第36話 全てが終わった街の静けさたるや

 夢を見ていた。周りが暗い場所をずっと落ちて行く夢だ。終わりのないそれに抗うことも出来ずにただ落ちて行くだけ。その中で、上空から何か迫ってきているのを感じ、見上げてみると悍ましい恐怖が形となって現れたかのようなものが視界に映った。そこでようやく目を覚ました。

 ぼんやりとした視界にはオレンジ色の光が見え、シュッシュと紙が擦れる音が聞こえた。上体を起こし、周りを確認すると、メラーが黙々と本を読んでいた。いつもと全く違う雰囲気に声をかけれずにいるとメラーが俺に気づいたのか顔を上げた。


「おはよう」

「あぁ、おはよう。まぁ、まだ夜なんだけどな」

「体はどうだ?平気か?」

「まぁ、何ともないな。いつも通りというか。ん?腕が……ある」


 ベッドに座るような姿勢になってようやく俺は斬ってなくなったはずの腕があることに気がついた。それはまるで最初からあったかのように正常な動きを見せ、傷跡も完全になかった。


「うわ、何だこれ。すげえ」

「普通に動かせるみたいで何よりだ」

「これはメラーがやってくれたのか?」

「まあな」

「ありがとう。もう戻れないと思ったから嬉しい」


 いつも通りの腕を確かめるように触りつつ、素直に感謝を吐露する。失ってしまい、もう元に戻らないと思っていたものが再生される喜びは形容しがたいほどだ。


「それとこれを快斗にやる」

「これって、あれか。魔法を覚える石」

「そうだ。ただ、他のと違って覚えれる魔法が決まっている」

「なんていう魔法だ?」

「『天の福音』。簡単に言ってしまえば、治癒魔法の一種だ。これは数多ある治癒魔法の中でも最上級の効果がある」


 メラーから渡されたのはかつて天音たちからもらったことのある石であった。しかし、過去にもらった石はランダムな魔法であったのに対してこれは決まった魔法を覚えることができるらしい。その証拠にこの石の中央には天音たちからもらった石の時にはなかった青く光る何かがあった。これが決め手となるのだろう。


「どうしてこんなのがあるんだ?」

「もし、世界を変えてくれるような逸材が現れたら、これを渡そうと思ってずっと私が保管していたものだ」

「世界を変えれるかどうか分からんが、ありがたくもらっておくよ」


 これはメラーの大切なもの。ずっと自分が持ち主だったものを手放し、俺に渡すということのありがたみを感じつつ、俺はその石に触れた。直後に石が俺を包み込むように青く光った。この石に刻まれた微かな過去の記憶。それが少しずつ頭で理解することができる。


「無事成功したようだな」

「あぁ、なんとか」

「その魔法は杖を取ってくれた報酬だと思ってくれ。実際、この杖がないとその魔法の覚えられないしな」

「これで俺はだいぶ強くなったんじゃないか」

「治癒魔法関連で言えばな。そこら辺にいる並大抵のヒーラーよりかは確実に強くなっただろう」


 死にかけながら戦った甲斐があるというものだ。最上級の治癒魔法は十分すぎる対価だ。


「メラーさん、入ってもいいですか?」

「あぁ、大丈夫だ。快斗、そこに立って、変な踊りをしてくれ」

「え?……分かった」


 急に何を言い出すのかと思えば、至って真面目な顔をするメラーを見てとりあえず俺は従うことにした。


「……何してるんですか、快斗さん」


 変な踊りをするのが何か重要なことだと思ったが、天音の冷たい視線を呆れた声を聞いて、メラーが俺を罠に嵌めたクズであることが分かった。


「まぁ、そんな陽気な踊りができるほど体は回復したみたいですね」

「無事な。ただ、それを知らせるために変な踊りをする必要はなかっただろ」

「簡単に騙される快斗が悪い。私は悪くない」

「メラーさんも悪いです。つい前までは腕がなかった快斗さんにあんな激しい動きをさせるなんて」

「あれは快斗がやったことだ。私はただ、変な踊りをしろと言っただけ」

「そんな屁理屈のようなことを言うんじゃありません。だいたい、あなたがそんなこと言わなければよかっただけの話じゃないですか」

「いや、私は悪くない!」

「二人とも落ち着いてくれ」


 久しい再会だというのに、喧嘩をし始めようとする雰囲気が感じられる二人を俺は落ち着かせた。


「すいません。少し熱くなってしまいました」

「私もだ。すまん」

「まぁ、反省してるようで何よりなんだが、天音はここに何しにきたんだ?」

「快斗さんの容態を確かめようと。今日は私の当番でしたので」

「そんな代わる代わる俺のことを見にきてたのか?」

「はい。昨日は朱音。その前はクレアさん。三日前は私でした」

「三日前?……俺ってどんくらい寝てたんだ?」

「だいたい一週間くらいでしょうか。それでも想定していた時間よりかはだいぶ早いお目覚めでしたよ」

「一週間ってこれもまた冗談なんだろ?」

「いえ、冗談ではないですよ。ちゃんと快斗さんは一週間寝ていて、腕が完治したんです」

「マジか。そんな寝てたんだな」


 一週間も寝ていた自覚がない俺にとって一週間寝たのが嘘のように感じたがどうやら本当のことらしい。


「それで快斗さんがよろしければ、朱音とクレアさんに顔を出しませんか?目を覚ましたということを伝えにいきたいので」

「そうだな。一週間も起きてないと流石に心配してるだろうし、ここいらで安心させておくか」

「では、来てください。二人は今部屋にいるので」

「分かった。案内してくれ」


 天音に連れられて部屋へと案内される。扉の近くまで来ると、部屋の外からでも分かるほど騒がしい二人の声が聞こえてくる。


「入りますよ。二人とも」

「どうぞどうぞ」


 天音が扉を開ける。そこにはベッドの上にカードを広げ、だらしなくカードゲームに明け暮れている二人の姿があった。

 俺は微かに期待していた。寝ている俺を心配してくれているんじゃないかと。ただ、現実は酷でカードゲームに夢中になっている。俺よりもカードゲームの方が大事だというのか。


「うお、起きてたんだ。大丈夫そう?腕痛かったりしてない?」


 ようやく俺に気がついた朱音はカードゲームの盤面をチラチラ気にしながら、俺の腕を確かめるように撫でる。


「心が痛いな。結構寝てたみたいなのに、俺の心配よりゲームの方優先してたみたいで」

「そんなことないよ。ね、クレア」

「うん、そうだよ。一部分だけ切り取ってそんなこと言わないで。朱音だって、いつ快斗が起きるんだろうって口癖のように呟いてたし」

「そうそう。クレアだって、最初の三日間ぐらいは失意に塗れて、食事も喉を通らない程だったんだよ。それに、快斗の容態を見に行く時もクレアだけ長い時間部屋にいるし。すごく心配してた」


 早口でそう言い、顔を見合わせながらうんうんと頷く二人に不信感を感じる。どうにもそれが嘘のように聞こえて仕方がない。


「いやー、本当に良かった。メラーは絶対治るから安心しろって言うけどやっぱりまだ信じきれないからさ。もしかしたら、本当に死んじゃったかと思ったよ」

「メラーが言うことを信じきれないのは分かるが、俺はしぶといからな。まだまだ生きるぞ」

「はぁ、よかった」

「いつまで触ってるんだよ。もう腕は大丈夫だって」

「いいでしょ、このくらい。僕はこう見えてずっと心配してたんだから」


 腕を触るというよりかは腕に抱きついている朱音は顔をぐりぐりと腕に擦りつけた。ああいうふうにゲームをしてたわけだが、本心はずっと俺のことを心配していて、それを紛らわすためにカードゲームをしていたらしい。クレアも同様で朱音と同じように腕にしがみついた。


「私は少しメラーと話してきますから、快斗さんは幸せな時間を過ごしていてくださいね」

「幸せな時間って……」


 この二人をどう処理すればいいのか分からないまま、一人の救世主が去っていってしまった。


「聞きたいことが色々あるんだが、とりあえず離れてくれないか?」

「え、やだ」

「うん、そうだよ。ずっと起きてなかったんだから、快斗養分を摂らないと」

「何だそれは」


 こんな体勢で話す方が苦労するだろうから離れてほしいのだが、なかなか離れようとしない。


「快斗は分からないかもしれないけど僕は人を失うのがもう怖いんだ。今は誰一人として仲間を失いたくない」

「そんなこと言われたって」


 俺はすぐ死ねる。常に危険と隣合わせのこの世界なら尚更だ。だから、そんなことは言わないでほしい。いつ失ってしまうか分からない非力な存在を心の支えにしてしまったら、もう取り返しのつかないことになるのだから。


「それでもう一回聞くけど、体調は大丈夫?無理強いしてない?」

「してないしてない。なんだったら、あの変な音が鳴る嘘発見器で試してみてもいいぞ」

「おぉ、その大層な自信はいつもの快斗じゃできない所業だ。これは信じてもいいね」

「一言余計だ。普通に信じれるで良いだろ」


 心配していると言っていたが、朱音はどうやらまだ余裕があるらしい。


「俺の体のことはもう良いんだ。それより、俺が寝ている間に何かあったか?」

「そうだね。色々あったよ。クレアが選んでくれた昼食が思いの外不味すぎたとか、四人でピクニックに行った時、メラーが迷子になって一日中探す羽目になったとか」

「そういうこと聞きたいんじゃねーよ。というか、だいぶ平和だったみたいだな!俺を見捨ててピクニック行くぐらいには」

「まあ、全部本当のことなんだけど、快斗が杖を取り戻してきてからは僕たちが暮らしやすい街になったし」

「全部本当のことって……。そこは普通冗談なんだけどっていうところだろ。って、そんなことはどうでもいいんだ。暮らしやすい街になったっていうのはどういうことなんだ?」

「教皇が持つ権力が弱まったというべきなのかな。司祭が使っていたような『命令』はもう使えなくなって、強制的に何かさせることが出来なくなった。それに異世界人が悪であるという認識すら洗脳力が欠けた今、曖昧になっている。だから、仮に快斗が教会の中心で『俺は異世界人だー!』って言っても警官に連れてかれるだけで殺しはされないよ」

「つまり、元々あった洗脳が杖を取り返したことによって消えかかってるのか?」

「そうそう。まあ、洗脳が消え掛かっているのはゴルムに限った話なんだけど」

「別の国に行って、人通りが多いところで『俺は異世界人だ!』って叫べばダメだってことか」

「そうそう。そんなことやったらもう即殺も即殺よ」


 一国の教皇の杖を本来の持ち主へと返したというだけで全ての国で洗脳がきれかかるようならありがたいことこの上なかったが、そんな上手い話はないらしい。それでも、自分たちにとって少なからず利益をもたらしたということは少し進歩したということだろう。ようやく旅が始まったと実感できる気がする。


「じゃあ、本当にこの国でやることは終わったんだな」

「まぁ、大きな問題は片付いただろうね。教会の支配、洗脳からの解放。きっと民衆からは何も歓迎されずに称賛されることはないだろうけど、確実に解決しなくてはいけない問題は解決したよ。あとはクリチャー・パーティーのこととか、教皇が倒れて療養している現状の打開策とか。そういう細々とした小さな問題っていうのはメラーに任せておけばいい。きっと僕たちが旅している途中で全部解決してくれるだろうから」

「メラーをすごい信頼してるんだな。普通じゃ出来ないことだろうに」

「メラーはやる時はやる娘だから」


 教会側が加担していた造られた災厄クリチャー・パーティーと死にはしていないものの重体である教皇の穴埋め。常人には出来ないことだし、きっと朱音が絶大な信頼を置いているメラーでさえ、それは難しいことに違いない。俺もここまで来たのなら手伝いが朱音の口ぶりからしてそれは出来そうになかった。


「とりあえず、この国の問題はメラーに任せて僕たちは次の国に目指そう。ゆっくりするのも悪くないけど、快斗が起きる前で遊び倒してた僕たちは暇で暇で仕方がないから、もう行っちゃお。まぁ、最後に街を見て回ってもいいけど」

「まあ、そうだな。俺もだいぶ寝てたせいか身体も元気になったし、変わった街を少し見て次の国に行くか」


 長い間寝ていた俺の体は十分な休息を取ったようで、さほど疲労は感じなかった。逆に今であったらノンストップでどこまでも駆けていけるような気さえする。


「じゃあ、俺クレアとメラー呼んでくるから」

「うん。僕たちも旅の準備して待ってるから」


 街を見て回るのであれば、全員で見にいった方がいい。俺はこの二人の拘束から逃れるために二人を呼ぶことにした。終始、二人は俺の腕から離れなかったし、クレアに至っては何かを話すことなくずっと顔を俺の腕の中に埋めていた。

 ようやく拘束から逃れた俺はメラーたちがいるはずの部屋の前に立つ。


『誰ですか?そこにいるのは』

「お、俺だ」

『快斗さんでしたか。どうぞ、入ってください』


 ノックをしようとすると鋭い声が扉越しに聞こえる。足音をそんなに出していないのにも関わらず、誰か来たことが分かるその察知能力には驚かされる。


「すいません。少し大事な話をしていたので神経質になってしまいました」

「大事な話?」

「今後のことについての助言ですかね。メラーはこういうことには慣れていないので少しアドバイスをしていただけです」

「小さな問題の解決か?本当にメラーが出来るのか?」

「初めてのことなので多少のことは目を瞑りますよ。私は完璧を求めていないので」


 それでも天音はその問題を解決する能力がメラーにはあると信じて疑わない。朱音といい、天音といいメラーをかなり信じしているようだった。それに俺も例外ではなく、メラーの才能からしてみれば出来ないこともないのだろうが、その問題を解決している途中で迷子になることを想像すると本当にできるのかと半信半疑になってしまう。


「それで快斗はどうしてここに来たんだ?」

「せっかくだから最後に街を見に行こうと思って。出来るなら全員で行ったほうがいいだろうから」

「そうか。確かにそれもそうだな」


 椅子に座っていたメラーは窓の外の月を見る。


「今行くのか?」

「朱音とクレアは今行く気満々だったな」

「そうか。まぁ、夜の街というのもそれまた一興だ。準備して早速行こうか。天音、さっきの話の続きはもう大丈夫だ。あとは私が考えてやる。それくらいには出来ないと失格だろうからな」

「そうですね。全て教えるよりかは少しは考えたほうが今後のためになりますしね」

「じゃあ、準備して玄関で集合な」


 昼の騒がしい街並みを見るより、夜の静かな街を見て微かな変化をしんみりと感じたい。

 数分後、準備の整った俺たちは早速街を見て回ることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る