第12話
そんな若汐は皇后の美しさに見惚れてしまわないように必死であった。
呂色のような瞳に、白粉のおかげだろうか。
顔は郎世寧のような乳白色の綺麗な肌色であった。
綺麗に纏められた両把頭に飾られているラピスラズリ。
小さな白い造花が両端にバランスよく付けられていた。
もうこの時期の清朝は金銭に困ってはいなかったのだが、未だに節約熱心らしい。
服装は白磁を思い起こさせる美しい白に刺繍が施されたもの。
自分には出来ない刺繍だと若汐は考えていた。
「名はなんと言うの?」
「魏・若汐と申します。」
「若汐…いい名前ね。郎世寧。何故、彼女を自分付きにしたの?」
「お答え致します。彼女は機転が効きまして、絵画を描く際に助手として適任だったからです。」
「あら、そうなの。絵画以外に何か出来たりするのかしら?」
「はい。私が基礎を教えた所、ピアノが弾けるようになりました。」
皇后は目を見開く。
ピアノとは確か乾隆帝に向けてイタリアから贈られたものである。
だが紫禁城の誰もがその楽器を弾くことは出来ず、置き物状態とされていた。
そのことを自分の寝殿の宮女から聞かされており、皇后はよく知っている楽器だったのだ。
──誰もが扱うことが出来なかった楽器をこの少女が扱えると…?
手足も短い。
顔だって適年齢とはいえまだあどけない少女だ。
確かに仕草はとても優雅で気品がある。
しかし、ピアノを扱えると言う話とは別だ。
温厚な皇后ではあるが皇帝の正妻として郎世寧の話に疑念を抱いた。
「お疑いなら弾かせましょうか?」
「本当にあの楽器を扱えるの?扱えなければ罰せられるわ。陛下のご命令を覚えているでしょう?」
「はい。ですが問題ありません。」
「そう。なら弾いてもらうわ。…そうね、あそこの東屋にピアノを移動させてちょうだい。」
木々の緑に包まれた所に東屋は存在していた。
六角形で出来た東屋は紫禁城の朱色を思い出させるように、全体的に朱色で作られている。
屋根だけは漆黒で塗られていた。
ピアノは小さくとも300kg近くの重さがある。
宦官は指示されたように置かれていたピアノを慎重に運び始めた。
数にして6人程。
男の力であればなんとか運ぶことができる重さであった。
「若汐。本当に弾けるのね?」
「はい。郎世寧様に教えて頂きました。」
「そう…。もし、本当に扱えるなら亡くなった息子に向けて…なんて出来るかしら。」
「鎮魂歌のような曲をご所望ですか?」
「えぇ。貴女が本当にあの楽器を扱えるなら。」
「承りました。」
若汐は迷うことなく返答する。
どの曲にするかは宦官達が東屋にピアノを運んでいる時間だけで充分過ぎるほどであった。
皇后に西洋の知識はほとんどない。
それは後世の文献でも書かれていない為に心配はないだろう。
だからこそ、どの作曲家であろうと怪しまれることはないと若汐は考えていた。
15分程すると東屋にピアノが置かれた。
若汐は命令を果たすべく、東屋に向かう。
弾く曲はもう決めていた。
鎮魂歌といえばモーツァルトが最も有名だ。
だが、そのモーツァルトをピアノ曲として弾くのにはピアニストとしては抵抗があった。
あの曲はオーケストラでこそ輝く曲であると若汐は考えているからである。
代わりに鎮魂歌ではないが、楽しい思い出を思い起こさせるようなそんな曲にしようと決めていた。
──音楽なら想いを伝えられる。届けることができる。
それは若汐が無くしている情熱の中でもあり続ける1つの信念に近い考えであった。
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