですべて分かっているとでも言うように。その表情を見ていると、どうしようもなく心が苦しくなってくる。

 冬葉は一度息を吐き出して「蓮華さんは――」と口を開いた。


「どうしてそうやって全部決めつけるんですか」


 絞り出した声は震えていた。怒りではない。悲しかったからだ。彼女が冬葉の言葉をウソだと決めつけていることが。

 蓮華は困ったように「別に決めつけてるわけじゃないよ」と言う。


「本当のことなんだよ。誰も、わたしのことなんか好きにならない」

「どうして――」

「それが本当だからだよ」


 会話にならない。それほどまでに彼女の過去は彼女を追いつめ、傷つけたのだろう。そしてその傷は未だに癒えていない。だからこそ彼女は他人を信じられなくなっている。穏やかに、しかし完全に他人を拒絶しようとしている。しかし――。

 冬葉は「だったらどうして……」と蓮華が握るスマホに視線を向ける。


「どうして、曲を作ってくれたんですか」

「え……?」

「その曲、わたしのために作ってくれたんですよね? しかもチャンネルに動画をアップしてくれた。きっとそこにどんなコメントが書かれるかわかってましたよね?」


 蓮華はスマホに視線を向けながら「そうだね」と呟く。


「じゃあ、どうして?」

「……どうしてだろう」


 彼女はスマホの画面を見つめながらしばらく考えていたが、やがて「聴いてほしかったから、かな」と言った。


「わたしに?」

「もちろん一番は冬葉さんに。わたしがまた曲を作れたのは冬葉さんのおかげだから」


 言って彼女は顔を上げて公園を見渡した。


「わたしね、海音と暮らし始めてからは毎日のように夜中にこの公園に来るようになったんだ。夜の公園は誰もいない。誰もわたしを見ない。誰もわたしに気づかない。その時間だけ、ここはわたし一人だけの世界。だから好きだった」

「……でも、わたしが来ちゃいましたね」


 冬葉が言うと蓮華は「鍵を無くして帰れない大人って初めて見たよ」と笑った。


「ここで初めて会った人はわたしのことを知らなかった。けっこうメディアにも出てたから未だに知ってる人もいたりするんだけどね」

「すみません。そういうことには疎くて……。昔からテレビとかもあまり見ない生活なので」


 冬葉が苦笑すると蓮華は笑って「だからかな」と続ける。


「素直に、まっすぐにわたしと接してくれる冬葉さんと話してると少しだけわたしのこと知ってほしいって、そう思ったの。そんな気持ちになったのは初めてで、こんな今のわたしは昔のわたしを知ってる人にはどう映るのか、それを知りたかったのかもしれない」


 蓮華の言葉に冬葉は「よかった」と微笑む。蓮華は不思議そうに顔を上げた。


「わかってないんですか? 蓮華さん」

「え、なにが」

「蓮華さん、さっきと言ってること矛盾してますよ」


 しかしわからないのだろう。蓮華は首を傾げている。冬葉は彼女に笑みを向けながら「だって、嫌われてるって思ってる相手に対して普通は自分を知ってほしいだなんて思わないですよ」と続けた。


「……そう、かな」

「少なくともわたしはそうですよ。過去にわたしのこと嫌いになった人に対して、今のわたしを見てもらいたいとは思いません。恐いから」

「別に見て欲しいわけじゃなくて」

「でも知ってほしかったんですよね。当時の蓮華さんじゃなく、今の蓮華さんを。きっと今の蓮華さんが本当の蓮華さんだから」


 すると彼女は「わたしの名前、連呼しすぎ」と少し照れたように笑った。そして「でも、うん。そうかも」と微笑みながら息を吐く。


「たしかに矛盾してるかもね。きっとわたしのことを知ってる人は皆わたしのこと嫌いなんだって、そう思ってるのは本当。でも今のわたしはきっと昔のわたしじゃない。そう思ってる自分がいるのも本当」

「うん。だってわたしは今の蓮華さんしか知りませんし。今の蓮華さんのこと好きですよ」

「……もう一回言って?」


 ふいに蓮華が真面目な表情で冬葉を見つめてきた。冬葉は「え?」と少し戸惑いながらも「蓮華さんのこと、好きですよ」と繰り返す。すると蓮華は「ふうん」と嬉しそうに微笑んだ。


「冬葉さんは今のわたしが好き?」

「はい」

「本当に?」

「本当に」

「昔のわたしは?」

「それはわからないです。だって、昔の蓮華さんを話でしか知らないから。わたしにとって過去の蓮華さんは別人の他人ですよ」

「それはひどい」

「あ、すみません」


 思わず謝ると蓮華は楽しそうに軽く声を上げて笑った。そして「なんだろう。不思議な感じ。すごく嬉しい……」と息を吐いた。


「信じてくれました? わたしの気持ち」

「うん。そういえばさ、忘れてたよ。冬葉さんがウソつけないタイプの人だって。だからきっと冬葉さんの言葉は本当なんだね」


 冬葉は「はい」と頷いて彼女に微笑む。


「わたしは好きですよ。蓮華さんのこと。蓮華さんが作ってくれた曲も大好きです。温かくて綺麗で、ずっと聴いていたいです」

「そっか。他の人にはわたしは過去のままみたいだけど」


 蓮華は言いながらスマホの画面をスクロールさせていく。そしてハッとしたようにスクロールを止めた。


「……帰ったらさ」


 画面を見つめながら蓮華は笑みを浮かべる。


「海音と話をしてみるよ」

「海音さん?」

「うん。ほら、見て。海音もこの曲好きなんだって」


 嬉しそうに彼女はスマホの画面を冬葉に向けた。そこに並ぶ数々の冷たい言葉たち。その中に一つだけ「この曲、大好きだな」という言葉があった。そのコメントを書いたアカウント名は『海音』。それを見て冬葉は思わず笑みを浮かべた。


「海音さん、きっと待ってたんじゃないかと思います」

「なにを?」

「蓮華さんがまた曲を作るのを。じゃないと、こんな一番最初にコメント書くことなんてできないですよ」


 言いながら冬葉は蓮華のスマホの画面を見つめた。

 海音が書いたコメント。それはコメント欄の一番最初に書かれていた。きっとそれが書かれた時間も動画がアップされて間もない時間なのだろう。

 蓮華もそれに気づいたのか「そうかな」と嬉しそうに笑った。冬葉はそんな彼女を微笑みながら見つめ、そして「じゃあ、早く帰らないとですね」と立ち上がる。


「もう帰っちゃうの?」


 少しだけ蓮華が寂しそうに表情を曇らせた。冬葉は頷く。


「海音さんもきっと待ってると思うから」

「……そうだね」


 蓮華は頷き、立ち上がる。そして「また会ってくれる?」と不安そうに言った。冬葉は驚いて目を見開いたがすぐに笑みを向ける。


「もちろんですよ」

「また金曜日?」

「会いたいときにはいつでも」


 すると彼女は「それはさ……」と首を傾げた。


「冬葉さんはわたしと両想いってことでいいのかな?」

「え……」

「それとも冬葉さんの好きはわたしの好きとは違う種類?」


 まっすぐな瞳で彼女は言いながら一歩、冬葉に近づいた。綺麗な顔が目の前に迫っている。冬葉はそんな彼女を見返しながら「蓮華さんの好きの種類はどんな?」と問い返した。


「こんなやつだよ」


 彼女はそう言うとふわりと顔を近づけた。そして唇に一瞬だけ柔らかなものが触れたと思った次の瞬間には冬葉は彼女の腕の中にいた。


「すっかり冷えちゃったね。冬葉さん」


 強く、まるで何かを確かめるように冬葉を抱きしめながら蓮華は言った。そしてすぐにパッと離す。


「どう? 冬葉さんの好きは、これとは違う種類?」

「……えっと、たぶん」

「たぶん?」


 しかし突然のことに動揺してしまって言葉が出てこない。冬葉は呆然と蓮華を見つめて「そう、かも?」と答えた。蓮華は吹き出すように笑って「ダメだよ。流されちゃ」ともう一度冬葉のことを抱きしめる。


「さっきまでは大人みたいで格好良かったのにな。やっぱり冬葉さんは冬葉さんだ」

「あの、わたし――」

「大丈夫だよ。別にすぐに答えが欲しいわけじゃない。藍沢さんのことだってわかってる。だから、わたしのことは気にしないでちゃんと自分の気持ちに素直になってほしいな」


 蓮華はそう言うとゆっくり冬葉から離れてニッと笑った。


「じゃ、今日は帰るね。冬葉さん、寒いから風邪ひかないように気をつけて」

「あ、はい」

「じゃあ、また」

「おやすみなさい、蓮華さん」

「うん。おやすみなさい、冬葉さん」


 いつものように手を振って彼女は公園を出て行く。

 その背中を見送りながら冬葉は熱くなった頬に手を当てた。

 蓮華のことは好きだ。そして藍沢のことも好き。


 ――わたしの好きは、どれなんだろう。


 しかし、のぼせてしまったような頭でいくら考えてもその答えが出ることはなかった。

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