第28話

「それが、このチャンネルですか?」


 懐かしそうに、しかし寂しそうに微笑む蓮華を見つめながら冬葉は訊ねる。彼女は頷いた。


「一年くらいかな。一ヶ月に一曲ずつアップしていってさ。なんか半年後くらいからすごい勢いで再生数伸びちゃって、そのままデビューしたんだ」

「すごい……」


 思わず呟くと蓮華は「すごくないよ」と息を吐くようにして笑った。


「まあ、わたしもあの時は『もしかして才能あるのかも』なんて勘違いしてたけどさ。冷静に考えると素人が作った曲がそんな簡単にバズるわけないよ」

「え、でも――」

「事務所がなんか裏でやってたと思うんだよね。良い感じに」

「そんなことできるものなんですか」

「できるんじゃない? わかんないけど」


 蓮華はそう言うと「ほんと、わたしは何もわからないバカだったんだよ」と視線を俯かせた。


「デビューして曲が売れて、ライブもそれなりに集客が良くてさ。学校はほとんど行けなかった。でも、それでもいいって思ってた。ちゃんと稼げて一人で生きていける。自分の力で生きていける。そんなバカなこと思ってたんだよ。わたしは」

「なんでそんな……。バカなんかじゃないです。すごいじゃないですか」

「すごくないよ。だってわたしは事務所を破産させかけたし海音の人生を狂わせた。それに人の命を奪いかけたんだから」


 蓮華の言葉に冬葉は眉を寄せる。


「命を……?」


 蓮華は頷く。そして深く息を吐き出した。


「コンスタントに新曲を発表してライブもけっこう短いスパンでやる。そんな感じの生活がデビューしてからずっと続いてた。周りは誰も助けてなんてくれない。当然だよね。お金をもらう以上、わたしは子供じゃなくて商品だったんだから。事務所の寮に入ってからは海音と会う暇も連絡する暇もなくて、気づけば気軽に話ができる相手は誰もいなくなってた……」


 蓮華はぼんやりと手元を見つめながら続ける。


「デビューして一年経ったくらいかな。すごい久しぶりに休みがもらえてさ、嬉しくて海音に連絡したんだよ。会いたいって。そしたら海音、会えないって。今、彼女と暮らしてるんだって言われて……。なんていうか、すごいショックだった」

「海音さんが女性と付き合ってたからですか?」

「ううん、そこは別に。付き合ってる人の話を聞いたとき、なんとなくそうなのかなって思ったから」

「……じゃあ、好きだったんですか? 海音さんのこと」


 すると蓮華は顔を上げて驚いたように冬葉へ視線を向ける。しかしすぐに視線を手元に落として首を横に振った。


「違う、と思う。よくわからないけど。ただ海音は小さい頃からいつだって隣にいてわたしのことを見てくれてたから、これからもずっとそばにいてくれるんだって勝手に思ってた。だからたぶん裏切られた感じがしたんだと思う」


 自己中だよね、と彼女は笑った。呆れたように。


「そこからのわたし、もっと最悪でさ。ろくな曲も作れなくて、でも仕事はやらなくちゃいけない。ライブの予定だって詰まってて……。忙しすぎて、正直もうあの頃のことはあんまりよく覚えてないんだけどね。とにかく毎日が最悪な気持ちだったことだけは覚えてる。楽しい事なんて何一つなかった」


 キィッとブランコの鎖が鳴った。蓮華が手元に視線を向けたまま、軽くブランコを揺らしている。冬葉は何を言うこともできずに彼女の話を聞いていた。

 気軽に言葉をかけられるような、そんな過去ではない。まだ十六、七の少女が大人たちに囲まれて仕事をし、忙殺され、信頼していた人も離れていってしまったのだ。彼女の話しぶりからおそらくは周りに信頼できる大人はいなかったのだろう。

 冬葉には紗綾がいた。妹を守らなくてはという想いだけで生きてきた。しかしきっと蓮華には何もなくなってしまった。生きるための支えが何も。

 ふいに風が吹いてきた。いつの間にか気温もかなり下がっているようだ。凍るような夜風が俯いた蓮華の髪を揺らしていく。

 しばらく無言でブランコを揺らしていた蓮華は俯いたまま「街でさ」と口を開いた。


「ファンだって言う子に声かけられたんだよ。曲ができなくて、事務所からは早く作れって急かされて数日後にはライブが迫ってた、そんな時期。たぶん本当に余裕がなかったんだと思う。わたしね、嬉しそうに話しかけてくれた子に言ったの。わたしのこと何も知らないのにどこが好きなのって」

「え……」


 思わず冬葉が声を出すと蓮華はゆっくりと顔を上げ、冬葉を見て微笑んだ。


「その子もそんな反応してた。可哀想なくらい萎縮して悲しそうに謝る彼女を見てたらさ、やっぱりこの子はわたしのことなんて好きなんかじゃないんだって思っちゃって。そうしたらすごくイラッとして、わたしたぶん色々言っちゃったんだと思う」

「……思うって」

「覚えてないの」


 蓮華は微笑んだまま視線を再び手元に戻した。


「わたしが彼女に何かを言ってた。それは覚えてるんだけど何を言ったのか覚えてなくて。ただ、わたしが何か言うたびに彼女の表情が強ばっていったのは覚えてる。あんなに嬉しそうに笑顔で話しかけてくれたのに……。気づいたら彼女、泣いちゃってた」


 蓮華はそこで言葉を切ると一つため息を吐いた。そしてギュッと両手でスマホを握りしめて続ける。


「その数日後のライブでね、あと数時間で開演ってときにSNSに流れてきたの。わたしのファンの子が自殺未遂をしたって。遺書にはわたしの言葉に傷つき、生きているのが辛くなったって書いてあったんだって」


 蓮華は項垂れ、声を絞り出すようにして「その子、わたしと会ったその日の夜に死のうとしたんだよ。部屋で首を吊って」と続けた。


「……でも、それが本当にその子だったのかは」

「わかるよ。その子の写真、ネットに上がってたんだもん。ライブ当日っていうのもあったんだろうね。わたしのアカウント、すぐに大炎上してさ。どこから手に入れたのか遺書の画像なんかも送られてきた。たった数時間のうちにネットニュースにもなっちゃってライブどころじゃなくなってた」

「……中止したんですか?」


 蓮華は頷いた。


「開場まで数十分ってところで事務所が中止を発表した。なんか、事務所にもすごい電話かかってきたらしくて、このまま開演すると危険だって判断だったみたい」


 彼女は言って薄く笑った。


「そこからはもうすごかったよ。事務所は公演の払い戻しとかマスコミへの対応とか色々大変でさ。わたしは当然のように契約を切られて賠償金っていうの? それを請求された」

「そんな、だってまだ未成年なのに」

「そうなんだけど契約は出来高制だったからそれなりにもらってたんだよね。でも、稼いだお金は全部消えちゃった」


 彼女は軽く息を吐いて「足りない分は海音や兄が肩代わりしてくれた」と続ける。


「ネットではあることないこと書かれて、あの子の家に謝罪にも行ったんだけど謝罪は受け入れてもらえなくて……。変な噂から警察に呼ばれて事情聴取されたりもした。住むところもなくなったからとりあえず兄のアパートに転がり込んだらしいよ」


 彼女の言い回しに冬葉は眉を寄せる。


「もしかしてそのときのことも覚えてないんですか?」

「うん。都合が悪いことは全部忘れたんだろうって海音が言ってたよ。もちろんまったく覚えてないわけじゃない。でも、なんていうのかな。映画でも観てるような、そんな感じなの。わたし自身のことだったはずなんだけど、まるで他人のことみたいな感じ。そんな感じで時間が過ぎて行くのをただ眺めてたらさ、そのうち動くのも寝るのも、食事をするのも声を出すことすら面倒でどうでも良くなっちゃって、たぶんあの時のわたしは生きることを辞めてた」


 彼女はそこで言葉を切ると軽く息を吐いて「それで、気づいたら病院だった」と言った。

 冬葉はじっと蓮華を見つめる。彼女はスマホの画面を見つめながら「わけがわからなかったよ」と笑う。


「目が覚めたら知らない部屋のベッドの上で、海音が泣きながらわたしのこと見てんの」


 そのときのことを思い出したのか、蓮華は笑いながら表情を歪めた。悲しそうに。


「なんかわたしね、メンタルやられすぎちゃって栄養失調で入院してたんだってさ。数日くらい昏睡状態だったらしいよ。それで、点滴とかで栄養状態も回復して意識がはっきりしてきたわたしに海音が言ったの。一緒に暮らそうって。わたしがあんたのことを守ってあげるからって」

「……それで、海音さんはお兄さんと?」


 蓮華は頷いた。


「最初は家族として暮らすつもりだったみたい。だけどやっぱり兄にとってわたしは邪魔だったんだと思う。海音とも毎日ケンカしてて、すぐに別れちゃった。わたしはそのまま海音にくっついて一緒に暮らし始めたんだ。わたしのせいで海音の人生狂ったっていうのにね、未だにこうして甘えて生きてんの。働きもせず、さ」


 冬葉は藍沢の話を思い出しながら彼女の言葉を聞いていた。

 海音が藍沢より蓮華を選んだ。藍沢がそう捉えるのも無理はないかもしれない。しかし冬葉には分かってしまう。海音がその選択をした理由が。

 そうしなければ蓮華はきっと壊れてしまっていた。海音がいなければ、きっと今こうして目の前に蓮華はいなかっただろう。藍沢もそんな蓮華の状態を知っているからこそ、海音のことを責めることもできず苦しい想いを胸に抱え続けてきたのかもしれない。


「……藍沢さんのことは海音さんから?」

「うん。あんまり詳しく話してはくれなかったけど、一年くらい前かな。珍しく海音がお酒に酔って帰ってきたときがあって。彼女の家に置きっ放しにしてた荷物を取りに行って、ちゃんと話をしてきたって泣きながら言ってた。苦しそうにさ。それを見てわたしのせいで海音の、藍沢さんの人生を壊したんだなって改めて思った。わたしが人の気持ちを考えることもできない、自分勝手な人間だったから」


 彼女はそう言うと深く息を吐き出した。そしてゆっくりと顔を上げて穏やかな表情を冬葉に向ける。

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