第25話

 並んだ言葉を見つめるうちに自然と涙が溢れてくる。この涙の理由が怒りなのか悲しみなのか、それとも悔しさなのかよくわからない。冬葉は耐えることができずにスマホを閉じると蓮華に視線を向けた。

 彼女はじっと自分の手元を見つめていた。

 あの、悪意しかない言葉の一覧を。


「……蓮華さん」

「ね? 冬葉さんもわたしのこと嫌いになったでしょ?」


 彼女は顔を上げることなく呟くように言った。


「わたしのこと、ここのコメント見たらすごくよく分かるよ。ご丁寧に昔のニュース記事のリンクも貼ってあるからさ。そこ見てみたら――」

「蓮華さん!」


 思わず冬葉は彼女の手からスマホを取り上げた。蓮華は呆然とした表情で冬葉を見上げている。


「……なんで泣いてるの? 冬葉さん」

「なんで泣いてないんですか、蓮華さんは」

「なんでって……」


 彼女は困ったように首を傾げた。


「本当のことだから」

「違う」

「違わないよ。ほら、そこのリンクの先の記事見てみてよ。そこを見れば――」

「わたしは!」


 冬葉は思わず声を荒げていた。蓮華は驚いたのか口を開けたまま動きを止めた。冬葉は息を吐き出しながら「わたしは」と続ける。


「蓮華さんのこと、ちゃんと知りたいです。こんな、きっと蓮華さんと会ったこともない人たちの言葉なんか信用できない」

「紗綾ちゃんも言ってるよ?」

「紗綾だって蓮華さんと顔を合わせただけです。それに最初から紗綾は蓮華さんのことをネットのニュースか何かで知ってたんですよね」

「たぶんね」

「だったらノーカンです」

「なにそれ。なんのカウントなの」


 蓮華は笑った。そして深く、とても深く息を吐いた。


「藍沢さんもさ、何か言ってたでしょ? わたしのこと」


 冬葉は口を閉ざした。


「あの人はネットの人たちとは違うよ。会ったことはないけど、それでもわたしのことを知ってるはず」

「……たしかに、そうかもしれません」

「あの人もわたしのことひどい奴だって言ってたでしょ?」

「そうは、言ってなかったですけど――」


 それでも藍沢は蓮華のことが嫌いだと、はっきり言っていた。蓮華は息を吐くようにして「似たようなことは言ってたでしょ」と笑った。


「なんで、笑うんですか」


 冬葉は蓮華を睨む。その視線を受けて彼女は困ったように「なんでだろうね」と息を吐いた。


「なんで、そんな顔してるんですか」


 じっと彼女の顔を見つめながら冬葉は言う。彼女は困った表情のまま「そんな顔って……。元々こんな顔だけど?」と力なくおどけてみせる。


「どうして怒らないんですか」


 冬葉は一歩彼女に近づいて言った。蓮華は少し驚いた表情をしたが「だって、本当のことだし」と笑う。


「本当のこと? こんなの、ただの悪口じゃないですか」


 冬葉は言いながら自分と蓮華のスマホを地面に落とした。それに驚いたのだろう。蓮華は「冬葉さん? なに、どうしたの」と視線を彷徨わせる。まるで怒られた子供のように。

 そんな彼女の頬を冬葉は両手で包み込んで目が合うように顔を近づけた。


「こんなに辛そうな顔をしてるのに、どうして平気な振りをするんですか」


 彼女は呆然としたように冬葉の顔を見つめている。


「こんなに哀しそうなのに、どうして泣こうともしないんですか」

「……だって、わたしは」

「わたしのこと好きだって言ってくれるのに、どうして何もかも諦めたような顔してるんですか」


 冬葉は言って彼女の頬に触れていた手を放し、そっと彼女の身体を包み込んだ。


「こんなに寂しそうなのに、どうしてわたしのこと遠ざけようとするんですか」

「だってわたしは、ひどい奴だから」

「わたしはそんなこと一言も言ってないし、一欠片も思ってませんよ。蓮華さん」

「……みんなそう言ってるから」

「わたしも、その『みんな』のうちの一人なんですか?」

「――だって」


 蓮華の声が震えている。彼女の肩も微かに震えている。抱いた胸元が少し冷たいのは彼女の涙だった。

 蓮華はすすり泣きながら「だって、わたしは海音と藍沢さんの関係を壊した」と続ける。


「家族も事務所の人にも、周りの人みんなに迷惑をかけて……。だからわたしはひどい奴で、ネットでこんな風に言われ続けるのも当たり前で……。だからわたしは――」

「わたしは、この公園で会った蓮華さんしか知らないから」


 冬葉は彼女の言葉を遮って言った。蓮華はハッと息を飲み込むようにして言葉を止めた。冬葉は彼女の身体をギュッと抱きしめながら「わたしが落とした鍵を拾ってくれた優しい人」と続けた。


「ちょっと人をからかったりするけど、そのときに見せてくれる笑顔がとてもかわいい人。歌がとても上手で、その声がとても綺麗な人。ときどきすごく寂しそうな顔をする人。いつもわたしのことを気遣ってくれる人。どこまでが本気でどこまでが冗談なのかわからない人。一緒にいると安心して、すごく心が温かくなる人」

「……なにそれ」

「それが、わたしが知ってる蓮華さんですよ。ぜんぜんひどい人じゃない」


 しかし冬葉の胸元で蓮華は「違う」と小さく呟いた。


「冬葉さんは知らないから。わたしのこと」

「じゃあ、教えてください。本当の蓮華さんを、蓮華さんの言葉で」

「――嫌いになるよ?」


 心細そうな彼女の声に冬葉は微笑み、そしてもう一度ギュッと彼女を強く抱きしめる。


「なりませんよ」

「わからないじゃん」

「なりません。わたしは蓮華さんのこと信じてるので」

「……騙されやすいからなぁ。冬葉さんは」


 ほんの少しだけいつもの調子を取り戻したような彼女の声。冬葉は笑って「聞かせてください。蓮華さんのこと」と彼女から手を離した。蓮華は両手で涙を拭うと一度深く息を吐き出し、そして足元に落ちていたスマホを拾い上げた。


「スマホ、落としちゃダメだよ。現代人の命綱なんだから」

「……すみません、つい勢いで」

「冬葉さんって、ときどき予想もしない行動するよね」


 彼女は微笑みながら冬葉にスマホを手渡すと、そのまま隣のブランコの鎖を掴んだ。座れということだろう。

 冬葉は彼女の隣のブランコに腰を下ろすと軽く揺らした。キィッといつものように鎖が鳴る。


「……ちょっと、長くなるかもよ?」


 それでもまだ迷うように彼女は冬葉に視線を向ける。冬葉は微笑んで「いいですよ」と頷いた。


「夜は長いですから」

「さすがにオールはしないよ」


 蓮華は笑うともう一度息を吐き、そしてゆっくりと話し始めた。

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