第11話

 昼間のスーパーは思っていたよりも混雑していた。なぜだろうと思っていたが、どうやら今日は月に一度の特売日だったようだ。安売りの野菜や卵に買い物客が集中している。


「すっかり出遅れちゃった感じだねー」


 紗綾がカゴを手にして呆然と立ち尽くしている。それもそのはず、特売対象の商品棚は軒並み空っぽになっていたのだ。


「補充されたりしないのかな」


 同じように呆然と棚を見つめながら冬葉は呟く。


「しないんじゃない? よくわからないけど」


 言って紗綾はしばらく考えていたが「ま、いいか」と気を取り直した様子でカートにカゴを乗せて歩き出した。


「別に何が欲しいって決めてたわけじゃないし。あんまり買い込んでもわたしが帰るとお姉ちゃんは腐らせるだけだしね」

「それはそうだね」

「……否定してよ」


 紗綾は呆れたように言うと「とりあえず卵は欲しいな。安いやつはもうないだろうけど」と卵コーナーに向かう。

 予想通りというべきか、特売の卵は売り切れていた。それでも通常価格のものは残っているようだ。


「ほら売り切れてる。海音の準備が遅いから出遅れたじゃん」


 ふいに聞き覚えのある声が聞こえて冬葉は思わず足を止めた。


「お姉ちゃん?」


 不思議そうに振り返る紗綾の肩の向こうでは、冬葉たちと同じように空っぽになった棚を眺める二人の女性の姿があった。

 一人は冬葉と歳も変わらないように見えるボブカットの女性。そしてもう一人は見覚えのあるパーカーを着た綺麗な顔立ちの少女。


「蓮華、さん……?」


 冬葉の声に少女がビクッと身体を震わせて顔を上げる。その反応に冬葉は驚き、「あ、ごめんなさい」と思わず謝ってしまった。


「お姉ちゃん? なに、知り合いなの?」

「蓮華、知り合い?」


 紗綾と蓮華と一緒にいる女性が同時に口を開いた。蓮華の表情は顔を上げた瞬間こそ強ばっていたが、冬葉の顔を見るとすぐに「なんだ、冬葉さんか」と安堵した表情を浮かべる。


「ごめんなさい。いきなり声なんてかけちゃって」

「ううん、こっちこそ変な反応しちゃってゴメンね」


 蓮華は苦笑しながら言って「偶然だね」と続けた。


「といっても、この辺りに住んでるんだから同じ店に来るのも当たり前か」


 彼女は笑って紗綾に視線を向ける。冬葉は慌てて「あ、これは妹の紗綾です」と紗綾を指差した。


「そっか。それが妹の紗綾ちゃんか」


 蓮華が面白そうに笑みを浮かべた。それを聞いて蓮華の隣に立つ女性が口に手を当てて笑う。紗綾は呆れたように「お姉ちゃん」とため息を吐いた。


「え、なに」

「なんでそんな中学の英語の教科書みたいな紹介の仕方なの。ていうか、わたしにもそっちの人を紹介してほしいんだけど?」

「これは失礼。紗綾ちゃん」


 蓮華は微笑むと「蒼井蓮華です」と続けた。そして隣に立つ女性に視線を向けて「こっちは三朝みささ海音かいね。わたしの……なんだろうね」と首を傾げる。海音と呼ばれた女性も蓮華を見ると同じように首を傾げた。


「とりあえず保護者ってところかな」

「保護者さん、ですか。どうも初めまして」


 冬葉が頭を下げると海音も「どうもー」と会釈した。しかし紗綾はじっと二人を見つめながら「それで」と腕を組む。


「お二人は姉とはどういう関係で?」


 気のせいだろうか。少し紗綾の態度がおかしい。思いながら冬葉は「三朝さんとは初めましてだけど」と蓮華に視線を向けた。


「こちらの蓮華さんは、わたしの恩人さん」


 恩人さん、と紗綾は口の中で繰り返してから「鍵を拾ってくれた人?」と聞いた。


「そう。わたしがあなたのお姉ちゃんの恩人です」


 蓮華が冗談交じりに笑みを浮かべながら言う。しかし紗綾は笑みを浮かべるどころか蓮華を睨みながら「そうですか」と頷いた。


「あなたが毎週のように姉をそそのかしてる女ですか」

「ちょ、紗綾?」


 驚きながら冬葉は紗綾の手を引いて後ろに下げると慌てて蓮華に頭を下げた。


「ごめんなさい。この子ったら、なにか変な誤解を」

「毎週のようにって、あんた何してんの?」


 海音が蓮華を見る。蓮華はにこりと笑みを浮かべて「秘密のデート」と答えた。海音はしばらくじっと蓮華を見ていたが、やがて深くため息を吐いて蓮華の頭を片手で押さえるようにして下げさせた。


「すみません。なんかうちの子がご迷惑をおかけしているようで」

「なんでそうなるの。てか、痛いよ。海音」

「いえ! あの、全然そんなことはないですよ。その、わたしの方こそ蓮華さんにご迷惑をおかけしてるかもしれなくて」

「それはないでしょう。この子は他人に迷惑をかける常習ですからね。ほんとに、昔から自分勝手で周囲の気持ちにも無頓着で」

「え……」

「うるっさいなぁ。もう」


 蓮華は顔をしかめながら海音の手を振り解くと冬葉を見て力なく笑った。


「ごめんね、冬葉さん。海音がこれ以上余計なこと言わないうちに行くよ。紗綾ちゃんとはもっと話したかったけど」


 海音は紗綾に視線を向けたが紗綾は仏頂面のままそっぽを向いてしまった。冬葉は「ごめんなさい。ほんとにごめんなさい」と蓮華に頭を下げる。蓮華は苦笑しながら「またね、冬葉さん」と手を振ると海音の背中を押してその場から立ち去って行った。


「わたしたちも行こう。お姉ちゃん」

「紗綾、あんたはもー……」


 なぜあんな態度をとったのかわからない。普段の紗綾は礼儀正しい良い子なのに。

 冬葉はため息を吐きながら振り返る。するとちょうど蓮華もこちらを振り返ったところだった。視線が合った瞬間、彼女は嬉しそうに微笑んでパクパクと口を動かす。


『公園で』


 そう読み取れた唇の動き。冬葉は笑みを浮かべて深く頷いた。


「お姉ちゃん!」

「蓮華ー」


 二人の声が響く。冬葉と蓮華は苦笑して同時に視線を逸らすとそれぞれの連れの元へと駆け寄った。

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