第6話 神に誓う聖女様

 「あーはっはっはっはっは!」


 どこかの大御所関西芸人のように大理石のテーブルを扇子でバンッ! バンッ! と叩きながら、聖女様がのけ反って笑い続けている。清楚と評判の美貌は崩れ気味である。


 「やっるぅ~ニコちゃんマジ天才!」


 「え、なにが? 私なにをやっちゃいました?」


 「だいじょぶ、フラグをいくつかぶっ倒して軽やかに高みにのぼっただけだから!」


 サムズアップで笑みを浮かべる聖女様を目の前に、私は困惑で縮こまる。対して聖女様はリラックスしきった表情で豪快に紅茶をあおった。


 ここは王城にある聖月みづきさんの私室だ。まるで学校帰りのファミレスでだらっと会話を楽しむような私たち二人のほかには使用人もおらず、聖女らしからぬ行いをたしなめる人はいない。紅茶も聖月さん手ずから淹れてくれる。

 そして私は学院から帰宅する前に聖月さんに呼ばれてこちらに来たので制服だ。事実学校帰りのファミレス感がいや増している。


 「バッヘムのマリアンネって、あたしも知ってるよ」


 「やっぱりアロイス様の恋人っていうのは有名なんですか?」


 どうしても食べたくて聖女様権限でわがままを言って作らせたという芋けんぴをカリカリしながら、聖月さんが長い足を組んで椅子の背もたれに体重を預けた。

 遠慮しないで食べて食べてーとにこにこしながら芋けんぴをお皿ごと私のほうに寄せながら、聖月さんはちょっと考えるように視線を上にする。


 「じゃなくて、あたしがまだ結界修復にもお城生活で猫かぶるにも四苦八苦してたころに、オータイシ君の周りをちょろちょろしてた女だよ。マリアンネ・フォン・バッヘムって」


 聖月さんは自分の伴侶でありこの国の王太子殿下を「オータイシ君」と呼んでいる。彼女が夫のことを名前で呼んでいるのを見たことがないけれど、きっと私もいないプライベート空間では名前も呼んでいるのだろう。たぶん。

 なんか、あんまりその……彼女が夫とはいえ男性に甘えている姿が想像できない。公的な場でも「殿下」と呼んでいたような……?

 国中を巻き込んであんなに感動的な結婚式をしたのに、もしかしたら伴侶の名前も覚えていないレベルかもしれないという不安が……。


 「あたしたちがこの世界に来る前までは、そのマリアンネさんがオータイシ君のお嫁さん候補筆頭だったみたいよ?」


 「なるほど……たしかに伯爵より上の爵位のお家に王太子殿下に見合う年齢の女性はいませんものね」


 侯爵以上の爵位の家とはほとんどご挨拶したことがあるが、たいていアロイス様と同年齢くらいの男性か、それ以上の年齢の既婚女性ばかりだった。


 「婚約者だったんです?」


 「てわけでもないみたい。あくまで筆頭ってだけで、当時のオータイシ君には他国の王女様との見合い話もあったみたいだし」


 たしか殿下のご年齢は今年28歳で、私たちがこの世界に呼ばれたのが四年前。当時24歳の殿下の婚約者候補だったということは、今……


 「でもさ、あたし、聖女じゃん? しかもかわいいじゃん?」


 マリアンネ嬢の年齢にある程度あたりをつけ、クラスメイトのマルガレータ嬢に年齢を足した姿を想像しようとしていた私は、聖月さんの自信しかない言葉を聞いてハッと我に返った。


 「べつにやりたくないけど頑張って結界修復とか聖女業しなきゃ食いはぐれるから、結界修復関係の責任者だったオータイシ君の隣でめっちゃ健気に頑張るじゃん? この、かわいい、あたしが」


 ババン! とどこからか効果音が聞こえてきそうなくらい胸を張って、聖月さんがふふふんと笑う。普通ならば鼻白みそうな言動だけれど、自信を裏打ちする彼女の美貌がそうさせない。

 日本にいたころはひとたび大通りを歩けば芸能界へのスカウトの名刺が束で集まり、各種SNSには余計な説明はいらないとばかりに「美少女」とハッシュタグ付きで写真をあげられ、テニスの試合には望遠レンズが観客席を埋め尽くしたという。お砂糖菓子のように甘い美貌を持つ聖女様なのだ。


 「オータイシ君があたしに惚れるのは、もうしょうがないじゃん?」


 「確かに。私も惚れちゃいましたもの」


 私がローデンヴァルト家で栄養を取ってのんびりと学院に通い学生生活を満喫していたころ、聖月さんは文字通り血反吐を吐きながら結界修復にあたっていたのを知っている。こんなふうに茶化すように聖月さんは言うけれど、泣きながら、でも歯を食いしばって、魔物が出る辺境まで自ら行って結界を直していたのを私も殿下も知っているから、聖月さんの言葉には心の底からの同意しかない。

 

 王太子殿下もそんな聖月さんに惚れたのかもしれないけれど、私だってそうだ。

 殿下はロイヤルパワーで聖月さんの後方支援を想うがままに行っていたけれど、私はそんな権力も、日本生まれの同郷だというのに聖女の術も使えないから、愚痴を聞くくらいしかできなくて歯がゆかったな。


 だから私も聖月さんを見習って、せめて自分ができることは全力でやろうと決めた。

 勉強や貴族的なことを学ぶこともそう。しっかりと人とコミュニケーションをとることも。


 たとえ求められていなくて、……この世界に間違って呼ばれたのだとしても、来てしまったからにはどうにかして馴染もう、役に立とうと思った。


 「……んんっ、もー! ニコちゃんてば。……で、オータイシ君と婚約を結んだあたしに向かって、〝真実の愛で結ばれたお嬢様と王太子殿下恋人たちを引き裂いて楽しいか〟って、子飼いのメイドに言わせて後ろでしくしく泣いてたのが、マリアンネ・フォン・バッヘム伯爵令嬢」


 「……ん?」


 その話、どこかで聞いたことがあるような。


 「えっと、殿下とマリアンネ嬢は、実は真実の愛で結ばれていたんです?」


 「いなかったんです」


 「いなかったんですか」


 「吐くほどオータイシ君をとっちめましたが、神に誓わせて、いなかったんです」


 コリコリコリコリ……

 芋けんぴをかじる音だけが響く。


 「あの、私、今日、マリアンネ嬢の妹さんに同じようなことを言われたんですけど……」


 「アロイスさんに確認したほうがいいとは思うけど、たぶん、ていうか絶対、真実の愛で結ばれた恋人――ではない」


 「……今度こそ本当にそうだったりは?」


 「あたし、聖女! 神に誓ってもいい! ないね!」


 太めの芋けんぴをくわえてバキッと折りつつ、聖月さんは言いきった。わざわざ聖魔法を使って自分を白く発光させて聖女の神秘さを演出している。

 くわえた芋けんぴまで黄金色に光っていた。


 「日本人的には24歳なんかまだ結婚を焦るような歳じゃないけどさ。オータイシ君があたしと結婚しちゃって、残る優良物件で婚約者がいないのはアロイスさんくらいだし、自分は行き遅れそうだしで焦ってるんじゃない?」


 「あ。アロイスさんと同い年ですね」


 「じゃもしかしたら学院でクラスメイトだったーくらいの繋がりはあるかもだけど、もしも本当に話が本当だったとして、あのアロイスさんが長年の恋人をそんな宙ぶらりんなままにしとかないと思うな」


 説得力ある言葉にうなずくと、聖月さんは発光するのをやめた。

 空になった自分のティーカップにお茶のおかわりを注ぐと、ついでに私のティーカップにも紅茶を淹れてくれる。


 「でもこういうのってちゃんと話をしないとこじれるから、いっかいアロイスさんとちゃんと話したほうがいいよ」


 「そうですね。ちょっとびっくりしましたし……」


 もしもマリアンネ嬢との仲が本当で、何かしらの障害があって一緒になれないのであれば、日ごろの恩返しに私からご当主様に話をしてもいいかもしれない。私の言葉なんて相手にされないかもしれないけど。

 まあ枯れ木も山の賑わいというか、塵も積もれば山となるし、ご当主様の意識の端っこくらいには引っかかってくれるだろう。


 そのが、私じゃなければいいんだけど……。


 「てか恋人うんぬんも胡散くさいけど、ローデンヴァルト家の後見を受けてて、なによりもこのあたしのお友達に、格下の伯爵家が、突っかかってきてるんだもん。メンツの問題もあるからさ」


 「あっ、確かにそれもそうですね! 貴族はなめられたら負けだって習いました」


 「そう。聖女もね、なめられたらその瞬間タスクがどんと増えるから。貴族だろうが王族だろうが、なぎ倒せるときになぎ倒しておかないと。あたしからもバッヘム伯爵に言っとくし、あなたのところの行き遅れのお嬢さんマジなんなん? ってオータイシ君からも釘刺してもらおうね」


 「え……あ、……はい」


 マリアンネ嬢が王太子殿下との仲を偽ったこと、もしかして聖月さんはかなり頭にきていたのだろうか。やきもちかな。

 王太子殿下と今度会うことがあれば、聖月さんがやきもち焼いてましたよって言ってみようかな。聖月さんへの愛を隠さない殿下ならとても喜ぶ気がする。


 「妹さんもいつ結婚できるかわかんないね」


 それはちょっとかわいそう……。

 しかし身内の不始末は連座で尻ぬぐいと授業で習った。これもこの世界の貴族の習わし、お姉さんが聖女と王太子という二大権力者を敵に回してしまったのが運の尽きか。


 あわれフランス人形……!


 私は心の中で下手くそな十字を切ってマルガレータ嬢の冥福を祈った。

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