第五章
第18話
ゴールデンウィークはあっという間に過ぎてしまった。紗綾とは蓮華のことについて話せないままだ。いや、話そうとはしたのだ。しかし冬葉が蓮華について話そうとすると必ず紗綾は話題を逸らすようになっていた。
「なに、冬葉。難しい顔して」
昼休憩。職場から歩いて数分の場所にある公園のベンチでパンを食べていると隣で手作り弁当を食べる藍沢が不思議そうな顔で言った。
ゴールデンウィークが明けてから、藍沢とはいつの間にかこうして一緒に昼休憩を過ごすようになっていた。元々、職場の休憩スペースで一緒にランチを取ったりすることもあったが、最近は藍沢がよく外に誘ってくれる。天気が良いから外で食べよう、と。
天気が良くない日は大人しく休憩スペースで過ごす。そのときもいつも藍沢はいてくれるようになっていた。
冬葉は藍沢に視線を向けると「また呼び捨てにしてますよ? 藍沢さん」と苦笑する。彼女は一瞬、しまったという顔を浮かべたが、すぐに「まあ、いいじゃん」と笑った。
「別に誰も気にしないよ。わたしが冬葉のことをどう呼ぼうとさ。冬葉もわたしのこと名前で呼んでくれたらいいのに」
「いや、さすがに職場ではちょっと……。先輩ですし」
「真面目」
「普通です」
「じゃ、通話とか遊びに行ったときは名前呼びで」
「……頑張ります」
冬葉の答えに彼女は笑うと「それで?」と卵焼きを口に運びながら言った。
「なに考えてたの? 難しい顔で。仕事で何か悩んでる?」
「あ、いえ。紗綾のことでちょっと」
「紗綾ちゃん? 何かあったの?」
「何もないんですけど、ちょっと気になるというか」
「何もないのに?」
藍沢は不思議そうに首を傾げる。
「まあ、高校生だもんね。色々と繊細な時期だし」
「それはそうなんですけど、そういう感じでもないというか。ある人に対してだけ、なんだか態度が変で」
「ふうん。それは悪い方に?」
冬葉は頷く。
「単純にその人のこと嫌いだからなんじゃない?」
「でも、まともに話したこともないんですよ? 会ったのだって一回だけなのに。それも挨拶程度で……」
すると藍沢はなぜか黙り込んでしまった。不思議に思って彼女を見ると「それってさ、もしかして恩人さんのこと?」と言った。
「そうです……。え、どうして藍沢さんが?」
「あー、うん。アトラクション並んでるときにちょっと話に出たからさ」
「そうなんですか……」
冬葉は頷きながら何となく俯いてしまう。冬葉には話してくれなかった話を藍沢とはしていた。そのことに寂しくなってしまう。
「冬葉……?」
「あ、すみません。それで紗綾は何て言ってました?」
「うーん……」
しかし藍沢はそう唸るように言ったまま答えてはくれない。不思議に思って首を傾げると彼女は「なんかね、あんまり詳しくは聞けなかったんだけどさ」と口を開いた。
「紗綾ちゃん、その子のこと知ってるっぽかったんだよね」
「え? そんなはずありませんよ。だって紗綾はこの街に来たのも初めてで」
「うん。でも、口ぶりからは知ってる相手っぽかった。あの子の噂を知ってるって」
「噂……?」
「その恩人さん、どこかから引っ越してきた子ってことはない?」
言われて考えてみる。そういえばたしかに蓮華は居候をしていると言っていた。ということは、元々は別の場所で暮らしていたということだろう。冬葉は頷く。
「たしかに今は実家暮らしじゃないみたいですけど」
「じゃあ、地元が一緒だったのかな。学校が同じだったとか?」
「でも学年も違いますし……。蓮華さんも紗綾を見たときは初対面って感じでした」
しかし、もしかすると藍沢にならば紗綾も理由を話してくれるかもしれない。一度メッセージを送ってみてもらおう。
そう思って藍沢の顔を見ると、なぜか彼女は呆然とした表情をしていた。
「……藍沢さん?」
呼んでみると彼女はゆっくりと顔を冬葉に向ける。信じられないものでも見たような顔で。
「あの、どうしたんですか?」
「いま、なんて?」
「え……?」
「名前……」
「名前? ああ、蓮華さんですか? 恩人さんの名前なんですけど」
「名字は?」
藍沢は怒ったように言った。こんな彼女を見るのは初めてだ。冬葉は戸惑いながら「蒼井さんですけど」と答える。
「蒼井……蓮華?」
彼女は口の中で呟くように言うと黙り込んでしまった。そのときふいに蘇ったのは蓮華との会話だ。彼女も藍沢の名前を聞いたときに考えるような様子を見せていた。
「――もしかして、お知り合いなんですか?」
訊ねてみると、藍沢はゆっくりと顔を上げて「ううん。知らない」と微笑んだ。
「え、でも――」
「それよりさ、冬葉。遊びに行こうよ」
再び弁当を食べ始めながら彼女は言った。
「いきなりですね」
「うん。昨日ね、綺麗な夜景が見れるスポット見つけたんだよね。前に言ってたでしょ? 冬葉、景色が綺麗なとこ好きだって」
「言いましたけど……」
「車、わたしが出すし。ね?」
たしかに夜景を見たい気持ちはあるが、今は藍沢の様子の方が気になってしまう。まるで無理に笑っているかのように彼女の笑顔は強ばって見えた。
「藍沢さん……?」
「ん?」
「大丈夫ですか?」
「何が?」
「いや……」
「金曜日に行こうよ」
「え、今週ですか?」
「そう。快晴なんだってさ。ちょっと遠いけど翌日が休みなら大丈夫でしょ」
「でも、わたし金曜日は――」
「決まり。約束だからね」
藍沢は一方的にそう言うと、まだ食べかけの弁当箱を片付け始めた。
「わたし、先に戻るね。ちょっと急ぎの作業あるの思い出しちゃったから」
「藍沢さん、あの――」
しかし、冬葉の声を無視して彼女は行ってしまった。一人残された冬葉は呆然としながら手に持ったまま少し潰れてしまったパンを見つめた。
一体どうしたのだろう。あんな彼女を見るのは初めてだ。冬葉の知る彼女はいつだって穏やかで、笑顔で。
「……蓮華さん」
冬葉はスマホを取りだして蓮華とのトークルームを開く。そこに表示されているのは、彼女が別れ際に送ってくれたおやすみの挨拶。
結局あれから何を送ればいいのか悩んでしまってメッセージを送れていなかった。向こうからもメッセージは来ない。
本当は聞きたいことがたくさんある。くだらない話題でも話したかった。しかし、別れ際に言った蓮華の言葉がどうしても気になってしまって気軽にメッセージを送ることができなかった。
――聞いたら答えてくれるのかな。
しかしどんな言葉を打てばいいのかわからない。考えていると、スマホの上部に表示された時刻に気づいた。もう昼休憩が終わってしまう。
冬葉は少し迷ってからメッセージを打った。
『今日の夜、通話してもいいですか?』
いきなり通話はハードルが高いだろうか。しかし文字でのやりとりよりも声を聞きたい。そう思ってしまう。
メッセージを送信するが、少し待っても既読はつかない。
「……それはそうだよね」
――ソッコーで出るし返信もする。
そんな彼女の言葉を真に受けている自分に気づいて冬葉は苦笑する。そして手に持っていたパンを口に詰め込むと会社に戻った。
職場では昼休憩の間は節電のために部屋の電気を消灯しているので薄暗い。そんな中、ディスプレイモニターが煌々と光っているデスクがあった。
藍沢だけが午後の作業を開始しているようだった。
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