第13話
大掃除はなんとか紗綾から合格点をもらうことができ、クタクタになりながら夕食とシャワーを済ませた冬葉たちは寝支度を調えていた。
「やっぱりさー、湯船のあるところに引っ越すべきだよ」
ドライヤーで髪を乾かしながら紗綾は言う。どうやらシャワーだけではお気に召さなかったらしい。
たしかに冬場にはお風呂でじっくり温まりたくなるかもしれないが、お金もないので早々に引っ越しはできない。
「まあ、そのうちにね」
冬葉は答えながら「それより――」と目の前に敷いた布団を見つめた。
「――やっぱり狭くない?」
その言葉に紗綾は振り向くと「平気だよ」と笑った。
「はみ出ても畳だから落ちるってこともないし。夏用の掛け布団も出したし」
「でもそれ、薄いよ?」
「まあ、お姉ちゃんの寝相がひどくなってない限りは大丈夫でしょ」
それは自分ではわからない。冬葉は「気をつけるね」と頷いた。紗綾は「お願いします」と言いながらドライヤーを片付けると「じゃ、さっさと寝よ」と布団に潜り込んでいく。
「え、もう?」
時間はまだ二十二時を回ったところだ。いつもの紗綾ならドラマを見たり動画を見たりしているはずなのに。
思っていると彼女は「今日、始発で来たから」と眠そうな声で言った。横になったことをきっかけに疲れが出たのかもしれない。冬葉は「そっか。掃除もしてもらったし疲れてるよね」と微笑む。
「じゃあ、電気消すね」
言って電灯の紐を引っ張って豆電球だけを点けた状態にする。紗綾は昔から真っ暗な部屋では眠れない子だった。それは高校生になった今も同じらしい。彼女は「ありがとう」と呟くと冬葉が入りやすいように掛け布団を上げた。
「うん」
答えながら冬葉は彼女の隣に横になる。
電気を消しただけで部屋の雰囲気が変わったような気がする。自分以外の人がいるのに静かな空間。それが少し苦手だ。人の気配があるのにその人を見失っているような、そんな感覚になるから。
ちらりと横を見ると紗綾もまた冬葉のことを見ていた。
「なに?」
冬葉が聞くと彼女は「別に」と天井に視線を向ける。
「お姉ちゃん、いるなぁと思って」
「いるよ。ここに」
布団の中で触れた紗綾の手を握ると彼女は力強く握り返してきた。
「……うん」
小さく呟いた声はまるで幼い子供のようで、親戚の家に暮らすことになった最初の日を思い出す。あのときもこうして二人で一つの布団に入って手を繋いでいた。
アパートの近くを救急車が通り過ぎていく。サイレンの音が耳に響く。握った手が微かに動いたのがわかった。
「――ねえ、紗綾」
しばらく無言で天井を見つめていた冬葉は静かに口を開いた。
「なに」
「おじさんとおばさんにさ――」
「迷惑なんてかけてないよ?」
冬葉の言葉を遮って彼女は言った。冬葉は息を吐いて笑う。
「それはわかってるよ。そうじゃなくてね」
冬葉は言葉を切ると少し考える。以前、冬葉が大学へ進学せず就職を決めたときに叔父と叔母から言われたことがある。
――もっと甘えてくれて良かったんだよ? 家族なんだから。
叔父と叔母には子供がいない。だからこそ両親を失った冬葉たちを快く引き取ってくれたのだ。家族として。
しかし冬葉たちにとって彼らは親戚であり両親ではない。甘えて良いと言われても、どうすればいいのかわからなかった。
「何なの?」
もぞりと紗綾が身体をこちらに向けた。冬葉は「うん」と頷くと天井を見つめたまま言う。
「おじさんとおばさんね、わたしたちにもっと甘えて欲しかったんだって」
「え……?」
「家族なんだからもっと甘えてもいいんだよって、高校卒業する頃に言われちゃってさ。ほら、わたし就職するって自分で勝手に決めちゃったから」
「甘えていいって言われても――」
「うん。どうしたらいいかわからないよね。おじさんもおばさんも、すごく良い人たちだから」
だからこそ甘えることができない。彼らは冬葉たちにとても良くしてくれる。だから迷惑をかけたくない。その思いが先行してしまう。
「わたしはもう甘えるような歳でもないからアレだけどさ、紗綾はもう少しだけおじさんたちに甘えてあげてよ」
「……例えば?」
「んー」
冬葉は考えてから「一緒に買い物に行く、とか?」と提案してみる。紗綾はしばらく何も言わなかったが、やがて「考えとく」と小さく言った。そして「でも、わたしまだお姉ちゃんのこと許してないからね」と続ける。
「……わたしが勝手に家を出るって決めたこと?」
紗綾は答えない。それが答えなのだろう。
「でも、やっぱりあの家にはいられなかったんだよ」
「なんで? ずっと一緒にいてくれるって言ったのに」
「だからだよ」
冬葉は静かに微笑む。
「紗綾のことをずっと守ってあげたいから、だからわたしはちゃんと働こうって思ったの。あそこにいると居心地が良くて、きっとわたしはいつまでも子供のままだったから」
「なんで相談してくれなかったの」
「紗綾、反対したでしょ」
「そりゃそうだよ!」
紗綾は声を荒げた。冬葉は身体を彼女の方に向けて顔を向かい合わせる。
「わたしね、紗綾には夢を叶えてもらいたいんだ」
「……夢?」
「それが何かはわからないけどね。でも、そのために大学にだって行ってほしいし、紗綾には幸せになってほしい。だからお姉ちゃんは家を出たの」
「なんで……。わたしはそんなこと」
「大事な妹には幸せになってもらいたいでしょ?」
「わたしは……。お姉ちゃんがずっといてくれたらそれで良かったのに」
「いるよ。わたしはずっと紗綾と一緒にいる」
「ウソだ」
「なんで?」
冬葉が聞くと紗綾はじっと冬葉の目を見つめて「あの人のこと、お姉ちゃんどう思ってるの?」と聞いた。誰のことを言われたのかわからず冬葉は眉を寄せる。
「えっと、誰のこと?」
「あのチャラい人」
チャラい、と口の中で呟いてから「もしかして蓮華さん?」と目を見開く。紗綾は無言で頷いた。
「どうって、恩人さんだよ?」
「そういうことじゃない。好き? 嫌い?」
「そりゃ好きだけど」
素直に答えると「ほら、やっぱり」となぜか不機嫌そうに彼女は言った。
「え、やっぱり? ごめん、紗綾。よく意味がわからなくて」
「お姉ちゃん、気づいてないんだ?」
「何に?」
「あの人を見るときのお姉ちゃん、いつもとは違う顔してた」
言われてもピンと来ない。冬葉は眉を寄せたまま「どういう顔?」と聞く。しかし紗綾は怒ったように「知らない!」と言って身体の向きを変え、冬葉に背中を向けた。
「紗綾? どうして怒ってるの?」
「お姉ちゃんが鈍感だからでしょ」
わけがわからない。オロオロしながら冬葉は彼女の背中に手をあてる。
「ごめんね。お姉ちゃん、ほんとよくわからなくて」
「……あの人、たぶんウソついてるよ」
「え、ウソ?」
「それか何か隠してる。あのタイプはそういうタイプ」
紗綾はそう言うと「もう寝る」と低く続けて口を閉じた。
「紗綾……」
呼びかけても彼女はもう返事をしてくれない。冬葉はため息を吐いて彼女の背中を見つめると「おやすみ」と声をかけて目を閉じた。
――どんな顔をしてるんだろう。
自分が誰かを見るときの表情なんて気にしたこともなかった。
身体を仰向けにして自分の頬に手を当てる。自分は彼女にどんな顔を向けているのだろう。
――蓮華さん。
閉じた瞼の裏に昼間見た彼女の笑顔が浮かんでくる。公園でお喋りをしたときの笑顔も、柔らかな話し声も、綺麗な歌声も、その全てにウソは感じられなかった。それなのに……。
――紗綾、間違ってるよ。
ウトウトしながら思う。蓮華は良い人だ。せっかくできた友達にそんなこと言ってほしくないのに。どうしたら蓮華の良いところを伝えられるだろう。
――もっといっぱい知りたい。
蓮華のことをもっとたくさん知れば、それだけ紗綾に彼女の良いところを伝えることができる。そのためには彼女ともっと仲良くなればいい。
なんだ、簡単なことだ。
――早く明日の夜にならないかな。
眠気に逆らえず、目を閉じながら冬葉は微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます