第31話
互いの体感時間5分程度。
宣言通り、春海はすぐに鍵を使って自らの主人を助け出した。
主人は慌てている様子もなく、怖いくらい落ち着いていた。火事の中であれほどの声量で自分に助けを呼んだというのに疲れた様子を見せることもなかった。
「ご無事で何よりです。」
「ええ。このことは秘密よ。誰が仕掛けたか、突き止める必要があるから。」
「承知しました。」
誰かの差金で閉じ込められて火を着けられた、ということがおおよそ分かっているにも関わらず伏せておく。
それがあまりにも冷静すぎる判断すぎて、的確すぎて、春海は再び主人を怒らせると怖いのだということを理解させられた。
乾隆帝はこの日、起こった不始末を若汐を閉じ込めた御前侍衛に責任を取らせた。
この時代では皇帝の妃に手を出したのだ。極刑である。
それは無傷であった若汐にも止めることは出来なかった。まぁ、元より彼女は殺されかけたので慈悲を与えるつもりもなかったのだが。
そんなことよりも腹を立てていることが若汐の中にはあった。
数日後。
皇后への挨拶のために妃嬪達が集まった中、高貴妃が若汐にさも楽しげに尋ねたのだ。
「昨日もあのピアノを披露したの?令貴人。」
「はい。陛下に喜んで頂き幸いでございます。」
「…そう、それは良かったわね。」
「はい。よろしゅうございました。」
清廉な笑顔でやり取りをする若汐。
思わず言葉に詰まりそうになっているのを彼女は見逃さなかった。
やはり犯人は高貴妃で間違いなかったようだ。
だが、閉じ込めた犯人までが彼女とは限らない。他の妃の可能性は捨てきれない。
それでも。
込み上げる怒りを抑える。
──好きの反対は嫌いではない、無関心でもない。『無視』なのだ。
若汐はそれに徹する事にした。
もちろん礼儀を欠かすつもりはない。
いくらでも作り笑いもするし、下手にも出よう。
だが、必要以上にこの高貴妃と関わる必要性はないと強く判断した。
──あのピアノという尊いものを傷つけようとした罰だ。
ピアノというものは木で出来ている。
木というものは呼吸するものだ。
つまり生きているのと変わりないという事である。
その生きているものを傷つけようとした高貴妃は非難されても無理はなかった。
若汐があの日に1番腹を立てたのは、ピアノに危害を加えて挙句に燃やしてしまおうとしたこと。それに腹を立てていたのだ。
それだけ、ピアノというものが若汐にとっては大事なものなのだから。
(若汐様を怒らせたら怖いという事がよく分かったわ…)
傍で控えている春海は、怒らせるような事は絶対しないようにしようと決意した日の話であった。
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