第17話

 いつも蓮華と公園で会う時間帯よりも一時間ほど早い。日付が変わるまではあと一時間半ほどだ。


 ――今日は待ち合わせ一時間前倒しの日だな。


 そんなことを思いながらのんびりと足を進める。きっと明日の朝になれば紗綾はいつも通りに戻るのだろう。今日のように。

 彼女の様子がおかしくなるのは蓮華の話題を出したときだけ。しかし電話で話しているときは蓮華の話題が出ても特に変わった様子はなかった。恩人さんに迷惑をかけるなと言っていたくらいで、むしろ好意的だったようにすら思える。スーパーで会ったあとから彼女に対する態度が変わってしまったのか。


 ――どうして。


 考えているうちに公園に到着してしまった。街灯に照らされた夜の公園には誰の姿もない。


「……静かな方が落ち着くな」


 昨日の昼に見た公園の様子を思い出しながら冬葉は呟く。公園なのだから賑やかなのが普通なのだろうが、冬葉にとっての普通はこの夜の静かな公園だ。

 冬葉はブランコに腰を下ろすとホッと息を吐く。


 ――お土産、買ってくれば良かったな。


 いまさらながらそんなことを思う。施設のショップに立ち寄る機会もあったのだ。紗綾と一緒に叔父と叔母への土産は買ったが蓮華へのものは買いそびれてしまった。もっとも、彼女がどんなものを好きなのか知らないので選ぼうにも選べなかったということもあるが。

 冬葉はスマホを取り出すと今日行った施設のサイトを開いた。そしてショップのページに入ると商品を見ていく。文房具、菓子、衣類、雑貨。様々な商品があるが、どれも蓮華にはしっくりこない。


「……どういうのが好きなのかな」


 真剣に画面を見ながら呟いたとき「なにが?」と声が降ってきた。冬葉は驚きのあまり声を出すことも忘れてスマホを放り投げた。


「わ! ちょ、よっと……。あっぶないなぁ」


 そう言って慌てて冬葉のスマホをキャッチしてくれたのは蓮華だった。冬葉は大きく息を吐き出す。


「びっくりした。蓮華さんかぁ」

「いや、びっくりしたのはこっちだけど。なに? 幽霊だと思った?」

「何も気配感じませんでしたよ」


 冬葉が苦笑すると彼女は「それは冬葉さんが何かに集中してたからじゃない?」とスマホを冬葉に渡した。そしてブランコに座る。


「何を考えてたの?」

「えっと……」


 冬葉は渡されたスマホに視線を落として少し考えてから「どういうのが好きかなって。蓮華さん」と言った。


「わたし?」


 視線を向けると彼女は「冬葉さんのこと好きだよ?」と首を傾げた。


「え? いや、あの、そうじゃなくて!」


 慌てて手を振る冬葉を見て彼女は面白そうに笑う。


「ごめん。そんな慌てないでよ。ちょっと言ってみただけだから」

「……心臓に悪いですよ。さっきから」


 冬葉は胸に手を当ててため息を吐く。蓮華はまだ笑いながら「ごめんね。まあ、ウソじゃないんだけど」と小さく付け足した。


「え……?」


 聞き返したが、彼女は首を横に振って「今日早いね?」とブランコの鎖に腕を絡ませながら言った。


「ああ、はい。ちょっと早めに家を出ちゃって」

「妹さん、紗綾ちゃんだっけ。一人でお留守番?」

「そうなんですけど……。あの、すみませんでした」


 冬葉はブランコに座ったまま蓮華に身体を向けると頭を下げた。蓮華は不思議そうに「なにが?」と首を傾げる。


「昨日、紗綾が失礼な態度を……」


 すると彼女は「ああ」と思い出したように笑った。


「別に気にしてないよ」

「でも――」

「紗綾ちゃんって高校生だっけ」

「え、あ、はい。そうですけど」

「動画とかよく見てる?」

「そうですね。そういえば、さっきも見てたかも」

「じゃあ、しょうがないよ」

「えっと、それってどういう?」


 よく意味がわからず冬葉は首を傾げる。しかし蓮華は「気にしないで」と笑ってから「それより」と冬葉のスマホに視線を向けた。


「なに見てたの?」

「え、ああ。今日、妹と会社の先輩と一緒に遊びに行ったんですけど、そこのショップサイトを」

「へえ。何か買い忘れ?」

「蓮華さんへのお土産……」


 冬葉が言うと、蓮華はきょとんとした表情を浮かべた。そして声を出して笑う。


「それでさっきの質問だったのか」

「そうですよ。わたし、よく考えたら何も蓮華さんのこと知らないなぁって」

「ふうん?」


 彼女はニヤリと笑うと「知りたいんだ? わたしのこと」とからかうような口調で言う。冬葉はそんな彼女をまっすぐ見つめて「知りたいです」と答えた。瞬間、蓮華は驚いたように目を見開くとバツが悪そうに視線を逸らす。


「……前もそんなこと言ってたよね。なんで?」

「蓮華さんのこともっとよく知れば、妹にもっとしっかり伝えることができるじゃないですか。蓮華さんが良い人だって」

「良い人じゃないかもよ?」

「良い人じゃなかったら、今頃わたしは騙されて金づるにでもされてますよ」


 自信を持って答えると彼女は吹き出すようにして笑った。


「なにそれ」

「よく妹から言われるんです。わたしは警戒心がなさすぎるからすぐ詐欺に遭うって」

「遭ったことあるの?」

「ないです。妹がいつも見てくれてたから……」


 その妹が蓮華のことを警戒している。それが嫌だった。冬葉は自然と俯いてしまう。黙り込んでいると蓮華がため息を吐く音が聞こえた。


「本当に仲が良いんだね」

「はい。わたしがダメダメだから妹の方がしっかりしてますけど」

「そんなことはないでしょ」


 蓮華は言って微笑んだ。


「冬葉さんはわたしのことよく知らないけど、わたしはけっこう冬葉さんのこと知ってるよ」

「え?」


 顔を上げると彼女は夜空を見上げながら「冬葉さんは誰が相手でもけっこう気を遣うタイプ。妹想いで頑張り屋で恥ずかしがり。たまに抜けてるところがある。良くも悪くも素直で、確かに人の言うことをすぐに信じる傾向がある」と何かを読み上げるように言った。そして冬葉に視線を向けて「それから」と微笑む。


「……それから?」


 冬葉が訊ねると彼女は「ちょっと自分に自信がなくて、優しくて寂しがり」と続けた。冬葉は柔らかな笑みを向ける蓮華から視線を逸らした。そして俯きながら「ずるいです」と呟く。


「なにが?」

「蓮華さんばっかりわたしのこと知ってるなんて」


 蓮華がククッと笑う。


「冬葉さんは分かりやすいからなぁ」

「じゃあ!」


 冬葉はグッと顎を引くと顔を上げてスマホを蓮華に差し出した。


「蓮華さんのこともっとよく知るために教えてください! 連絡先!」

「いいよ。気軽に連絡できれば、わたしも冬葉さんのこともっと分かるだろうし」


 さらりと彼女は言うとスマホを取り出してIDと電話番号を教えてくれた。そしてさっそくスタンプが送られてくる。何かのキャラクターが『よろしく』と挨拶をしているスタンプ。冬葉もスタンプを返しながら「わたしのことはもう全部筒抜けなんじゃないですか」とため息混じりに言った。


「そんなことはないでしょ。それにこれから新しい冬葉さんが見られるかもしれないし」

「なんですか、それ」

「さあね」


 彼女は笑うと「それにしても」と軽くブランコを漕いだ。


「会社の先輩と遊びに行くって珍しくない?」

「え、そうですか?」

「うん。少なくとも海音からそんな話聞いたことないけど。同期とかならあるのかもだけど」

「たしかに……。でも、すごくステキな先輩なんですよ。面倒見も良くて。今日も高校生が楽しめそうなところ教えてくださいって言ったら案内までしてくれて」

「……男?」

「いえ。女の人です。すごく美人でカッコイイんですよ」

「ふうん……」


 なぜか蓮華は無表情にそう言うと視線をスマホに向けた。


「蓮華さん?」


 不思議に思いながら首を傾げると彼女は「わたしの前で他の女のこと褒めないでほしいなぁ」と冗談とも本気ともとれる口調で言った。


「え?」


 想わず目を見開くと彼女は「なんてね」と笑って顔を上げた。


「でも、いいね。職場の人と遊びに行けるくらい仲良いなんて。わたしも会ってみたいな」

「あ、じゃあ今度一緒に遊びに行きますか?」


 思わず言うと、蓮華は声を苦笑した。


「いやいや、変でしょ。わたしとその人、何にも関係ないのに」

「でも蓮華さんはわたしの友達ですし。それに藍沢さんと蓮華さんって気が合いそう」

「藍沢さん……?」


 蓮華が呟くように言った。冬葉は「あ、そうです。藍沢ナツミさんっていう人なんですけど」と頷く。すると蓮華はなぜか難しい表情で「藍沢ナツミ……」と繰り返した。


「あの、蓮華さん?」


 しばらく無言で考え込んでいた蓮華だったが、やがて顔を上げて冬葉をまっすぐに見た。


「あのさ、冬葉さん」

「はい?」

「その人の――」


 しかし、そこで彼女は言葉を切ると「あー、いや。やっぱいいや」と誤魔化すように笑った。


「ごめん、気にしないで」

「え、でも」

「なんでもないからさ。あ、それより今日はそろそろ解散しようか」


 急に蓮華はそう言って立ち上がった。


「もう?」

「そ。お家で待ってるでしょ? 紗綾ちゃん」

「それはそうですけど……」


 ――まだ蓮華さんとお喋りしたいのに。


 その想いが顔に出てしまったのだろうか。蓮華は笑いながら「変な顔になってるよ」と両手を伸ばして冬葉の頬を軽く引っ張った。


「わたし、笑ってる冬葉さんが好きなんだけどなぁ」


 言いながら彼女は手を放す。冬葉は頬に手を当てながら「またそういうことを……」と俯いた。頬が熱いのは引っ張られたからだろうか。それとも頬に触れた彼女の手が柔らかく、優しかったからだろうか。


「恥ずかしがってる冬葉さんも好きだけど」

「……からかってますね?」


 冬葉が顔を上げると彼女は笑った。つられて冬葉も笑う。ひとしきり笑ったあと、蓮華は「いつでも連絡してよ」とスマホを軽く振った。


「連絡先交換したんだからさ。いつでも話できるじゃん」

「通話も?」

「もちろん。何時でもいいよ。通話でもメッセージでも。相手が冬葉さんならソッコーで出るし返信もする」


 その言葉に嬉しくなって冬葉は微笑む。


「ありがとう」

「なにが?」

「えっと、なんでしょう?」


 思わず口から出た言葉だった。冬葉にもわからない。この感謝の気持ちが何に対するものなのか。蓮華は不思議そうに首を傾げていたが「じゃあ、先に帰るね」と手を振ると背を向ける。


「また来週、ですね」

「……うん。また来週」


 一瞬の魔を置いて彼女は頷く。そして数歩足を進めてから立ち止まると「――あのさ、冬葉さん」と口を開いた。


「もしもわたしのことが嫌いになったら、ここには来なくていいからね」

「え……?」

「そのときはわたしのことなんて忘れていいから。連絡先も消してくれていいから」

「蓮華さん? なに言ってるんですか。そんなこと――」


 そのとき蓮華が振り返った。公園の灯りに照らされた彼女は微笑んでいた。いつものように綺麗な笑み。しかし、なぜかとても遠くに感じられる笑みだった。


「じゃ、また来週」


 彼女は微笑んだままそう言うと、今度こそ公園から出て行った。


「――なんで、そんなこと」


 ブランコに座ったまま冬葉はただ呆然と彼女が消えていった暗い道を見つめる。そうしているとポンッとメッセージの通知音がした。スマホを見ると蓮華から「おやすみ、冬葉さん」と短いメッセージが届いていた。

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