第三章

第10話

 いつもならば休みの日とあれば気の済むまでゴロゴロして家事はそこそこに終わらせる。連休ともなれば尚更だ。だが、どうやらこの大型連休ではそうもいかないようだ。


「お姉ちゃん、よくこれで生活してるね」


 ゴールデンウィーク初日の木曜日。

 紗綾が訪ねてきたのはもう一眠りしようとウトウトし始めた午前八時過ぎ。再会を喜ぶ間もなく始まったのは紗綾が寝泊まりするスペースを確保するための大掃除だった。


「え、でも普通だと思うよ? たしかに段ボールそのまま置いてたのはアレかもだけど」

「段ボールだけじゃなくてさ、冷蔵庫の中だって空っぽじゃん。この家の食料ってレトルトしかない」

「そんなことないでしょ。ちゃんと入ってるよ。冷蔵庫の中」

「冷凍庫の中にね。それも冷凍食品ばっかり」


 紗綾はため息を吐きながら「わたしがここにいる間はちゃんと料理するから」とキッチンの前に立って腰に手を当てた。


「えー。買い物行かなきゃいけないじゃん」

「よし、行こう」

「えー」

「えー、じゃない。ほら着替えて。メイクもちゃんとする!」


 紗綾に背中を押されながら冬葉は部屋着から着替えて簡単にメイクを済ませる。そのメイクが気に入らなかったのか、紗綾は少し不満げな顔をしていたが時間がもったいないと悟ったのだろう。「ま、いいか」と頷いて冬葉の手を引っ張りながら家を出た。


「元気だねぇ、紗綾は」


 アパートを出て片道一キロほど歩いた先にあるスーパーへ向かいながら冬葉はため息を吐いた。


「お姉ちゃんがだらしないの」


 手を繋いだまま歩きながら彼女は言う。冬葉は「そうかなー」と呟きながら紗綾の顔を横目で見た。

 まだ彼女の元を離れてから三ヶ月ほどしか経っていない。しかし紗綾の横顔は記憶よりも大人びて見えた。そして心なしか少し痩せたような気がする。


「紗綾――」

「あ、公園」


 紗綾が声を上げた。


「もしかしてあそこ? 恩人さんと会ってるっていう公園」

「ああ、うん。そうだよ」

「ふうん」


 呟きながら彼女は公園の前で立ち止まると中を覗いた。つられて冬葉も覗いてみる。そういえば休日、しかも昼間の公園は初めてだ。思っていたよりも子供たちの姿が多い。楽しそうに走り回って遊んでいるのは小学校低学年、あるいは幼稚園くらいの子供たち。

 自然と冬葉の視線はブランコに向かう。当然のことながらそこに座って遊んでいるのは子供たちだけだった。


「子供しかいないね」

「そうだね」

「けっこう狭いけど、ちゃんと手入れされてるんだね。さすが都会の公園」


 妙に感心したように紗綾が言うので冬葉は思わず笑ってしまう。紗綾は不服そうな表情を浮かべたが、なぜか冬葉の顔を見つめると上機嫌な様子で「はやく行こ」と歩き出した。


「食材を買って帰ってお昼ご飯つくるからね」

「えー。さすがにそれじゃお昼遅くなっちゃうよ? どこかで食べて帰ろうよ」


 冬葉はスマホで時間を確認する。すでに時刻は十一時半を回ったところ。ここからスーパーまで往復で一時間はかかるだろう。買い物をする時間を加えるとさらに遅くなってしまう。

 紗綾は少し考えるように口を閉じていたが、ちらりと冬葉を見ると「知ってるの? ご飯屋さん」と言った。


「そりゃ――」

「店内が綺麗で安くて美味しい洋食を希望します」


 冬葉はグッと口を閉じた。冬葉が知っている店は駅前にあるファミレス、牛丼屋、居酒屋、ファストフード店くらいのもの。そのどれにも入ったことはない。全国チェーンのファミレスならば店内も綺麗だろうし洋食といえば洋食だ。しかし、おそらく紗綾は納得しないだろう。どうして都会に来てまでチェーン店で食べなきゃいけないのか、と。

 冬葉は少し考えてから紗綾の様子を窺いながら「……お弁当という手は?」と聞いてみた。紗綾は深くため息を吐いて「しょうがないなぁ」と笑みを浮かべる。


「お昼はそれで手を打とう」

「ありがとうございます」


 冬葉が言うと紗綾は声を上げて笑った。

 そのまま二人で並んで歩く。なんとなく会話も途切れてしまった。しばらく無言で歩いていたが、やがて「紗綾」と冬葉は口を開いた。紗綾が横目で冬葉を見たのがわかる。


「最近、どう?」

「なにが?」

「なにって、学校とか」

「普通だけど?」

「明日ってゴールデンウィークといっても平日じゃない? 学校は?」

「自主休校。でも、ちゃんとおじさんたちにも許可とってるから――」

「ちゃんと遊びに行ってる? 友達と」


 紗綾の言葉を遮って冬葉は聞いた。すると紗綾は「なにそれ」と息を吐くように笑う。


「普通はちゃんと勉強してるかみたいなこと聞くんじゃないの?」

「勉強はしてるでしょ。紗綾だもん」


 冬葉の言葉に紗綾は黙り込む。

 紗綾は小学校の頃から成績が良かった。地頭が良いということもあるが、成績の良さは彼女の努力によるところが大きい。親戚の家に住まわせてもらっているという思いを常に抱いているせいだろう。小学生の頃から誰かに迷惑をかけることのないようできることはすべて自分でやる。そんな子なのだ。


「部活は何か入った?」

「……入らないって言ったでしょ」


 たしかに言っていた。部活に時間を費やすくらいならバイトして貯金をする。高校入学当初、彼女はそう言って聞かなかった。それでも高校生活に慣れて友達ができれば部活もやりたくなるのでは。そう思っていたのだが……。


「バイトは?」

「してる。ここに来るお金だって自分で出したし」

「遊びには?」


 しかしこれには答えない。冬葉は彼女の横顔を見つめながら「友達は?」と続けて聞いた。


「いらない」

「なんで」

「みんなガキっぽいし」

「でも、一人じゃ楽しくないでしょ。学校」

「別に楽しむために学校行くわけじゃないでしょ」

「それはそうかもしれないけど……」

「もういいじゃん。それよりスーパーってあれ?」


 紗綾は無理矢理に話題を終わらせると繋いでいた手を離して前方に見えてきたスーパーに向かって足を速めた。冬葉は小さく息を吐く。


 ――やっぱり、何も言ってくれないんだ。


 自分が頼りないから妹から何も相談されない。頼りにされない。情けなさと不甲斐なさに深くため息を吐く。


「お姉ちゃん、早く!」

「はーい」


 声を返して冬葉は紗綾の後を追った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る