第5話 呪いの人形

 学院生活最後の年、残り三ヶ月。

 最近の私は最終試験で良い点数をとれるかという不安と、クラスメイトのマルガレータ嬢の当たりがが何かと強いことに頭を悩ませている。


 試験への不安は勉強をすることで解消できるとわかっている。ただ……


 「庶民のくせにダンスの練習なんて必要かしら?」


 三ヶ月後の卒業パーティーはデビュタントも兼ねている。そこで必ず求められるものがダンスの腕前だ。ダンスの授業はこの時期が一番熱が入っていて厳しい。

 更衣室で練習用のドレスに着替えたあと、授業が行われるダンスホールに着いた途端に言われた言葉がこれだ。


 風に揺れる小麦のような金髪を揺らし、マルガレータ嬢が青い目をすがめて私を見る。


 庶民、確かに。と、私は心の中で大きくうなずいた。


 成人すればローデンヴァルト家から出ることになっている。ローデンヴァルト家の後見の役目も終わり、貴族的な繋がりはなくなって庶民になるので、ダンスの練習など必要ない。が、しかし。


 「卒業パーティーにダンスは必須ですわ」


 「パーティーに出なくても卒業はできるのだから、必要ないのじゃなくって?」


 「……ローデンヴァルト家の奥様が、私のドレスを作ってくださったので」


 「居候のくせにドレスを作ってもらうなんて、本当に図々しいのね!」


 デビュタントも兼ねている卒業パーティーの白いドレスを、夫人はそれはそれはやる気満々で作ってくれている。娘がいない夫人にとって、年頃の女の子のドレスを作るのが楽しくて楽しくてしょうがないらしい。

 作り始めたのはなんと学院に入学した直後である。ああでもないこうでもないと変更に変更を重ねてようやくデザインが決まったのは去年の初めだ。


 その夫人のやる気と親切と楽しみとお金を無駄にするなんてことは、マルガレータ嬢が言う通り、私が一般異世界庶民の居候であるがゆえにできるわけがない。


 「その図々しさでアロイス様のエスコートもねだったのでしょう? アロイス様には私のお姉様という真実の愛で結ばれた恋人がいるのに、少しは遠慮したらどうなの!」


 「え!」


 寝耳に水の言葉に、私は淑女教育の全てを忘れ、久しぶりに日本にいたときのように目をむいてのけぞった。


 アロイス様に恋人!

 先日、夫人の誕生日パーティーの衣装合わせのときにちらりと思ったのはアロイス様の結婚と婚約者のことだったけれど、そう言われてみればアロイス様の年齢で、そしてアロイス様のようにお顔良し・家柄良し・性格良し・お勤め先良しの男性に恋人がいないというほうがおかしいと気づく。


 そうか、婚約者の前に恋人か。

 日本では婚約者がいるよりも恋人がいるほうが自然だったというのに、その存在をすっかり忘れ果てていた。こちらの世界に来てから貴族的なことに染まりすぎたのかもしれない。盲点だったなあ。

 そりゃあいい歳をした男の人だもの、アロイス様にも恋人の一人や二人いてもおかしくないよね。……いや、同時に二人はまずいけど。


 「全く存じ上げませんでしたわ。ローデンヴァルト家の皆様にはご親戚や派閥の貴族家など主要な方々をご紹介いただきましたが、皆様から……特にアロイス様からマルガレータ様のご実家であるバッヘム伯爵家のお話しをうかがったことがなく……」


 視線を斜め上にそらしつつ、あのパーティーの様子を思い出す。

 アロイス様から紹介されたのは彼の職場の同僚の方々と、その仕事先の関係者の皆様、学院生時代の同性のお友達で、女性はほとんどいなかった。普通、身近な人の色恋は話題にしやすいから口に上ると思うのだが、そのときに誰からもアロイス様の恋人の話をされた覚えがない。


 忙しいからあまり会えないけれど、顔を合わせてアロイス様が話すことといえば遠征先で見ためずらしい生き物や景色の話、仲間内で流行っているたわいないことばかり。女性の話は聞いたことがない。遠征先から届く手紙と同じような内容だ。


 むしろアロイス様は自分が話すよりも私の学院生活や、私が読んだ本の感想なんかを聞きたがる。

 そしてアロイス様の休日のお供はたいてい私である。


 こういってはなんだが、アロイス様はちゃんと恋人を大事にしているのだろうか。

 その、マルガレータ嬢のお姉さんの、なんて名前だったか……


 「お姉様のお名前はなんとおっしゃるの?」


 はてと首を傾げて問いかけると、マルガレータ嬢は唇をひきつらせた。


 「ま、マリアンネですわ」


 「そう……ごめんなさい、やっぱりアロイス様からマリアンネ様のお名前をうかがったことがないわ」


 「私やお姉様が嘘をついていると言うの?!」


 「いいえ、まさか」


 青い目をつり上げて怒るマルガレータ嬢が怖い。フランス人形そっくりの見かけで怒るとホラーっぽくて、かわいらしさが怖さをより際立たせる。

 目の前のお嬢さんの怒りに真正面からぶつからないように、私は日本人特有の愛想笑いを浮かべた。


 「あなたのせいでお姉様はいつも泣いているのよ! 先日のローデンヴァルト夫人の誕生日パーティーだって、アロイス様は本当はお姉様をエスコートする予定だったのだから!」


 「まあ、あのパーティーにお二人もいらしてたの? 気づかなくてごめんなさいね。いつもより人がいたうえに、アロイス様が懇意になさっている方のご挨拶が多くって、自分の知り合いとお話しする時間がほとんど取れなかったの」


 遠征がうまくいき、予定よりも早く帰ってこれたことにご機嫌だったアロイス様は当日、実に生き生きしていた。

 アロイス様の知り合いにいつもより多く引き合わされて、わりと大変だったな……。とはいえ、支援術師つながりで私が目指す医薬品研究開発課や薬学界で活躍している諸先輩方も多く、就職希望先のあれこれを聞くことができて私は大変満足であった。

 たぶんアロイス様も私の進路を考えて、今回の夫人のパーティーにそういう人たちを多く招待してくれたのだろう。居候にも優しい人なのだ。


 「……私たちではなくお父様が参加して……いえそうではなくて、どうしてお姉様のアロイス様を盗るような真似をするの? あなた、去年の聖女様の結婚式や祝賀会までアロイス様にエスコートされていたでしょう!? 恋人たちを引き裂くようなことをして楽しいの?!」


 「そのようなことは……。マルガレータ様もご存知のように私はローデンヴァルト家に後見していただく身、ご当主様に指定されたとおりにエスコートはアロイス様にお願いいたしましたの。居候の分際でお世話になっている侯爵家に異を唱えることなどできないことくらい、おわかりでしょう?」


 去年の春、聖女の聖月みづきさんは結界の修復を終えて結婚した。お相手は王太子殿下である。身分どころか世界を超えて結ばれたビッグカップルに国中が熱狂し、パーティーは結界復活と邪気祓い成功も相まってそれはそれは盛り上がった。


 私は同郷として結婚式で聖月さんのベールダウンをしたが、今まで生きてきたなかであれほど緊張したことはない。

 そして聖月さんの婚約が決まった直後、ローデンヴァルト家の旦那様と夫人と、当主である支援術師団長様にそろって呼ばれ、何を言われるかと思えば「聖女様の婚約・結婚式関係で公の場に出るときは、アロイスにエスコートしてもらってね」だったときの謎の緊張感も忘れられない。


 「だからって!」


 マルガレータ嬢の憤慨に、私は首をかしげた。


 「よくわからないわ。マリアンネ様はアロイス様の恋人ではあるけれど、婚約者ではないのでしょう? であれば、そうした公の場では双方の家の当主がわざわざお互いをパートナーに指定しないかぎり、遠慮するものだと授業で学びましたわ」


 マルガレータ嬢が燃えるような目でにらみつけてくるけど、何か間違っているだろうか。就職のためにはマナーの試験でも良い点を取らなくちゃならないから、あとで確認しておかなくては。

 このへんの貴族的なことは庶民しかいない日本人には馴染みがなくて覚えづらいんだよね……。


 「……じゃあ、あなた、卒業パーティーでは誰にエスコートしてもらうつもりなの?」


 「卒業パーティーですか?」


 抑えすぎて重低音になったマルガレータ嬢の声におののきながら、私はパーティーについて思考を巡らせた。


 あれ? そういえばローデンヴァルト家の誰からもそれについて何か言われた覚えがないなあ。


 「まだ決まっておりませんわ……」


 「そう!」


 呪いのフランス人形から一転して晴れ晴れとした笑顔を見せたマルガレータ嬢が、パンッと手を打ち鳴らして言った。


 「じゃあ私の弟を紹介するわ! 私たちの一つ下の学年で、マヌエルというの!」


 「マルガレータ様のお気持ちはたいへん嬉しいのですが、卒業パーティーのパートナーについても、そのご意向をローデンヴァルト侯爵にお伺いしなくてはいけませんの」


 マリアンネ、マルガレータ、マヌエル……バッヘム伯爵家には子供に〝マ〟から始まる名前をつけるべしという家訓でもあるのだろうか。なんて思いつつ、私はもう一度愛想笑いを浮かべた。


 「マヌエル様をぜひにとおっしゃるのなら、バッヘム伯爵家から正式にローデンヴァルト侯爵家へ申し入れていただきたく存じますわ」


 主役は学生とはいえ卒業パーティーも正式な社交の場である。むしろこれからが本番の社交といっても過言ではない。ドレスも装飾品もパートナーも、ここから家の意向を強く出していくべき場であると学んだ。


 衣食住に勉強する機会と就職のチャンスまでもらっておいて、卒業パーティーのパートナーは自分の好きに選ばせてもらいまさァ! なんて義理を欠くことはできない。そのあたり、生粋の貴族なのだからわかるでしょうと愛想笑いのままマルガレータ嬢に視線を送ると、なんでかまた呪いのフランス人形が私をにらみつけていた。


 怖すぎた。

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