詩の場合4


 夜遅くにフラリと帰ってきた湊。


 しかしずっと不機嫌で、会話一つしない。

 詩が気を利かせて色々と話しかけたり、湊が好きなアニメの話も持ち掛けるが、全く反応しない。


 詩の一方通行の掛け声と一花の泣き声だけが、この家の音になってしまった。

 こんな空気ではダメだ。

 私が……折れるしかないのか。


 詩は翌朝、一人で出社準備を黙々としている湊に尋ねた。


「……アンドロイド、短期で……借りようか?」


 湊は少し顔を上げ、それから、吐き捨てる様に言った。


「要らないよ。僕がしっかりやればいいんだろう?」


 そう言うと、詩の前をすっと横切り、出社してしまった。

 昨日と違って、静かに扉は締められたが、閉まった音が酷く冷たい。


 ――詩は溜息をつくと、スマートフォンで電話を掛けた。

 四度目のコールで相手と繋がった。



 ◆



 詩が電話をしたのは、詩の街に住む唯一の保健師。

 今年75歳になる今村清子さんだ。

 妊娠中の相談、出産の心得、一花の検診など、小柄だけどパワフルな今村さんが全部教えてくれた。

 彼女自身も二人の子供を育てた。夫はもう十二年前に亡くなったそうだ。

 その子供たちは結婚せずにアンドロイドと暮らしているという。


「毎年、引退しよう、引退しよう、と思うんだけどねぇ。それでも詩さんの様に赤ん坊を産む人を見ると、続けちゃうのよ~」


 これが、出会ったときからの今村さんの口癖だ。

 詩の母親が赤ん坊を育てた経験がない以上、今村さんがどんなに心強い存在だったか。

 母親以上に今村さんには母の役割を感じていた。


 今村さんは詩が妊娠した時「どんな家庭にしたい?」と尋ねてきた事があった。

 詩は保健師がそんな事を聞いてどうするんだろう? と思いながらも、湊と決めた「アンドロイドの手を借りずに、家族だけで育児と仕事を両立して暮らす」家庭だと答えた。

 すると、今村さんは肯定も否定もせず「そう、分かったわ」と答えた。


 お昼過ぎに、今村さんは詩の家へとやってきた。

 猫背姿の今村さんは、ゆっくりと靴を脱ぐと、ベビーベッドでお昼寝をしている一花を眺め、微笑んだ。


 今村さんをリビングのツインソファーに座るように促した。

 その間に、今村さんは黒い鞄から老眼鏡と書類を取り出し、ペラペラと捲り何か読んでいる。

 詩は向かいの一人掛けソファーに座ったのと同時に今村さんは書類から顔を上げた。


「えーっと、今日の相談はパパさんが、アンドロイドのお手伝いを入れたいって、お話ね?」

「はい……」

「でも、詩さんは産む前から望んでいたアンドロイドを使わない子育てがしたい、と」


「そうなんです。

 ……頭では分かっているんです。今の世の中、配偶者以外に子育てを手伝ってくれる人がいません。だからアンドロイドが居てくれた方が子育てに心強いのも、安心なのも分かります。けれど、私は母親とアンドロイドが完璧故に歪んでしまった関係性を見て育ちました。きっと私も夫も、完璧なアンドロイドを受け入れたら、その便利さにハマってしまう。そうなったら…………」


「そうなったら?」



「……」




 詩の脳裏にヘドロの様にこびりついて取れない記憶、自分の幼少時代。


 8歳になったばかりの詩は喜びに満ちていた。

 ある女性が、詩を我が子として育てたいと希望の園の先生に言われたからだ。

 平等に、同じように、横並びに育てられた子供たち。


 その中で詩は「選ばれた」事に、喜びを見出していた。

 自分は、ほかの子と違うのだと。



 ――自分を引き取ってくれた母親は、その頃は平凡で質素で普通の女性だった。

 当時は痩せていたし、常識もあった。

 母親は小説家としてとても有名人で、裕福でもあった。

 引き取られた詩。贅沢な日々を送る。

 三食豪華な食事、綺麗な洋服に靴、やりたい習い事もさせてくれた。

 旅行だって、年に二回は国内外、どこでも連れて行ってくれた。

 詩は周りから見れば、選ばれた勝ち組の子供であり、生まれ持った美しい容姿と知性も相まって、同じ小学校に通う希望の園の子供たちからも羨望の眼差しで見られていた。


 一見、幸せに見えた詩の生活。


 しかし、詩には「嫌な時間」があった。

 それは毎晩、夕食の後。

 母親はいつも恋人であるアンドロイドの「蓮人」に同じ質問を尋ねるのだ。


「ねえ、蓮人。私と詩、どっちが綺麗?」

「志穂だよ」


 完璧なアンドロイドの蓮人は、無邪気に悪びれもなく率直に答えるのだ。


「えー? 本当にぃー? 私、30過ぎのおばさんだけどー?」

「志穂が一番だよ。僕は君を愛している」


 その言葉に喜び満足する母親。


 ――そう母親は、美しい娘の詩と平凡な自分を比較させて、自分が最も蓮人に愛されていると自覚したいがためだけに、詩を引き取ったのだった。

 たった、それだけの事に。


 詩は成長し、どんどんと花開き美しさが研ぎ澄まされていく。


 それでも、蓮人は母親を愛し続ける。盲目的に。完璧なアンドロイドだから。

 しかし、詩が目に見えて美しくなると、母親は蓮人の言葉だけでは満足が出来なくなり、次第に焦燥感が募るようになった。


「ねえ、私とこいつ、どっちが好き!?」

「志穂だよ」

「嘘、嘘だっ!! お前はこいつが好きなんだろう!?」

「志保、何を言っているの? 僕がずっと好きなのは、志穂に決まっているじゃないか」

「嘘だ、嘘だ!! 私はこんなに醜い女なのに、好きな筈がないだろっ!! お前、こいつと出来ているだろっ!?」

「そんな訳ないでしょう? 僕は君だけを愛しているのに!」

「じゃあ、証拠を見せてよ!」


 母親はキッチンから果物ナイフを取り出す。

 そして、蓮人の美しい白磁器の肌を……。






 今村さんが、喋らなくなった詩を少し前かがみに伺う。

 詩は突然の吐き気を催し、その場から立ち上がるとトイレへと駆けこんだ。



 詩は知っている。

 人は弱い。


 詩の母親は聡明で、臆病で、心が弱かった。

 だから、自分が蓮人に愛される筈がないと心のどこかで思いながら、完璧なアンドロイドの優しさに依存した。

 そして、異常な関係性を築く二人を見て、詩は軽蔑をしつつも、盲目的に献身的に母親を愛し続けるアンドロイドをとても羨ましいと詩は思ってしまった。


 そう。

 羨ましかった。

 無条件に愛される存在がいる母親が。

 お金さえあれば、手に入る高機能アンドロイド。


 お金で買える、永遠の愛。

 でも、そんなの偽りだ。

 でも、羨ましい。

 でも、偽りはいらない。

 でも、一人は寂しい。

 だから、家族が欲しい。


 本当の愛で包まれた家族。

 そう、愛が欲しいなら、人間同士で本当の愛に包まれた家庭を作ればいいのだ。

 自分なら出来る。

 やってみせる。


 そう思って、振り向いた先で目が合ったのが湊。

 同じだと思った。

 でも、違う。


 昨日の湊のアンドロイドが欲しいという発言は、詩にとってまるで「母親じぶんはいらない」と言われてる様に思えたのだ。一花を産んでたった三ヵ月で。確かに家庭内は良い空気じゃなかった。


 でも、きっと、アンドロイドを受け入れたら湊は気付いてしまう。

 アンドロイドの快適さに。

 母親の存在が、要らないということに。


 そうなれば、詩はきっと自分の母親の様に嫉妬してしまう。

 アンドロイドに湊を取られたと思い込んで。

 そうなれば、行く先は同じ。

 一花を自分の生い立ちと同じ様に育ててしまいそうになる。


「……詩さん、大丈夫??」


 自分の暗い気持ちも吐き出した詩。

 心配して洗面所でオロオロする今村さんに、呟いた。



「今村さん……どうしたら、湊くんと仲良く暮らせるのかな……」

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