第8話 ランプ

 男は鞄から書簡を出してクラウスに渡した。


「長居してももっと飲みたくなっちまうからな。俺はこの辺で」


 じゃあな、と片手を振って「燕」の男は月夜に消えていった。



 クラウスは小部屋に戻り、ショットグラスに酒を注いだが、飲む前に封蝋を割って中を確認した。


 見慣れた流麗な筆致で、今回の事件の詫びと労いが最初に書きつけられていた。


 話にも出た聖女様の婚約とリヒャルト王子の処遇、公爵令嬢と隣国の侯爵との婚約が国王によって承認されたことなども続き、最後にもうしばらくこの屋敷にいて動向を探るようにと綴られていた。


 ほっと息をつき、クラウスはグラスを空けた。


 まだこの屋敷にいられる。


 同封されている小切手はいつもは自分の就労手当分なのだが、今回はもう一枚入っていた。


 追伸を読むと、シャンデリアと天井の修理代に加えて弟の迷惑料だと記されていた。


 マクシミリアン王太子は気を利かせてくれたようだ。


 汚してはいけないので、封筒に戻して内ポケットにしまい込む。


 蒸留酒とグラスを片付けて、ランプ片手に戸締りの確認をしながら屋敷を巡った。


 東にある使用人用の部屋に行って音を立てないようにドアを開け、すごい寝相のハンスの頭を枕に戻して布団を肩まで掛けた。


 彼には今勉強を教えているが、あと半年もしたら町の学校へ通わせようかとアレクシアと話している。


 孤児院から引き取って雇った子だが、飲み込みもいいし器用なので、義務教育だけでなく彼が望むならその先へ進学させてもいいだろう。


 今は下働きだが、ゆくゆくは執事に仕立てようとアレクシアには内緒で考えている。


 音を立てないようにドアを閉め、二階へと階段を上る。


 アレクシアの寝室はカーテンがわずかに開いていて、床に薄い光が差していた。


 ランプを出入口のチェストに置き、足音を立てないようにして部屋を横切ってカーテンを合わせる。


 ランプの仄かな明かりは、寝台に横たわるアレクシアのシルエットを微かに浮かび上がらせていた。


 寝台の側に膝をつき、顔に巻かれている包帯に触れた。


 それまでなら、眠る彼女に軽く口づけをして巡回終了としていたのだが、怪我をしてからは包帯が邪魔をして気づかれずにうまくすることができないのでずっとお預け状態だ。


 欲求不満だが、その分は包帯を巻く時にいつもより触って我慢するしかない。


 少しの辛抱だと、もてる自制心を最大限動員して部屋を出た。



 自室に戻り、上着をクローゼットにしまい、タイを外した。


 内ポケットから出した王太子の書簡を文机の引き出しに入れて、椅子に座り込む。


 落ち着いて、溜息が思わず口をついた。


 リヒャルト王子は聖女に一方的に熱を上げていた。


 だが、聖女にも選ぶ権利はある。


 短絡的で浅慮なリヒャルト王子より、穏やかな気性で物事を利己より総括的に判断できるヨハン王子に惹かれるのは、自明だったのだろう。

 

 リヒャルト王子は選ばれなかった時に、必ず公爵令嬢に復縁を迫る。


 そして、その時に周りを巻き込むだろうから、彼女と親しい人物に護衛監視をつけたのだ。


 最後まで公爵令嬢の味方をしていたアレクシアにも念には念を入れて配置することになった。


 その役にクラウスが割り当てられた。


 マクシミリアン王太子の命令により、この屋敷にきて執事役をしながら、時々手紙のやり取りをしている公爵令嬢とアレクシアの動向を報告していた。


 叔父に冷遇されてたった一人でここへ来たご令嬢は、気取りがなく下働きも必要ならば進んでする。


 今まで会った貴族の令嬢とは違い、できることは一人でやろうとするし、叔父の家で肩身の狭い思いをしてきたからだろうか、頼ることは滅多にしない。


 恐らく両親を亡くしてからずっとそうしてきたのだろう。


 彼女が腕の中で気を失った時の胸の痛みは、今でもありありと思い出せる。


 まさか使用人を助けるために身を挺するなんて、クラウスのこれまでの経験則をもってしても予測し得なかった。


 彼女に怪我を負わせてしまったことは、大きな失態だ。


 二度とそんなことが起こらないようにしなければ。

 そして、今回の責任をきちんと取らなければ。


 いつしか心の中で彼女の存在が大きくなって、自分より大事になっていることにクラウスは自覚を持って悟った。


「マナー教室か、ピアノ教室か」


 数日前に公爵令嬢と話していた彼女の希望。


 ふむ、と腕を組み顎を摘んで思案した。

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